第1部 隔離 09
翌週になると、ヌシと由衣が出席してきた。優介の件はみんな知っているので、よそよそしい雰囲気が教室を包み込む。しかし、そんな空気など知らぬかのように、森山が話しかけた。
「おはよう、元気になったか」
「まあね」ヌシが力のない声で答えた。
「なんだ、まだだめか。でもよ、いろいろ大変だった割に由衣は相変わらずデブだな」
とたんに由衣がむっとした顔になった。
「ちょっと、そんな言い方ないでしょ」
ヌシが立ち上がって森山を睨みつける。
「あはは、元に戻ったじゃねえか」
森山はへらへら笑いながら自分の席へ戻っていった。
「このこと、田原先生に言っとくからね」
「どうぞ、お好きなように」
森山は机の上に置いてあった漫画を読み始めた。
最初は、いきなりからかい始めた森山を訝しんだ。しかし、これをきっかけにして、戸惑いの表情を浮かべていた美佐子も、ヌシたちに話しかけ始めた。少々乱暴だったが、彼女たちを日常へ戻すため、森山なりに気をつかったのだろう。
一週間ほどすると、ヌシと由衣はすっかりクラスへなじんでいた。しかし、以前のように心の底から笑うような様子は見られなくなていた。俊はそれを意識するたび、息苦しさを感じる。ケラケラと輝くように笑っていたヌシの姿がもう一度みたいと思う。
「お前、もしかしてヌシが好きなんじゃないのか」
ある日の放課後、宿舎に帰ろうとしているところを突然森山にそう言われ、俊はどぎまぎした。
「図星だな」
森山がニヤニヤ笑った。
「そんなんじゃないよ」
「だってお前、よくヌシを見てるだろ」
「あんな事件が起きた後だから、ちょっと気になるだけだよ」
「だからだろ。そもそも好きじゃなけりゃ、気になんかなりゃしねえよ。その証拠に、由衣の事はどう思ってるんだよ」
「それは……」
「だろ」言いよどんだ俊を見て、森山が声を上げて笑った。「お前、ヌシが好きなんだよ」
「そんなことないったら」
「まあいいや。なんでこんな話をしたかって言うとさ、みんなで遊園地へ行こうかと思ってね」
「それ、どういうこと」
「もともとは俺が美佐子に誘ったんだけど、あいつみんなで行きたいって言うもんでさ」森山は柄にもなく、はにかみながらつぶやいた。「それで、お前も一緒に行かないかと思ってさ」
「そういうわけか」
今度は俊がニヤニヤ笑った。
ようやく森山の意図が見えてきた。山岡美佐子は、前に森山と福池が喧嘩をしたきっかけとなった子だ。思えば森山はことあるごとに美佐子へ話しかけていた。ただ、美佐子はどちらかというと、素っ気ない印象だったが。
「場所は富士見サンシャインパーク。なんでかって言うと、そこが一番審査に通りやすいからなんだ。どうも、警備しやすいらしいんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「白坂学園御用達だよ。ここにいる奴はほとんど行ってるんじゃないのかな。ヌシなんか六回も行ってるらしいぜ」
「グループデートか。ここでもそんなイベントをするんだな」
「おいおい、俺たちはJSだけど、それ以外は普通の中学生なんだぜ。デートぐらいしたっていいだろ」
「そうなんだけど、あんまりいろんな事件が続いてさ、これまで普通にしてきたことを忘れてたんだよ」
「確かにここへいると、いろいろ大変なことがあるよ。だけど、それを思い悩んでもしょうがないだろ。できる限り楽しまなきゃさ。
今回は福池以外のクロックメンバー全員で六人で行こうと思ってる。ヌシを誘えば絶対由衣が付いてくるからさ、そうすると五人になって釣り合いがとれなくなるだろうし、浜口だけハブキにするのもかわいそうだ。ただし、それだとライバルが出てきちゃうんだかな」
心臓が大きく跳ね上がる。顔にも出たのか、森山の笑みが大きくなる。
「浜口もヌシが好きらしいんだ」
「て言うか俺、別にヌシのことどうとも思ってないし。ただ浜口が、ヌシを好きなのが意外だっただけさ」
「そんなムキになるなよ」
「なってないって」
「まあいいや。ともかく行くか行かないか決めてくれ」
「行くよ」
「了解だ。ただし、ヌシと由衣がだめだったら中止だぞ。あんな事件があったし、のってくるかわかんないからな」
森山はそう言って走り去っていった。後ろ姿を見ながら、浜口がヌシを好きなんだという言葉を思い返す。俊は自分の心がざわついているのに気づいた。
会議室には白坂学園の全教員と、ヤフノスキ研究所付属病院の院長である岩田、研究室を代表して山原、そして警備担当の原口がいた。重苦しい空気が張り詰める中、もともと小柄な岩田が更に小さくなり、額から汗を滲ませながら謝罪していた。
「看護師長も、気がつけば引田君に注意をしていたそうなんです。ただ、各階への出入りまでは制限していなかったので、忙しいときには見落とす場合もあったのは事実です」
「引田君がぼんやり外を見ていれば、手間も省けるからほっといたんじゃないですか」
村井は眉根を寄せながら、いやみたらしく言葉を投げかけた。
「いえ、そんなことはありません」
「でも、看護師の皆さんは、屋上だけがシリンダーキーのままなのを知っていて放置してたんでしょ」
「確かにそうなんですが、まさかあそこから降りるとは思ってなかったようです」
「ストロンチウム製剤を服用しているとはいえ、アグノーを使えば降りるのも不可能でないことはわかっていたでしょうが」
「村井さん、今日の会議は、責任を追及するため開かれたわけじゃないんですよ」議長役の萩谷が口を挟んだ。「原因と再発防止のためなんですから。それ以上院長を追求しても進展はありません。屋上は既にIDカードでなければ入れないよう改修したわけですから、この問題は解決しているんですよ。
それより、さっきも話しましたとおり、福池君の処遇と、再発防止について、二つの課題が出てきているわけです。これを早急に決めなくてはならないのです」
「はい、申し訳ありませんでした」
村井の顔はまだ不満げだった。
「話を元に戻しましょう。岩田院長、福池君は今のところ病棟で過ごしておりますが、あと四年間このまま保護し続ける事は可能でしょうか?」
岩田はハンカチで汗を拭きながら立ち上がった。
「今のところ看護師が二十四時間体勢で監視に付いていますが、正直を申しまして、現状では人員的にぎりぎりの状況であります。しかも病室には鍵をかけられませんので、福池君が抵抗したら我々は催涙ガスと麻酔銃で対抗するしかありません。
もし、院内で催涙ガスを使うとなると、他の患者への影響は免れないでしょう。平本さんは意識のない状態ですから、すぐに逃げられません。引田君はコミュニケーションが難しく、逃げられるかは、その時の体調次第というところがあります。それに加え、院内には精密機器が多数置かれております。これが催涙ガスの影響で使えなくなれば、大変な損害となります」
「それで、岩田院長はこれに対してどのような案をお持ちでしょうか」
「やはり、福池君を別の施設へ移送してもらうのが一番かと思います」
「しかし、現状十八歳未満のJS患者を収容できる施設はここ以外ないわけですよ」
山原が発言した。
「特別教育室はいかがでしょうか」
「院長」川崎が苦々しげな顔をして立ち上がった。「三年間あんな狭い場所へ閉じ込めておくなんて、人道上問題がありますよ」
「もちろんそれは充分承知しております」岩田は再び汗をかき始め、ハンカチで額をぬぐう。「言葉足らずで申し訳ありません。私といたしましては、新たな施設を作るか、病院を改装していただく間、一時的に特別教育室へ移送してもらうのが現状最適ではないかと考えております」
「そうですか。先ほどの岩田院長のご発言は、福池君を特別教育室へ閉じ込めておけばいいとしかとれませんでしたが」
「いえいえ、そんなことはございません」
口では否定しているが、本音を言えば、福池から離れたいのだろうと山原は思う。確かに福池が精神的に病んでいることは確かだが、入院させる程の症状ではない。彼に必要なのは、どちらかというと、鑑別所的な機能を持った施設のはずだ。しかし、そんな施設は存在しないし、今後も福池一人のために予算が通ることはあり得ない。恐らくは岩田の言うとおり、ここの敷地内に福池を隔離できる場所を作るほかないのだろう。
「当面この状況で業務を進めるのは致し方ないとしても、私どもとしては早急に看護師の増員を申請する予定です」
「焼け太りだな」
村井の皮肉が聞こえてくる。
当日福池は、病院の屋上から抜け出した後、一人でいた優介の頸動脈をアグノーを使って締め、失神させてビルへ運び込んだ。二人の姿が監視カメラに映っていさえすれば、センサーは反応するはずだった。福池はすべて想定しており、優介を運び出すのにカメラの死角を通っていた。事件のあったビル周辺は無人だったこともあり、他と比べてカメラの数が極端に少なかったのだ。
「監視カメラについては警備課でも問題視しており、来週にも専門家が来て、問題点を洗い出す手はずとなっております」
原口は警視庁警備部出身だけあって、いかつい体つきと短く刈った髪の毛が、他の出席者とは際立っていた。いるだけで威圧感を感じさせる雰囲気を醸しだしている。岩田の時は激しく激しくなじっていた村井も、原口が発言している最中は、一言も喋ろうとはしなかった。
結局、会議では事件の起きたビル周辺の監視カメラを増強する、看護師の見回りを強化するなどが決議されただけだった。大きな予算を伴う事案はこのメンバーでは手に余るので、上へ諮ってもらうよう萩谷へ一任された。
「理事長も所轄官庁出身だから、岩田さんには甘いんでしょうかねえ」
村井はまだ不満なのか、会議からの帰り、廊下で隣りあった山原に話しかけてきた。
「たしかに萩谷さんは厚労省からの出向ですが、私から見ても、あまり岩田さんを追求するのは酷ではないかと思いますけど」
山原は何度も病院へ行き、引田と看護師の関係を見ているので、今回の件は仕方ないのではないかと思っていた。村井は、ほとんど病院へ足を運んでいないはずだ。
「そうなんでしょうか。山原先生は役所内部の駆け引きをあまりご存じないからそういう風におっしゃるんですよ」
「はあ」
「いろいろあるわけですよ」村井は訳知り顔で笑いかけた「ま、同じ所轄官庁ですから、お互い協力していきましょう。それでは」
村井は職員室へ入っていった。こういうときだけ同胞意識を出されてもねえ。山原はそっと苦笑いして、研究室のある棟へ向かった。
「山原先生」
後ろから声をかけられて振り向くと、川崎が駆け寄ってきた。どうやら、村井が離れていくのを見計らっていたようだ。
「どうかしましたか」
「けさ、クロックの森山君から外出の申請がありました。富士見サンシャインパークへ行きたいそうです。人数は六人で、その中には香織さんと由衣さんも入っています」
「あの二人、よく行く気になりましたねえ」
「でしょう。もしかしたらメンバーの中に誰か好きな人がいるかもしれませんね」
「ほう」
「男三人、女三人なんですよ」
川崎が微笑みを浮かべた。
「グループデートですか。いいことじゃないですか」
「でしょう。もっとも、中には反対する人もいるんですけど」
川崎はそう言いながら、村井が入っていった職員室のドアを見た。
「ともかく学校としては彼らの外出を認める方針なんです。後は委員会と警護どう判断するかです。ちょっと人数が多すぎる嫌いがありますから」
「他の委員には私からも話しておきましょう。ただ、警護に関しては技術的な問題もありますし何とも言えませんが」
「よろしくお願いします」川崎は頭を下げた。「あの子たちにはなるべく普通の生活をさせてあげたいんですよ」
「わかります。ここに長くいると、ついこれが日常だと思いがちになってしまいますが、それはやはり、異常な状態です。我々はそれをわかっていなくてはならないんです。外出の件については、最大限努力しましょう」