十五年
「で、結局どうしたいわけですか?」
「長期間ご両親に怪しまれずに家を空ける方法を考えてくれ」
「鬼火、貴方本当に一生川村さんとして生きていくつもりですか?」
「ああ、そのつもりだ」
「川村さんもそれでいいと?」
川村さんは枝豆と食べるのをやめ俯く。
「一度元に戻ればもう入れ替わるのは無理だと思いますよ。貴方達が望んだとしても妖怪王がわざわざそうしてくれるは思えません」
「そこは何とか頼み込むつもりだ」
「無駄だと思いますよ」
「やってみなくちゃわからないだろう」
「わかりますよ。鬼火、貴方の妖力はもうすぐ尽きます。そうしたら貴方はあちらの世界に何もしなくとも戻されるでしょう。そうしたらもう身体だって勝手に元に戻ります。そうなったら川村さんはこれから川村さんとして生きなくてはならないんです。覚悟を決めないと」
「そうならないように妖力が尽きる前に妖怪王に会いたいんだろうが」
「まあ貴方達の問題ですから勝手にしたらいいと思いますよ。でも川村さん貴方は本当にそれでいいんですか?」
川村さんは金色のロング缶をぐいっと呷った。
何かを決意するかのように。
「いけないとおもいます。でも怖いんです」
「何がですか?」
「人間がです。だってもう十四歳から人と関わって生きていないんですよ」
「あんな目にあっていたんだから当然だ。美波は何も悪くない」
「確かに川村さんは悪くありません。川村さんを苦しめていた人間達が悪いです」
「わかっているんです。逃げてるだけだって。でも怖いんです。それに今更人間に戻って人間らしく振る舞えるかなって。鬼火さん凄く頑張ってくれたんです。高校うちの中学の人間が一人も合格しなかった県一番の進学校に入ってくれました。一生懸命勉強して。ちゃんと友達も作ってくれて、演劇部に入ったんです。私ジュリエットやったんですよ。信じられない。亡くなった祖父母や両親やお姉ちゃん達や甥っ子達とも上手くやってくれて、私図書館の司書になりたかったんですけど、それも叶えてくれたんです。本当に私のために生きていてくれた」
「そんなの当たり前だろう。俺は今美波なんだから」
「私じゃこうはならなかったよ。大学でもちゃんと友達が出来て、職場でも上手くやれて、私じゃできなかったこと全部してくれて」
「それは当たり前のことをしただけですから気にしなくていいですよ」
「カワウソ、お前が言うな」
「私がそれをできるとは思えないです」
「できなくていい。できる奴がやればいいんだ。美波は美波でよくやっている」
「どこが?」
「そんな身体になっても嘆いたりせず、文句も言わず耐えてくれている」
「そんなの当たり前だよ。私からしたら私の身体なんて捨てたかったんだから。川村美波なんていらなかったんだよ」
「いらなくなんかない。この十五年間俺は楽しかった。美波がいてくれたからだ」
「私なんて何にもしてないよ。毎日漫画読んでゲームしてただけだよ。鬼火さんのためになることなんか何にもしてないよ」
「毎日お帰りって言ってくれた」
「そんなの当然でしょ。私が飛び降りなかったらこんなことならなかったんだから」
「それは俺がぼうっとしていたからだ。済まない」
「鬼火さんが謝ることなんて何にもないよ。ごめんね。私怖いの。元の身体に戻って川村美波やることが。だって鬼火さんのように振る舞えるかなって。またいじめられるんじゃないかなって。また毎日泣いて暮すのかなって、またノートに明日は無視されませんようにって、元の生活に戻れますようにって書いて暮すのかなって」
「だからそうならないように俺が何とかするから」
「川村さん」
「はい」
「怖いのはそれだけですか?」
「職場でいじめられたらってのもそうですし、高校や大学の友達と今でも遊びに行くんです。皆独身だから、その子達と上手くやれるのかなって、私もう十五年も鬼火さん以外と喋ったことないから」
「川村さん、今貴方は大人です。社会人です。もう中学生じゃありません。義務教育ではないのですから職場でいじめられたりしたら辞めちゃえばいいんですよ。仕事なんていくらでもあります。まあ私は中学校だって行きたくなかったら行かなくていいと思ってますけどね、人間には自分の生存を脅かすものから事故を守る権利があります。他者によって犠牲を強いられるいわれなどどこにもありません。自己防衛のためなら学校なんて行かなくていいと思います。学校に行かなくたって人間何とでもなりますしね。それとお友達を失うかもって思っているみたいですけど、友達なんて何に必要ですか?同じ職場なわけじゃないですよね?」
「はい」
「職場のお昼休みに一人で食べるのは嫌ですか?」
「いえ、交代でお昼なのでいつも一人みたいですけど」
「お休みの日家にいるのが苦痛ですか?」
「いえ、一人で漫画読んでるの大好きです。あとゲームも」
「一人で外食するのが嫌ですか?」
「一人で外食するくらいなら何か美味しいものを買って来て家で食べたいです」
「じゃあいいじゃないですか。元に戻ったって」
「え?」
「仕事は嫌になれば辞めればいい。友達は別に無理してつるまなくてもいい。一人で漫画読んだりゲームがしたい。もうできるじゃないですか。何の問題もありませんよ」
「そうですか?」
「おい、カワウソ」
「鬼火、貴方も妖力が戻ったらまたこちらに戻ってくるんでしょう?」
「ああ、そのつもりだ」
「じゃあ何も問題ないですね。妖怪に戻ったら彼女を本当に守ってやれますよ。もういいでしょう」
「どこがだ?」
「何もしてないっていいますけど、毎日漫画読んだりゲームして過ごしてたんですよね。だったら何もしてなくないですよ。その知識は川村さんの血となり肉となり背骨となっているはずです」
「そうでしょうか?」
「はい。それじゃあ夜ご飯食べていきませんか?今日おでんと炊き込みご飯なんです」
「いいんですか?」
「はい。明日も食べる予定だったのでたくさん買ってきたんですよ、練り物。良かったら食べて行ってください」
「はい」
「メイ、貴方もおでんなら食べるでしょう?」
「おー、牛すじ食っていい?」
「いいですよ。じゃあ私は作り始めるので、ゆっくりしててください。テレビでも見て」
「はい」
「おい、カワウソ。何にも解決してないぞ」
「してませんよ。そもそも解決なんてしないですよ。例えその時すっきり解決したって、その後も人生は続くんだから又問題なんていくらでも起きますよ。貴方が傍にいてあげたらいいでしょう。一生川村さんとして生きるつもりだったんですから」
「そうだが」
「どうにもならなくなったら貴方がまた連れ出してやったらいいじゃないですか。先のことばかり考えても仕方ないですよ」
「しかし」
「そーそー。酒飲めたらいいじゃん?」
メイさんが冷蔵庫から緑色の缶を二本出し左の一本を飲み、右の一本を飲む。
魔法のように出てくるな。
家の冷蔵庫じゃないみたい。
「かわむらー。何飲むー?焼酎もあるけど」
「ビールで」
「おー。そうそう、酒飲んだらいいんだよ。酒飲んだら全部忘れるもん。何にも憶えてらんないよ。酒最初に作った奴人類名誉妖怪にしてやりたいくらい」
川村さんは笑った、様に見えた。
青白い炎がゆらゆらと楽しそうに揺れている。
「川村さん十五年って言いますけど貴方のこれからの人生の方がよっぽど長いですよ。人間八十年くらい余裕で生きられるんですから」
「そーそー、あたしが働いてる施設、九十とか百とか余裕でいるぜ。八十くらいじゃ年寄りなんて言わねえよ。お前まだ三十だろ、あと六十年人生あるぞ、これからまだまだ酒飲めるなー。酒はいいぞー。皆を幸せにする」
「確かに。亡くなった父方の祖父母は九十まで生きましたし、母方の祖母は来年九十九になります」
「な?まだまだ飲めるなー」
「ええ。本当ですね」
お酒ってそんなにいいものか。
いいな、飲めて。
私も二十歳になったら絶対飲もうと決意を固める。
台所にはカワウソと黒髪ボブの大人な女性、焼酎の瓶をラッパ飲みしだした金髪美女と青白い炎。
そして一人だけ普通に人間な私。
律と鬼火さんが台所でこそこそと話しているのが気になったが、見ないようにした。
中身が鬼火さんとわかっていても律の隣に女の人がいるのは嫌なものだ。
私はテレビのリモコンを取りチャンネルを変える。
丁度天気予報をやっていた。
明日は晴れ。
絶好の運動会日和だそうだ。




