川村さん
川村さんの涙は止まらずテレビを見ていたメイさんは急に立ち上がると冷蔵庫からレモンサワーを出してきて缶を開けると川村さんの前にことりと置いた。
「飲めば、すっきりするぜ」
どうやって飲むんだろうと見守っていると川村さんは缶を持ち上げこくこくと飲みだした。
どうやって缶持っているんだろう?
メイさんは自分の仕事は終えたとばかりに牛丼を食べテレビのチャンネルを変え、再び立ち上がり冷蔵庫から銀色のロング缶を出してきて、テレビを見てケタケタと笑い出す。
レモンサワーを飲み干した川村さんが話してくれたことを要約するとこうだ。
十五年前中学二年生だった川村さんは学校で酷いイジメを受けていた。
当時上の二人のお姉さんは受験生、お母さんはお祖父さんとお祖母さんの介護で忙しく、お父さんは東京で単身赴任中だった。
誰にも相談できなかった川村さんは駅前のビルの屋上から飛び降りた。
そこへ通りがかったのが鬼火さんでぶつかった拍子に身体が入れ替わってしまった。
人生に絶望していた川村さんは元の身体に戻りたくないと言い、いつのまにやら十五年もの月日が経ってしまった。
「私が悪いんです」
「美波は何も悪くない。今まで散々辛く生きていたんだ」
「そうですね。でも本当にそれでいいんですか?」
「余計な事言うな、カワウソ」
「じゃあ何しに来たんですか?」
「安全に家を空ける方法を考えてほしいだけだ。これは俺達二人の問題なんだから放っておいてくれ」
「それはそうでしょうね。放っておきますよ。でも本当にいいんですか?本来川村さんが享受するはずだった楽しい時間を鬼火貴方は奪っているんですよ。それこそ貴方は川村さんの人生を代わりに生きているわけですから」
「代わりに辛いことや悲しいこと全てを鬼火さんに私は任せています。十四の時からずっと」
「それは仕方のないことだ。美波は気にしなくていい」
「私怖くて、怖くて。もう人間と関わりたくないんです。最初は顧問の先生だったんです。私バレー部だったんですけど練習試合の後皆の前で顧問の先生にお前のせいで負けたって言われてそれから皆に無視されるようになって、最初は部活だけだったんですけど、そのうちクラスでも誰も口きいてくれなくなって、ノートや教科書や机に死ねって書かれて、毎日まだ生きてたんだって言われて、早く死んじゃえばいいのにって言われて、部活入るの義務だから逃げられなくって、お母さん介護でもうくたくたになってて、お姉ちゃん達は受験だから塾とか忙しくって、お父さんは東京でたまに電話かけてくれたけど、そんな時にこんな楽しくない話したくなくって、私」
こういう時何をしてあげたらいいんだろうと思う。
私はこんな風に話すのも辛い話を誰かに打ち明けられたことはない。
私はバターサンドの箱を開け、一つをそっと川村さんの前に置くと鬼火さんにうちの分買ったからと言われ、川村さんにも楓ちゃん食べてくださいと言われたのでそのようにした。
律も珍しく食べ、私のウーロン茶を飲んだ。
「鬼火さんが私として学校に行ってくれるようになりました。私も怖かったけど鬼火さんの鞄に入って学校に行きました。私は鞄の中で震えていたけど鬼火さんは何を言われてもどうでも良さそうでした。部活もその日のうちにバレー部は辞めて園芸部に入りました。辞めると言った時顧問の先生に大きな声で酷いことを言われました。今思い出しても時々震えるくらいです。部活を辞めてもイジメは続きました。私はもう鞄の中に入って学校に行くのも辞めました。鬼火さんは私の身代わりになって私が受けるべき苦しみをずっと受け続けてくれたんです」
「それは違いますね。本来そんなこと受けるべきいわれはどこにもありません。鬼火が暴れなかったのが不思議なくらいです」
「美波の身体で暴れられるわけないだろう。この身体では返り討ちにあってしまう」
「それはそうですね。まあよく我慢しましたね」
「別に暇なんだなと思っただけだ。人間暇だとこんなにもくだらないことをするものかと感心したほどだ」
「そうですね。図らずも鬼火は川村さんの命を救ったわけで、まあ良かったですね。鬼火が下にいなかったら死んでいたでしょうから」
「ああ、でも確かにカワウソの言う通りだな。お姉ちゃん二人の受験が終わると三人で東京にいる父親の所へ遊びに行ったんだが、美波は皆に見つかったら困るから家で留守番だったし、その時食べた美味い寿司もケーキも美波は食べていないわけだ。中学の修学旅行で長崎に行ったのも、高校の修学旅行でグアムに行ったのも俺だし、二十歳の成人式も、お姉ちゃん達の結婚式も、大学の合格祝いに神戸に連れて行ってもらったのも俺だし、就職祝いに分厚いステーキ食べさせてもらったのも俺だ。お父さんの定年退職のお祝いで家族揃って別府温泉に行ったのも俺だな。確かに俺は美波の人生を奪っているな」
「そんなことない。鬼火さんがいなかったら私死んでたから。この年まで生きてこられたのは間違いなく貴方のおかげだから。貴方と入れ替わってから私辛いことなんて何にもなかったよ。貴方が全部引き受けてくれたから」
「引き受けてなんかいない。俺は所詮あんたじゃないからクラス中から死ねと言われたって平気なだけだ。あんたが本当に辛かった時に俺は何もしてやれていない。それが悔しい。俺がその場に居合わせたらこの国を焦土と化してやれたのに」
物騒なこと言うなー。
流石妖怪。
別府温泉か、温泉というワードに遂反応してしまう。
いつか行けるだろうか、二泊三日の温泉旅行。
川村さんは又はらはらと涙を零す。
メイさんは銀色のロング缶を飲み干すと立ち上がり冷蔵庫から白いボウルいっぱいの枝豆と金色のロング缶を二本出してきた。
「あの、鬼火さんも何か飲まれます?」
「嫌、いい」
「でも何も飲んでらっしゃらないし、喉渇きませんか?」
「そうですよ。何か飲みなさい。いれてきてあげますから」
「すぐ帰るしいい」
川村さんはテーブルに乗った金色の缶を開けると勢いよく一気に飲んだ。
メイさんは嬉しそうに枝豆のお皿を川村さんの方へ動かす。
「じゃあ、アイスコーヒー」
「アイスコーヒーですね、ブラックで?」
「ああ」
長い夜になるのだろうか。
私は二つ目のバターサンドに手を伸ばした。




