『星を喰う者‐イーティング・スター‐ 5』
空は蒼穹だ。雲は乳白色をしている。琥珀の太陽が世界を灼いている。
大地を眺めると。
邪悪な濃緑色の触手が、街全体に浸透していた。
ビルを緑の苔が、カビが、根が浸食していき、地盤を破壊し尽くそうとしていた。
おそらく、この力は、大地そのものさえも、支配出来るのだろう。
一軒家程もあるヤスデやミミズの怪物などが大地を這いずっていた。それらは、巨大なトカゲの口達によって食べられていく。人程もある赤茶色のコオロギが、飛び跳ねて、人々に襲い掛かっていた。そして、コオロギもトカゲの頭に飲み込まれていく。
此処は、混沌ばかりが根付いていた。
邪悪な生命達が蔓延る、遺伝子のプールだった。
キマイラは絶句していた。
ノルンと、ホビドーも言葉を失っていた。
ザルギャだけが、淡々と双眼鏡を手にしながら、状況を分析しているみたいだった。
「B-34地区に奴はいる。あれは何だ? 人の上半身に獣の怪物……、ケンタウロスか……? とにかく、そいつが、イゾルダなんだろう?」
「キマイラよ。神話の怪物。獅子やヤギの頭に蛇の尻尾……、それから」
「あらゆる生物の遺伝子を有しているんだろうな。レモンの研究所はB-31地区にあったんだけれども、丁度、そこが媒介になっている。何だろうな。種を植えた場所、と言っていいのか。そこから樹木のようなものが伸びている。それに派生するように、昆虫や爬虫類などが生まれている。人間も含めて、此処ら一帯を養分にして育っているみたいだな」
ザルギャは、淡々と分析していた。
「キマイラか。……、生物同士の合成体の事もそう呼んでいたよなあ」
ホビドーは、ふうっ、と腰を下ろして溜め息を吐いた。
四名は、数キロ離れた崖の上から、その光景を観察していた。
「どうする? この位置なら、逃げられるぜ? なあ、ザルギャ。俺達であんなのに勝てるのか? 政府やら何やらに任せた方がいいんじゃないのか? ナパーム弾でも何でも撒いて貰えばいいんじゃねえのか」
そう言いながらも、彼は自身の能力であるアシッド・フィールドを発動させているみたいだった。スズメバチの兵隊達を、B-34地区まで向かわせていた。
「多分、倒せないぜ。再生能力がありそうだ」
ホビドーは、嫌そうな顔をしていた。
「貴方達、逃げてもいいわよ? その代わり、ノルンを守って欲しい」
ノルンは、少し、むっとしたような顔になる。
「キマイラ、意地になっているでしょ。自分が何とかしないと、って」
ノルンは、不安そうな表情をしていた。
ホビドーとザルギャは顔を見合わせていた。
「俺達はプロだ。任務は遂行するつもりだ。奴の始末だろ? 問題無い。おそらく、脳を潰せば死ぬ可能性が高い。簡単な仕事だ」
そう、ホビドーは言い放つ。
「脳? 確かに、実験体の多くは、いや、生物の多くは、肉体に命令を送る脳を破壊すれば死ぬのだけれども、あの敵に効くのかしら?」
「イゾルダ、って奴が今の惨状を作っているんだろ? 街全体の化け物共は、政府に焼いて貰うとして、俺達はイゾルダを倒す。それで行こう」
ザルギャは、親指を弾いていた。
「キマイラ、なるべく近くまで共に行かないか? 俺が道を開ける。お前がイゾルダを始末する。それで行こう」
ホビドーと、ノルンは二人で話し合っているみたいだった。
「私達が、キマイラとザルギャを守るね」
役割の分担は、決まったみたいだった。
†
キマイラとザルギャの二人は、ノルンの能力イッツ・ノットの透明化する風呂敷によって、隠れていた。
それは、視覚情報しか遮断出来ないので、もし、敵が音や臭いに感付いて、此方を攻撃してきた場合、どう対処するべきかの判断に迷っていた。
そもそも、視覚にのみ頼る生物がどの程度いるのだろうか。
街中では、コオロギのような昆虫が、人々を頭から貪り喰っていた。腕や腸などの残骸が、そこら中に落ちている。
血の河が溢れ出していた。
「ああ、駄目だ」
ザルギャは溜め息を吐く。キマイラも頷く。
コオロギ達は、此方に眼を向けていた。そして、二人に向かって跳躍してくる。ザルギャは指先を振るう。糸が投げられて、巨大昆虫をバラバラにしていく。首を落としたり、胴を切り離したりしても、しばらくの間、虫達は動き回っていた。しかし、どうやら、それくらいのダメージを与えると、二人を見失ってしまうみたいだった。
敵陣を奥深く進む度に、怪物の量は増えていた。
ヤスデが、此方へと攻撃しようとしてくる。口の中から、粘液のようなものを噴出していく。キマイラは指先を回していく。気圧が混ざっていき、防御壁のようになり、吐き出された粘液の軌道を反らせていく。
ザルギャに向けられた粘液も、どうやら、彼に届く事は無いみたいだった。
途中、巨大なフンコロガシのような生物がいた。
そいつは、人や他の怪物や、瓦礫などを丸めて一つの球にしていた。
フンコロガシは二人を見つけて、襲い掛かってくる。
やはり、透明化の意味など無かったみたいだった。
背後から、ヤスデの怪物が次々に現れる。
……困ったわね……。
キマイラはザルギャを連れて、地面へと潜ろうとする。しかし、穴を掘るには多少の時間が掛かりそうだ。
フンコロガシの頭と、そして、ヤスデ達の頭が、さらさらっ、と、空中へと溶け始めていく。ホビドーのアシッド・フィールドだった。彼の援護によって、周りの化け物達は、片っ端から始末されていく。
二人はそのまま、イゾルダの下へと向かっていった。
神話の怪物のような姿をした男が、そこにはいた。
彼が立っている場所は、街の中でも、建造物が多く密集している場所だった。
建造物が、一度、根元から壊されて固められて、巨大な要塞のようになっていた。
「そこにいるのだろう?」
イゾルダは、振り向きもせずに、二人に告げた。
キマイラとザルギャは、ノルンのイッツ・ノットの風呂敷を剥がす。
「透明化する能力は無意味だ。お前達が来るとは思っていたよ」
おそらくは、音や臭い、もしくは体温などで充分、感知出来るのだろう。もしかすると、先ほど出会った研究所でも、わざとノルンは見逃していたのかもしれない。
彼にとって、もしかすると、ノルンは殺す理由が何も無い存在なのかもしれない。
「俺を始末しに来たんだろう」
彼は冷たい視線で、二人を見ていた。
「ええ。貴方はこの世界に生きていてはいけないと思うから」
ザルギャも、キマイラに頷くように、糸を鞭のようにしならせていた。
ぽつり、ぽつり、と雨が降ってくる。
キマイラは、少しだけ、蒼褪めた顔をしていた。この雨は間違いなく危険だ。
それは、何だったのだろうか。
熱帯魚やエイ、珊瑚、イソギンチャク、海蛇、貝、カニ、エビ、水草、ウツボ、それから、遠くにはサメなどが泳いでいた。
みな、空を飛んでいる。海の生き物達が、空を泳いでいる。みな、雨から生まれたのだ。雨の中には、何かの種でも入っていたのだろうか。
空中が、まるで、アクアリウムのようになっていた。
宝石箱をひっくり返したようにも見えるが、同時に、生命という存在が、剥き出しのグロテスクさを露呈させているようにも思えた。
ザルギャは焦っていた。
彼は肌が少しずつ、焼けているみたいだった。彼の周りを、何かが防護膜のように覆っていく。どうやら、ホビドーが彼を守っているみたいだった。
ふと、キマイラは思った。
……この男、このままだと……。悔しいわね。私は、また、一緒に戦う仲間を死なせる事になるのかしら?
記憶から掘り起こされていく。眼の前で肉塊になっていく少年、判断を誤らなければ死ななかったかもしれない二つになった少女、火の海の中に沈んでいく母子、ありとあらゆる死が思い出される。そして、共に戦った仲間達。自分が守れなくて死んだ。この世界が突き付けてくる無情さ。お前は弱いのだと言っているように思えた……。
……本当に、私はどうにもならなかったのかしら? 選択を間違えれば、簡単に人は死ぬ。そういうものでしかないと割り切るしかないのだけれども。
自分の隣に、かつての友人がいるような気がした。彼は顔半分が無くて、ザクロの実のようになっていた。彼の残った瞳は恨めしそう。
瞬間、世界が暗転する。
ザルギャの糸が、イゾルダの腕や胸に絡み付いていた。
「お前の肉体は鋼かそれ以上だな。この糸は人体くらいなら、簡単に切断出来るんだが」
イゾルダは微笑していた。
「どうした? 人間。お前らはこの程度か?」
「キマイラ、この男に俺の能力は通じない。お前がやれ。俺はお前を支援する。お前があの男の首を落とすんだ」
空中を泳いでいたサメが、キマイラの頭を飲み込もうとしていた。
ザルギャが、左手をくねらせる。
すると、サメの頭部がバラバラに刻まれて、操り人形の糸が切れたように地面へと落ちていき、同時に、サメの全身も地面へと落下していく。
「キマイラ、お前がやるんだ。お前が倒すんだ。俺が援護する」
瓦礫の中から、大バサミのようなものが生まれて、ザルギャを両断しようとする。彼は飛ぶ。牙だらけの魚達が、次々と、彼に襲い掛かっていく。全て、ホビドーのスズメバチの群生が、魚達を返り討ちにしていく。
キマイラは、懐から、何本かの針を取り出す。
これを、イゾルダの頭部に撃ち込まなければならない。
カクテル・パーティーのエネルギーを、針の中へと注入する。
キマイラは、針を投げ付ける。イゾルダは、ザルギャによって固定されている。
旋風のようなものが、ザルギャに向かって、突き抜けていったかのようだった。
ザルギャの紡いだ糸が千切れ飛んでいた。空中へと、雲散霧消する。どうやら、ザルギャの両腕は、千切れ飛んだみたいだった。イゾルダは難なく、キマイラの投擲した針を避けていた。どうやら、ザルギャを襲ったのは、鋭いヒレを持ったエイの怪物みたいだった。空中を悠然と泳いでいる。ザルギャは態勢を崩し、立っている場所から落下しようとしていた。しかし……。
ザルギャの黒髪が揺らめいていた。
髪の中から、何本もの糸を取り出して、自身の切断面を縫合していく。それらは、僅か二秒にも満たない時間だった。
「俺の糸は技術じゃない。俺は『ルーリング・ループ』という超能力で糸を操作している。キマイラ、もう一度だ。もう一度、撃てば。当たると思うっ!」
彼は激痛に耐えているみたいだった。縫合した両の腕の切断面から、血が勢いよく滴り落ちていた。イゾルダの全体重が掛かっているのだろう。
刃のヒレを持ったエイが、再び、自動車のように彼に向かって突進していく。おそらくは、ホビドーのアシッド・フィールドの蜂よりも素早いのだろう。
ザルギャと、キマイラは、互いの両眼を見ていた。
イゾルダは、獅子の四つ足で跳躍しようとしていた。
エイは、ザルギャの胴体を狙っていた。このままだと、ザルギャは二つに分けられるのだろう。
キマイラは、再び、針を投げ付けていた。
ザルギャの両腕が取れていた。糸が外れている。ザルギャは地面へと落下していく。イゾルダは、空へと飛んでいく。彼の背中から鳥の翼のようなものが生えていた。
イゾルダの胸元へと、キマイラの放った針が命中していた。イゾルダのいる下の辺りにも、針が通過していく。上か下か、どちらの位置に飛び去っても良いように計算して、投げ放ったのだろう。
ザルギャは、ワザと、自身の縫った両腕の糸を外したのだった。そして、イゾルダの跳躍する位置の大体を読んで、キマイラは針を放った。
針が、イゾルダの人間の胴体の奥深くへと喰い込んでいく。回転しながら、周辺の空気を集めているみたいだった。更に追撃として、キマイラは、立っている屋根の床を掻き毟って、石の欠片をイゾルダへ向かって投げ付けていく。
イゾルダの全身に、カクテル・パーティーの詰まった弾丸が撃ち込まれていく。
彼は無言だった。ぼろぼろ、ぼろぼろっ、と、針が、彼の肉体から引き剥がされていく。見ると、獰猛な顎を持つアリ達が集まって、イゾルダの身体に入り込んだ針を、周辺の皮膚ごと喰い破っているみたいだった。
イゾルダは屋根へと戻る。
途中、キマイラが投げ続けていた石の欠片は、空を泳ぐ魚達が食べていってしまった。
キマイラは、攻撃を命中させられない事に対して、内心、苛立ちと焦りを感じていた。
イゾルダは、いつの間にか、右手に巨大な槍を手にして、左手に、巨大な盾を手にしていた。槍は何かの巨大な獣の肋骨に見え、盾は獣の頭蓋骨にも見えた。
「ふん。キマイラ、貴様の考えを言ってやろうか?」
「あら、何かしら?」
「人の代表として、俺と対峙している気分だろう? そんな眼をしているな。以前にも、何度か眼にしたな。決まって、俺をカプセルに戻す奴らばかりだったが。俺が外に出てはいけないのだと言う眼をしていたな」
キマイラは飄々とした顔で、両の手をひらひらとさせていた。
「そんなつもりは無いのだけれども、貴方がそう思うのなら、そうなんじゃないかしら?」
「まあいい。俺は人間共を侵略するつもりでいるぞ。おそらく、お前みたいなのは無数にいるのだろうな。この世界が人という種の物だと考えて、その代表として、この俺に向かってくる輩はな」
彼は、静かに咆哮し、布告するかのように言った。
「俺の名前はイゾルダ。この世界の大地の癌だ。貴様ら人間共を踏み潰す者だ」
「そう、私はキマイラ。そうね。異端そのもの、って処かしら。別に人間全ての代表のつもりは無いわね」
彼女は自らの羊の角を撫でる。
この角は、彼女がこの世界と相容れない象徴そのものだ。イゾルダの気持ちは分かるような気がする。
イゾルダの四つ脚が獅子の脚から、馬の脚へと変わっていく。
そして、ライオンの頭部が火を吐き始めて、竜の頭部が紫の霧を吐き始める。火に触れた地面は焼け、霧に触れた建築物は腐食していく。
イゾルダは、キマイラの首を落とすべく、槍を振るっていた。彼は彼女へ向かって、突進する。
それは、刹那の時間だったのかもしれない。
二人の距離は縮まっていく。
イゾルダは、槍を振るう。それは原始の蛮族のような動作だった。
そして、その槍は、キマイラへと届く事は無かった。
イゾルダの四つの脚に、糸が絡まっていた。
ザルギャが全体重を使って、イゾルダにしがみ付いていた。彼は何も無い空中で、ブランコのように浮かんでいる。
「あんまり、人間の姑息さを舐めない事だな」
ザルギャは皮肉に満ちた笑いを浮かべていた。
イゾルダが解き放ち続けているモンスター達は、ザルギャを襲撃出来ずに、片っ端から、空気中で遠くにいるホビドーのスズメバチによって捕食され続けていた。
イゾルダは、キマイラが跳躍するのを見ていた。彼女の左手には、いつの間にか、ナイフが握られていた。
イゾルダは、怪物の下半身を切り離して、人間の上半身だけで逃れようとしていた。彼の背中に翼が生え、怪物の下半身と分離していく。
突如、まるで隕石のように降下した何かが、イゾルダの胸元と頭を切り裂いていた。彼は流れ出る血で視界が真っ赤に染まる。
切り離されたザルギャの両の腕だった。二本の腕は、それぞれ瓦礫の破片を手にして、イゾルダの皮膚を切り裂いたのだった。
「おの、おのれ、ああっ……っ?」
イゾルダは、自分でもよく分からない混乱した悲鳴を上げていた。
二本の腕は、空飛ぶイソギンチャクが捕食していく。
そして。
振り向くと、至近距離でキマイラと眼が合う。
イゾルダは、首を切り裂かれていた。
彼の首は、地面へと落下していく。
†




