あるマフィアの死
ドン・“ビッグフット”・コルテスは、挙動不審にあたりを見回しながら理容室のドアを跨いだ。
彼は、町を裏から支配するマフィアのボスである。彼は20の頃、警察がまともに機能していなかった頃に組織を作り上げ、町の治安維持と非合法な金融業でその規模を拡大させていった。いくつもの修羅場、血を血で洗う抗争をくぐり抜け、その顔には無数を傷跡が刻まれている。
だが今年60歳を超えたコルテスに、若き頃の勇猛さはなく、すでに存在しない他組織の復讐に怯える毎日を送っている。さらに警察機構が一新されてからは、マフィアの治安維持も不要になり、阿漕な金融業は検挙が続き、今の組織は慢性的な資金難に陥っている。落ち目のマフィア。端的に表せば、そういう男である。
今日のコルテスは、部下にもスパイが紛れ込んでいるのではないかと疑い、護衛もつけずに理容室に足を運んだ。抗争が最も激しかった頃の、組織の元幹部が経営しているこの店だけが、彼の唯一安心できる場所だった。
「お、おい。なんで俺が待たされるんだ。俺を誰だと思って…」
「今のあんたは1人の客だ」
先客の髪にドライヤーをかけながら、店主は冷然と言い放った。昔の理容師は___ダッドは組織に忠誠を誓っていたが、コルテスに仕えていたわけではなかった。組織を抜けた今となっては、コルテスは赤の他人である。
「座って、お行儀よく待てないのか。犬でも出来るぞ」
手際よく女の髪をセットしながら、店主はコルテスを侮るように一瞥した。
昔のコルテスであれば、たとえ相手が組織一の武闘派であっても掴みかかっていただろう。しかし、年老いた彼にそんな度胸も腕もない。
彼は力無く、順番待ちの椅子に腰掛けた。いつからこうなってしまったのだろうか。あの頃は、今よりもずっと貧しく危険な生活だったが、少なくとも自分に誇りが持てた。だから、自分や組織を侮辱する人間と戦うことができた。
ちくしょう。小さく呟くと、うな垂れている彼の背中に影ができた。顔を上げると、黒髪を肩のあたりで切り揃えた、笑顔の愛らしい女が立っていた。
「おじいちゃん、どうしたの?」
おじいちゃん。コルテスは顔をしかめたが、確かに60を超えた男はおじいちゃんである。
ため息をひとつ零して、彼は女に内心を打ち明けた。
「いいことねえんだ。仕事はうまくいかねぇし、住民にはナメられるし、ジジイ呼ばわりされるし。」
こんなことを見知らぬ女に話したところで、という気持ちより、も誰かに分かってほしいという寂しさが勝った。そんな自分を、コルテスは情けなく思う。
「それは運気が下がっているせいじゃない?」
女は軽々しく言った。歳を食ったせいか、コルテスはその言葉が妙に腑に落ちた。
女はポケットから、丁寧に折りたたんだ新聞の切り抜きを取り出し、コルテスに尋ねた。
「おじいちゃんの星座は?」
「せいざ…星のことか。俺はしし座だが」
女は切り抜きに目を落とし、ふむふむと何回か頷いた。コルテスは占いを信じる男ではなかったが、彼女の真剣な様子に呑まれて、緊張を覚えた。
「どうだ?」
「えーとね……突然の死!」
殺し屋の女は、屈託ない笑顔で告げた。