子爵令嬢エリシアの政略結婚
屋敷の周囲は領民に取り囲まれ、放たれた炎はすべてを燃やし尽くそうと迫ってくる。
「いやよ、なぜこんな事になったの」
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エラム王国北西の山岳地帯に魔物の群れが出現した。
この情報は直ちに各貴族に伝達され、それぞれの家は兵を率いて北西部に参集することが命じられた。
「結婚式はこの出征が終わった後になる。それまで待っていてくれ」
「はい、お国の大事ですもの。誇りある貴族として立派にお勤めを果たしてくださいませ。わたくしは婚約者としてあなたのご領地をお守りいたしますわ」
「ありがとうエリシア」
わたくしはオルダム子爵との政略結婚のため隣国のセドニル王国からやって来た。
だが、到着してすぐにアルダム子爵は王命により出兵する。
当然、結婚式は延期になり私は婚約者の立場のまま子爵領にとどまることになった。
魔物から国を守るのは貴族の務めである。
領地に残る執事のセバスと協力してがんばりますわ。
わたくしは決意を新たにオルダム様を見送った。
あれから二ヶ月がたった。
戦場の様子は南東部にあるここにはまだ伝わってこない。
わたくしは今、領地を回って現状を確認している。
紙の上では領地のことを勉強したが、実際の暮らしは現地を見ないと理解できない。
実家と違い、子爵領では領都以外は村人を守る柵がなく防衛は少数の自警団が担当していることを知った。
このあたりに魔物が大量に発生したことはなく、農村は人間の犯罪者に対しての備えだけだそうだ。
更に半月がすぎ子爵領にオルダム様からの手紙が届いた。
「現状で増援の部隊と物資を整えるのは難しく・・・」
言いたいことは分かる、だが戦況が厳しいのであれば何とかするよりほかにない。
「わたくしの持参金で傭兵と物資を用意しましょう」
それなりの金額はあるので何とかなるはずだ。
「しかし、エリシア様は正式にはまだ我が国ではなくセドニル国のお方、そこまでしていただくわけには・・・」
「確かに正式には結婚してはいませんが、気持ちはオルダム様の妻のつもりです。夫に恥をかかせるわけには参りません。できるだけ速やかに準備をしてください」
わたくしの強い視線を受け執事のセバスも納得してくれた。
結局はオルダム様が望んだ兵力を整えるには持参金では不足で、わたくしは子爵家の家財の一部とともに自分の装飾品も売却して対応した。
「奥様、よろしかったのですか」
「よいのです。現状では割ける人員もお金もないですもの。オルダム様はきっと分かってくださいますわ」
今回の襲撃は魔物の組織的な行動によりかなり苦戦しているらしい。
出し惜しみしている場合ではないはずだ。
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ある日、数人の村人が領都へ逃げてきた。
魔物の集団に村が襲われた!
この事実にセバスは周囲の村に偵察を出すとともに、領都に残っている者を集めて出陣の準備を整えた。
「わたくしも攻撃魔術の心得があります。戦力は一人でも多く必要なはずです」
ほとんどの若者は戦地に赴いており兵数は何とかなったが実際の戦力としては心もとない。
「ですが奥様・・・」
「戦う力があるのに後方に隠れているなど貴族として失格ではありませんか」
偵察からの報告によると魔物はまだ村にとどまっているようだ。
「セバス、どのように攻めるのがよいと思いますか」
わたくしは戦術については少し勉強した程度で詳しくない。
「指揮できる者がおりませんので、密集したまま前進して数で押し切るよりほかにないでしょう」
確かにその通りかもしれないが、それでは犠牲が多すぎる。
「・・・周囲の麦畑ごと村を焼き討ちしてはどうでしょうか?」
わたくしたちは翌日夜も明けぬうちに出発した。
魔物はまだ村にとどまっていた。
それはつまり彼らにとっての食料がまだ村にあると言うことだ。
子爵領の軍が出兵していなければ助けられたかもしれない。
だが現状は勝利さえも危ぶまれる状況であり余裕がない。
泣いてはいけない、わたくしは焼き討ちを決めたとき、き然とした態度で命令しすべての憎悪を引き受ける覚悟をしたはずだ。
もうすぐ夜が明ける。
周囲の者もたいまつに火をつける準備が整ったようだ。
さあ始めようか、わたくしの魔法が合図である。
魔力を解き放ち魔術を発動させると村の周囲に天から火の粉が降り注いだ。
この魔術に敵を倒す力はない、元々は攻城用に開発された広域延焼魔術だ。
村の方で魔物が騒いでいるがもう遅い。
周囲には魔術とたいまつにより火の海と化している
わたくしたちは村から離れて待機していた部隊と合流し状況を見守る。
あとは炎の壁を突破してきた魔物を倒し、火が消えるのを待つだけだ。
炎が家々を飲み込み煙は天へと上っていく。
わたくしにその権利がないのは分かっているけど心の中で村人の冥福を祈った。
この戦いで幸いに死者は出なかったが、セバスが負傷したため復興や事後処理が遅れている。
セバスの部隊は五十人以上いたはずなのに、わずか数体の魔物に恐怖しほとんどの者が逃げ出したらしいのだ。
正面から戦っていたらどうなっていたか・・・・
それからしばらくして、やっと北西部での戦いも終わり五日後にオルダム様が帰ってくるとセバスのところに手紙が届いた。
戦からお帰りになるオルダム様をねぎらって差し上げたいけど、魔物との戦いで子爵家の台所事情は厳しく、豪華なお食事は用意できない。
「料理長、オルダム様がお帰りになった日の夕食はよい物をお出しして」
わたくしは小さな宝石が付いた髪飾りを渡した。
「分かりました奥様、旦那様にご満足いただける物を必ずご用意いたします」
今日はオルダム様がお帰りになる日だ。
子爵領内にはいくつかの問題があるものの、おおむね平穏を取り戻している。
出兵した者たちが帰ってくれば、またいろいろな問題が発生するとは思うがオルダム様と頑張っていこう。
彼とは釣書を交わしただけの政略結婚ではあるが、子供が出来る頃には家族としての愛情がきっと芽生えるでしょう。
色々考え事をしていたわたくしに侍女はオルダム様がお帰りになったことを告げた。
帰ってきたオルダム様は特に怪我もなくお元気そうで何よりだが・・・・
「お帰りなさいませオルダム様・・」
はて、オルダム様の後ろにいる女性はいったいどなたでしょうか?
「紹介する。彼女はヴァシアート侯爵家のミーヤ、俺の妻だ」
「はいっ・・?」
何を言っているの、混乱しているわたくしにさらなる言葉が襲いかかった。
「安心しろ、政略結婚は貴族の勤めだ。住民をちゅうちょなく虐殺するようなおまえとも結婚してやる。寛大な俺とミーヤに感謝するのだな」
訳が分からないがわたくしの選択肢は一つしかない。
「いえ、この婚約はなかったものとして、わたくしは国に帰ります」
この国と違い祖国では重婚が禁忌である。
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――オルダム子爵――
子爵領から来た傭兵団の活躍でヴァシアート侯爵領に進入した魔物の一軍を撃退した。
この功績により招かれた祝宴で侯爵家のミーヤと出会ってお互いに恋に落ちた。
エリシアとは政略的なもので婚約はしたがまだ結婚していないことに安堵した。
婚約解消など良くあることだ。
俺は真実の愛を貫くため、愛しいミーヤに求婚した。
そして魔物との戦いも終わり子爵領に帰還する前日、ミーヤと結婚式を挙げた。
俺は子爵領への帰還の途中で婚約者がいたことを打ち明けた。
するとミーヤは“使用人を雇ったと思えば苦にならない“と言ってエリシアを第二夫人にすることを認めてくれた。
ミーヤはなんと優しいのだろう、政略的な問題があるのでどうしようかと思っていたがこれで解決だ。
屋敷で出迎えたエリシアにそのことを告げたが、あいつはその日のうちに屋敷を出て行ってしまった。
まあ、あちらから解消を申し出てくれたのだから、こちらにとっても好都合だ。
その夜は、とても豪華な食事をミーヤとともにいただき、その後は彼女もいただいた。
浮かれていてセバスから現状を確認していないが明日でよいだろう。
翌日セバスから報告を受けた現状に驚いた。
エリシアが決めた村の復興や出兵から帰ってきた兵たちの救済資金で予算の大半が食いつぶされていたのだ。
屋敷のものを勝手に売り飛ばし、魔物に襲撃された村を焼き払うなど、エリシアが行った数々の愚行に腹が立つ。
俺は不必要な弱者救済を廃して予算の削減を命じた。
このままではミーヤにドレスも買ってやれないではないか。
だが、セバスは強硬に反対し受け入れて貰えないならば辞職するとまで言ってきた。
セバスは足の怪我でろくに歩くこともできなくなっていたので、これ幸いと解雇した。
しばらくして、魔物の残党が出たり領民どもがなにやら陳情に来たりしたが子爵領は平穏だ。
魔物は村の自警団で対処すればいいし、陳情はミーヤが適切に対処してくれた。
そして二年の年月が流れた。
屋敷の周囲は領民に取り囲まれ、放たれた炎はすべてを燃やし尽くそうと迫ってくる。
「いやよ、なぜこんな事になったの」
俺たちを守るべき兵も使用人たちもいつの間にか屋敷からいなくなっていた。
「くそっ、すべてあいつのせいだ!」
その日の火事で子爵邸は崩れ落ちた。
――――
「くちゅん」
「大丈夫かいエリシア」
「いえ、何でもありません旦那様」
「だが、もう君だけの身体じゃないのだ。風も出てきたし屋敷に入ろうか」
「はい、旦那様」
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――エピローグ――
「奥様、旦那様がお呼びです」
私は了承を伝え執務室に向かう。
今日の予定はなかったはず、何かあったのかしら。
ノックをして執務室に入ると旦那様であるシェファーリア侯爵の向かいに見知った者が座っていた。
「え、セバス?」
間違いない、しかし元婚約者の領地で執事をしていた彼がなぜここにいるのでしょうか?
疑問には思ったが取り敢えず旦那様の横に腰を下ろす。
「お久しぶりにございますエリシア様」
「わたくしがオルダム子爵を継承するのですか?」
私は彼と結婚してはいないし閨を共にした事実もない。
全くの無関係でしかも他国の貴族である私に子爵を継承させるとは流石に驚きを隠せない。
だが、これは両国の政治的な話とエラム国内の事情による。
両国の友好のために献身した私をオルダム子爵は侮辱した。
私の家は貴族の中では下級の子爵だったがそんなことは関係ない。
セドニル国内はエラム国に侮辱されたと憤慨した。
それにエラム国内は魔物の襲撃による被害が大きく国内は荒れており、国民と無駄に争いたくない。
この件に関する問題をエラム国王は私に丸投げした。
数ヶ月後、私は旦那様と生まれたばかりの息子にキスをする。
しばしのお別れだ。
行かないでと泣いてすがる旦那様をこれも貴族の勤めと説得し馬車に乗り込む。
子爵領まで約一ヶ月の旅程である。
長旅を終えオルダム子爵領に着いた私をセバスほか、懐かしい顔ぶれが迎えてくれる。
「「「「「お帰りなさいませ、エリシア様」」」」」
彼女は精力的に領地を回った。
逼迫した財政状況のため領民の暮らしはなかなか改善しなかったが、エリシアの民に寄り添った施策は多くの支持を受け数年で領内に安定をもたらした。
その間、エラム国王から”本人が来てくれると思ってなかったよ、まだ新婚なのにごめん”という趣旨の手紙が来たり、シェファーリア侯爵領とオルダム子爵領の距離が遠かったこともあり久しぶりに帰ったエリシアが息子に”初めまして”と挨拶されて涙目になったり、シェファーリア侯爵がエリシアに会いに行くと言って政務を放棄したりと色々なことがあったが二つの領地は概ね平穏であった。
その後、エリシアの二人目の息子がオルダム子爵を継承するまで、更に色々なことがあったがそれはまた別の話である。