「はいチーズ!」と言えない私
最近でこそ自撮りする人が増えてきたため、写真を撮ってくれと頼まれる事は少なくなってきた。
しかし、誰しも1度は写真を撮って欲しいとカメラを手渡された経験があるだろう。
道を尋ねられても断る事は容易い。「分からない」「知らない」それで済む。しかし写真は?ただボタンを押すだけの動作を断るのは難しい。せいぜい「急いでます」くらいしか断る理由が思いつかない。
観光地など旅先でよく起きるこの問題は、私にとって深刻な事この上ないのだ。そもそも害意のない相手を無碍にする程私は人でなしではない。
「はいチーズ」なんて小っ恥ずかしい言葉を言う必要が無いのなら私は率先して記念撮影して回ってあげようかと思う程度には親切心も持ち合わせているというのに。
では、いざ写真撮影を頼まれたらどうしているのか?
無論「はいチーズ!」は回避して生きてきたのだ。基本的には「撮りまーす」「いいですかー?」という他の掛け声で誤魔化してきた。
そもそも「はいチーズ!」が嫌な理由は何なのか?赤の他人に言うのが恥ずかしいからでは無い。友人や家族相手でも無理なのだ。むしろ見知った相手の方が恥ずかしい。
恥ずかしいのはやはりこの掛け声なのだろう。「はいチーズ!」なんて訳が分からない言葉を放つのが嫌なのだ。
この掛け声の由来がクイズ番組なんかで紹介されていたりもするが、由来が有ろうと無かろうと恥ずかしいものは恥ずかしい。
だけど何故か別の意味不明な掛け声ならあまり抵抗無く言えるのではないかとも思うのだ。例えば「ゴルゴンゾーラ!」とか「ファンタスティッック!」とか。
試した事は無いけれど。
私の「はいチーズ!」への抵抗感は単純な羞恥心や無意味な掛け声への恐れなどではないようだ。
結局のところ何故「はいチーズ!」にだけ抵抗を抱くのかは自分でもはっきりとは分からないままである。
旅先でカメラを渡される。
隣に居た友人がなんの躊躇いも無く「はいチーズ!」と言った時、私は自分がその言葉を発さずに済んだ安堵とともにほんの少しだけ自分達の間に存在している壁を感じずにはいられないのである。