彼氏
テーブルの真ん中には大きな土鍋、中にはあつあつのおでん。
囲む妖怪、そして人間。
「おでんには少し早すぎましたかね」
「おでんはいつ食っても美味いよ」
「うん。美味しいよ」
「それじゃあ食べましょう。鬼火、貴方は飲まないんですか?」
「俺は酒は飲まない」
「私の健康を気にして飲まないんです」
「別にそれだけじゃない。好きじゃないだけだ」
「酒好きじゃない奴なんていんのかよ」
それはいるんじゃないかな。
うちのお祖母ちゃんも飲まなかったし。
「私の健康気にしてヨガ教室とか通ってくれてるんですよ」
「へー、すげえな。身体やらけぇんだ」
「ええ。豆乳も飲んでるし、納豆も食べてるし、めかぶ食べて、生姜紅茶飲んで、友達と食べに行く以外は減塩減塩で、温野菜ドレッシングもかけないで食べてるんです」
「いじらしいことですね、鬼火。ビール飲みます?」
「いらん。お茶でいい」
「まあ飲みたかったら言ってください。明日メイ休みなので随分買い込んだみたいなので」
「おー、今日はずっと酒飲んでテレビ見る予定だから」
川村さんは律が握った炊き込むご飯の小さなおにぎりを頬張る。
お箸は使えないのか鬼火さんが大根を一口サイズに切って食べさせている。
「鬼火さんお弁当も自分で作るんですよ」
「大したものは入っていない。野菜と魚を焼いたのくらいだ。あとお母さんが明日のお弁当に使えるようにっておかずを必ず多めに作っておいてくれるから」
「水筒も必ず持っていくし」
「毎日お茶買っていたらごみばかり出るだろう。当然だ」
「誰かが飲まなきゃ新しいの作れねえんだからいいんだよ。あたしはごみなんか気にせず飲むぜ」
「お前は好きにしろ。俺は美波の身体を損ねたくないだけだ。身体に悪いことはしたくない」
「そう言って、いつも十時には寝ちゃうんですよ」
「おじいちゃんかよ」
うちも変わんないけどなー。
妖怪って早寝早起きなの?
個人差があるか。
「毎日小顔になる体操やってくれてるし、筋トレも欠かさずやってるんですよ」
「アスリートかよ。真面目だねー、つーか勤勉?」
「任された身体だからな。ちゃんとしたいだけだ」
「でもお化粧とか興味ないからそこは私がやってあげてたんです。これは楽しかった。服も自分じゃ着ないだろうなって服着せたりして。鬼火さん割と何でもやってくれるから」
「そうだったのか」
「うん。私、鬼火さんが入ってた私は結構好き。自分の顔なのに可愛く見れたし、綺麗だなって思えた」
「そうか」
「楽しかった、本当に楽しかった」
「それなら良かった」
「でも怖い」
「怖かったら酒飲んだらいいんだよ」
「それじゃあ何にも解決しないだろ」
「解決する必要なんてねえだろ。酒飲んで忘れてまた次の日が始まる。それでいいじゃん」
「次の日は昨日の延長線上だろ、続いてるんだから忘れられるわけないだろ。妖怪と一緒にするな」
「嫌ならその時引きこもったらいいだろ。飯くらいなら食わしてくれるだろ、親いるんだろ?」
「はい。でも年金暮らしですし」
「つーか、嫌な事なんてあるに決まってるんだし。酒飲んでりゃいいんだよ。酒さえ飲めりゃ上手くいくよ、この世は」
「川村さん、起こってもいないことばかり考えるのはやめにしたらどうですか。起こったことは起こった時に考えましょう」
「それができたら苦労しないんですが」
「そうですね。まあ妖怪の私達に言われても参考にはなりませんね。楓、貴方は?」
がんもどきを頬張っていた私は自分に話を振られるとは思っていなかったので慌ててがんもどきを飲み込み、律から湯飲みを受け取りお茶を一口飲む。
「えっと、何で私?」
「貴方の方が少しだけ川村さんより長く人間やってるので」
「何にも話せることなんかないよ。特につらい経験なんてしてないし」
「楓ちゃん美人ですもんね。それだけ綺麗だと逆に皆引いちゃっていじめたりしないですよね」
「美波も綺麗だぞ」
「そう言ってくれるの鬼火さんだけだよ」
「いじめられたりしたことないけど、友達はいませんよ。いつも一人です」
「学校のお昼休みとか体育とか学校行事の時一人だと怖くなかった?」
「いえ、別に。寧ろ一人にしてほしいんで」
「教室で皆は友達同士で固まってお弁当食べてるのに一人で食べるの悲しくなかった?」
「携帯でいつもゲームしてたんで、寧ろ話しかけられたくなかったです」
「寂しくない?みじめじゃなかった?」
「無理して話合わせるの面倒なので」
「強いんだね。自分に自信あるんだ」
「強くないです。たまたま巡り合わせが良かっただけですよ。私も川村さんみたいな目にあっていたら学校行かなかったと思います。それだけですよ」
「そう」
食後に皆でバニラアイスを食べると鬼火さんは帰ると言った。
「泊まって行ったらどうですか?」
「嫌、いい。突然外泊するなんて、ご両親が心配する」
「そうですか?じゃあ送って行きますよ」
「何でだ?いい」
「貴方は今非力な成人女性です。何かあったら大変です。夜道の一人歩きなど言語道断です。送って行きますよ」
「そんならあたし行くよ。酒買いてぇし」
「いいですか?メイ」
「おー」
「メイさん大丈夫?」
「この国の成人男性が一千万人束になってかかって来てもあたしの必殺猫パンチで一撃だよ。妖怪なめんな」
「そんなに?」
「まあそうですね。じゃあメイ頼みます」
「おー」
「またお邪魔する」
「いつでもどうぞ」
「部屋空いてますからね。下宿してもいいですよ。家賃月一万円です」
「安いな」
「お部屋だけですからね。まあ布団もありますけど。あと二組は入れます」
「律、一部屋しか空いてないけど?」
「押入れがありますよ。あと玄関も」
「押入れは兎も角玄関は寒いでしょ」
「我々は妖怪ですよ。大丈夫です」
「じゃあ、失礼する。楓ちゃん。お邪魔しました」
「いえ、また来てください。お二人で」
「ああ、ありがとう」
川村さんは小さな声でありがとうとだけ言うとそのまま鬼火さんの両手の中に落ちて行った。
「どうしたんですか?」
「眠ったんだろう。酒飲んだの初めてだったから」
「そうですか」
「じゃあ、これで」
「はい」
八日後の日曜日の夕方、律と二人で近所のスーパーに買い物に行った帰り道、後ろから呼び止められた。
川村さんだった。
グレーのストライプのワンピース、両手にビニール袋を提げていて、黒いリュックサックを背負っている。
「こんにちは」
「こんにちは。鬼火は帰ったんですね?」
「はい。よくわかりますね」
「気配が人間なので」
「変身した律さん本当に美人なんですね。これからお家に窺おうと思っていたんですけどいいですか?」
「どうぞ。良かったら夜ご飯も食べて行ってください。今日メイが珍しく朝から仕事に行く日で六時には帰ってくるので、栗ご飯するんですよ。あとニラ玉と鮭の粕汁」
「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」
「袋一つ持ちましょうか?」
「じゃあ、楓ちゃん、これ紅イモのタルトです。召し上がって下さい」
「沖縄行かれたんですか?」
「いえ、九州物産展です」
「そうですか。ありがとうございます」
「こちらはメイさんになんです。ビールです」
「メイ喜びますよ。明日休みなんで」
「そうですか。良かった」
家に着き、律はお風呂場に行って元の姿に戻り川村さんに暖かいコーヒーを入れると、椅子に座り栗を剥き始めた。
私はビールを冷蔵庫に入れる。
冷蔵庫は信号機カラーのビールでいっぱいだ。
メイさんが目を輝かせ大声ではしゃぐ姿が容易に想像でき思わず笑みが零れる。
私も律の隣に座りコーヒーを一口飲んだ。
少し苦い。
「あの、鬼火さんは?」
「一昨日の朝起きたらこうなっていました」
「そうですか」
「妖力が尽きたのでこちらにはいられなくなったんでしょう。それで元の姿に」
「はい」
「大丈夫ですか?」
「はい。意外と平気です。仕事のことも全部書いておいてくれましたし。それに戻ってきてくれます」
「そうですか」
「はい。鬼火さん言ってくれたんです。最後の夜、私が戻ってきたら彼氏になって欲しいと言ったら彼、彼氏じゃなくて旦那がいいって。だから彼が戻ってきたら結婚するつもりです」
「それは良かったですね。おめでとうございます」
「はい。だからそれまで頑張ろうって」
「帰ってくるの一年くらいかかるかもしれませんよ。妖力満タンにしないといけないので。下手したら三年くらいかかるかも」
「はい。でも待ちます」
彼女自身がまるで炎を纏ったかのように川村さんは毅然と言い放った。
「何年でも待ちます。彼がそうしてくれたように。私気づいたんです」
彼女の向こうに青白い炎が揺らめく。
川村さんは鬼火さんを信じている。
それがどれほど儚い約束だとしても、すぐに燃え尽きてしまうかもしれなくても。
それはこんなにも熱く、眩しい。
「彼を失うこと以上に怖いものなんかないって。彼がいればどんなことがあっても生きていけるって。全てを失っても私には彼がいる。だって彼は私がどんなことになっても傍にいてくれるし、私は悪くないって言ってくれる、死ななきゃって思っていた私に死ななくていいって言ってくれたから」
「妖怪なら先に死ぬ心配もありませんしね」
「先のことばかり考えて勝手に絶望してる私には最高の相手ですね」
「そうですね。まあ無理はしないでくださいね」
「はい」
「明日はお休みですか?」
「はい」
「良かったら泊まっていってください。明日メイ休みなので一晩中飲むと思うので、良かったら付き合ってやってください」
「ありがとうございます。実はそう言ってもらえるかなって着替えと歯ブラシ持ってきちゃったんです。嬉しい。この間からお酒飲みたいなって思っていたんです。うちは父も母も下戸なので、家にお酒ないんですよ」
「でもメイと同じペースで飲んじゃダメですよ。あれは妖怪なので。せっかく鬼火が健康を維持してくれたんですから」
「わかってます。でももう私あんまり気にしないで好きなようにしようかなって。私の人生なんだし」
「その通りですね。好きにしてください。貴方は人間で限られた時間しかないんですし。まあそれでも後六十年以上生きると思いますけどね」
「そうですか?」
「メイの働いている介護施設にいる県内最高齢の女性は百十五歳だそうですよ。この間テレビ局が取材に来たそうです。全国ネットですよ」
「凄いですね」
「好きに生きてください。どうしても嫌になったら一部屋余っているのでいつでもどうぞ」
「いえ。楽しそうですが両親がいるので」
「そうですか」
「両親と十五年ぶりに話しました。私は飛べるのでいつも見つからないように天井に張り付いて二人の会話を聞いていたので十五年ぶりというのも変ですけど、久しぶりに真正面から両親を見て年取ったなって思いましたよ。もうすぐ七十ですもん当然ですよね。穏やかな顔をしていました。特に母は。介護が終わってほっとしたんでしょうね。すっかり太っちゃって。でも父と二人でトマト育てたりして楽しそうで。これも鬼火さんが私を一生懸命演じていてくれたからだろうなって。やっぱり死ななくて良かったなって。私が死んでいたら両親は生きている間ずっと苦しんだでしょうから、そん思いをさせなくて済んで本当に良かったなって。これから親孝行しようと思います。具体的には何も考えていないけど」
「ご両親は貴方が生きているだけでいいと思っていると思いますよ。まあ、だからお酒はほどほどに」
「はい。じゃあ飲みたくなったら来ますね」
「そうですね。そうしてください。お酒ならいつでも付き合いますよ。メイが」
「はい」
夕食を食べながら川村さんはずっと鬼火さんの話をしていた。
手編みのマフラーと帽子をお母さんに編んでくれたこと、甥っ子達のためにおくるみとよだれかけを作ってくれたこと、バレンタインの時にお父さんにガトーショコラを作ってくれたこと、ゴスロリ服を着てもらったこと、鬼火さんの献身と誠実な愛情の十五年という長い長い歳月を。




