『子猫の死体を裏山へ。』
子猫の死体を埋めに山に行こうと思ったのは、今日が少し晴れていたからなのです。私は家で飼っていた子猫が亡くなりまして、十歳を超える大往生だったのですが。年を取り、ついには衰弱死してしまいました。何故、子猫かと申しますと、この子は何故か大きくならなかったので御座います。何かの病気だったのでしょう。けれども、私は大切に可愛がり、毎日、愛でておりました。
私の周辺には空き地ばかりでして、空き地には、にゃあにゃあ、と沢山の猫達が群れております。私は一匹一匹を撫でて、可愛がりたいと思いました。
夜になると、猫達が集まって、尾を二つや三つ程生やしながら、何やら会話をしているのを眼にした事があります。私も近付いて、にゃあにゃあ、と泣きたくなったわけですが。彼らは、ちぃ、人間か、と嫌な目線で見ておりまして、私は委縮致しました。
とにかく、この土地では、猫を粗末にすると祟られる、恨まれる、怒りを買う、といった風習があるので、人々はとても怖かったわけですね。
私は私の子猫を埋めに、月夜の晩に、裏山へと向かいました。
丘陵に上ると、寂れた村が見渡せる、とても綺麗な場所で神秘的で御座いました。
この辺りには、沢山の死体が埋まっているとお聞きします。
私もスコップを手にして、沢山の死体をよく埋めておりました。もちろん、人の死体ではなく、車に轢かれた小動物の死体などです。死体が散乱してあると、虫なども拾って、この裏山には埋められるのです。
この裏山は巨大な墓でした。
木々は、大きな墓標達でした。
私は十歳を超えた子猫の死体を布に包んで、月夜の晩に、その裏山に上りました。まるで、森の精霊達が私を祝福しているように思えました。私の心はとても癒やされ、世界と私は一体化したような錯覚を覚えました。
頂上付近に上がりますと、周辺には、何かが埋まっているわけですね。
最初、私は花か何かだと思いました。大根や人参の類とも思ったわけですね。
よくよく見ると、それは脚でした。
もちろん、人の脚では御座いません。何かの動物の脚で御座います。それが野良犬にでも掘り返されたのか、天に伸びるように生えていたわけですね。
私はその脚の事を忘れて、子猫の死体を埋める事にしました。
冷たい土の中に、この子は入っていくのですね。
そして、森の養分になり、森と一体化していくわけでしょう。
私は空に願いました。
此処にいる者達を死後の世界で幸せにして下さいと。
そして、幾許かの月日が流れました。
お釈迦様は気まぐれで、六道輪廻の世界をひっくり返したのかもしれません。
畜生道と、人間界をひっくり返してしまわれたのでしょうか。
村には犬や猫達が徘徊するようになりました。彼らは人語を話、頭が二つあったり、尾が四つも五つもあったりしました。彼らはその短い手足で農業なども行っておりました。
裏山では、無数の死体が埋まっています。
村の人々はいなくなりました。
どうやら、沢山の人々が、蒼い月に向かって地面の底から腕を伸ばしていると噂されています。私もそのうち、あの裏山に入る事になるのでしょう。即身仏というものがあり、昔、生きながらにしてミイラになった僧侶が何名かいたそうですね。彼らは土の中でミイラになったとお聞きします。私もそれに追随して、今から五穀を立ち、即身仏になろうかと考えている次第です。
ああ、夜になると月夜が美しい。
村では動物達が人語を話して交流を行っています。
山の上では、人々が根を張り、きっと森の精霊と一体化しているのでしょう。
ああ、私ももうすぐ、あの山の一部となるのでしょう。
了




