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第2部 血まみれの愛 17

 試験が終わってから二週間後、俊たちは長年住んでいた研究所を退去することとなった。

「基本、日本国内なら移動は自由だ。ただ、くれぐれも電波の届く場所にいてくれ。内閣府にあるホストコンピューターと一時間以上接続が確認されない場合、ジェネレータが作動する設定になっている。

 研究所から退所後は〈ヤフノフスキ症候群保護庁 管理局 規格外患者特別取締班〉へ所属してもらう。班長は館野で、その上司が私となる。主な業務は管理局警備課からの要請による出動だが、独自に捜査を行ってもらうこともある。

 出動要請があれば速やかに対処しなければならない。例えば出動要請があったにもかかわらず、孤島にいて当日の移動が難しいとなれば、懲戒処分の対象となる。人間であれば懲戒を重ねた場合、解雇されるだけだが、君たちは最終的に殺処分となるから充分注意してくれ」

「要するに、実質都内にいろって言うことね」

「そういうことだ。他に質問はあるか」

 塚原は研究所内のミーティングルームで、俊たち三人を見回した。椅子が十脚並んだだけの小さな部屋だったが、それでも三人しかいない状態は、何かが足りない印象を与えた。

 その正体はわかりすぎるほどわかっていたが、敢えて意識から外していた。そうしないと前に進めなかったし、俊にとって前に進むしか選択肢はなかった。

 それでも、心の片隅に、二つの陰が幻のように存在し続けるのは排除しきれない。恐らく、一生引きずっていかなければならないのだろう。

 ちらりとヌシの横顔を盗み見た。表情からはどんな感情も読み取れない。いつの間にか、頬の膨らみが消え、顎のラインに鋭さが現れているのに気づく。かつてのかわいらしさはなく、大人びた顔だった。あの夜からまだ大した月日は経っていないのに、急に変わった気がする。

 試験前のバスで激しく拒否されてからも、時々ヌシに話しかけたが、結果は同じだった。

「一体どうしてあのとき俺と寝たんだ」

 はっきりそう言ったときもあったが、口元に笑みを浮かべ、嘲りの目で返してくるだけだった。

 あのとき彼女が見せた涙や、柔らかな肌を思い出すたび、いたたまれない思いに駆られた。しかし、爆発しようとする感情は、彼女の氷のような表情によって、容赦なく傷つけられた。

 どうしてなのさ……

 訴えかける視線を投げかけたが、いつものように彼女は無視するだけだった。

 由衣と浜口は死に、かつてのヌシはもういない。すべてが変わってしまった。

「住む場所はどうすんだよ」

 森山の問いかけに、塚原がよどみなく答える。

「各自で都内に不動産を探してもらう。資金については生活費を含めた金額を保護庁が口座に振り込む。保護庁の職員として身分証明書も発行するから、通常の人間と同じ生活が出来るはずだ。君たち専門の診療所も作ったから、怪我や病気の時はそこへ行くように。君たちの身体から得られる情報は特定機密でもあるから、くれぐれも他の病院へは行かないでくれ」

 四年間住んでいた部屋は小さかったが、それでも多くの荷物を生み出していた。段ボールに荷物を詰め込み、いらないものは処分すると、初めてここへ来たときと同じ、空っぽの空間が現れた。

 当時の不安だった自分を思い出す。優しい言葉をかけてくれた山原、時折喧嘩もあったが、まだまだ明るい雰囲気の残っていたクロックのメンバー。そんな光景が、次々と脳裏を横切り、思わず目が潤んできた。

 保護庁の車で研究所を後にして、とりあえず都内のビジネスホテルへ宿泊した。チェックインして外へ出てみると、あまりの人の多さにめまいがしてきた。一緒に出かけた森山も「きついな」つぶやきながら、頬をひくつかせていた。それでもハンバーガーショップで、久々に出来立てのチーズバーガーを食べ、そのおいしさに心が震えた。

 夜遅くまで町を歩いた後、ホテルに戻った。興奮していたせいか、歩いている間は疲れを感じなかったが、シャワーを浴びたあと、急に眠気を感じてきた。目を閉じると、夢も見ずに眠ってしまった。


 翌日から住む場所を探すため、近くにあるチェーン店の不動産屋へ、森山と連れだって行くことにした。恐る恐る店内に入ると、制服を着た女性がにこやかに微笑みながら、カウンターの椅子を勧めた。アンケートを書いたあと、担当の女性がモニターを見るよう促した。

「ご希望は渋谷区ということですが、ご予算にあったお部屋となると、駅から遠かったり、築年数が進んでしまったりといった物件になってしまいますわ」

 店員が申し訳なさそうに言うように、画面に表示された部屋は今にも崩れ落ちそうなボロアパートだった。

「あの、上野とかだったらどうなんですか?」

「えっ、上野ですか。ちょっと待ってください」

 慌ててパソコンを打ち直し始めた店員を申し訳なく思いながら見ていた。アンケートには確かに渋谷と書いたが、正直適当で、どこへ住みたいという希望はなかった。

「このお部屋はいかがでしょうか。駅から近いうえ、築年数もまだ五年の物件で、人気のある物件ですよ。全面床張り、ロフトも付いていますからおしゃれでしょ」

 にこやかに話しかけてくる女性のスタッフに戸惑いながらも、俊はモニターに映った間取りの画像を眺めていた。

「失礼ですが、ご職業欄に公務員とありましたが、お仕事内容を教えていただけないでしょうか? そうすれば、ライフスタイルに合わせてベストなお部屋をご提案させていただきますが」

「はあ。それはちょっと勘弁してください」

 自分の仕事を正直に喋ったら、この人はどんな顔をするんだろうなと思う。

 支給された携帯電話が鳴った。出ると館野の声がした。

「緊急出動だ。松戸で規格外患者が発見されて民家に立てこもっている。五分でお前の所へ行くから道路に出ていろ。森村も一緒にいるだろ。奴にも言っとけ」

「森山、出番だぞ」

 戸惑いながら店員の話を聞いていた森山の顔に緊張が走り、体の周りに、アグノーが漂い始めた。そんな光景を見ていると、俺たちは一般の人間と違うんだと意識する。見た目は同じだか、自分たちの体はいつの間にか武器となっていた。牛の内臓を引きちぎったときの高ぶりが甦って、吐き気がしてくる。

「あの、お部屋……」

 殺気を感じ取ったのか、店員の表情が硬くなっていた。不安げな店員の目が、殺した牛の目と重なり、怖くなって視線を逸らす。

「ごめん、ちょっと用が出来たんで、また来るわ」

 あっけにとられている店員を後に、二人は店を出た。

 位置情報は、ジェネレータから発する電波でわかるはずだ。道路に立っていると、サイレンの音が聞こえ始めた。どんどん大きくなっていったかと思うと、通りの向こうから、赤色灯を点灯させた白いセダンが走ってきた。

 俊たちの前で車は止まり、後部座席へ乗り込んだ。運転しているのは館野だ。助手席にはヌシがいた。森山がドアを閉め切らないうちに、セダンは急発進する。

「おらっ、とっととどけよ」

 館野はサイレンを鳴らしてもどかない前の車を怒鳴りつけながら、クラクションを鳴らす。道はよくわかっているらしく、ろくにカーナビも見ず、迷うことなく道を選択した。猛スピードで走る車内で、緊張がどんどん高まっていく。

 斜め後ろからヌシの顔を伺う。彼女は振り返ることもなく、他人が電車に乗り込んだ時のように無関心だった。急に不安になって話しかける。

「ヌシ、お前先にいたんだな」

「悪い? 春政と一緒にいたからよ」

「春政……」

 館野を名前で呼んだヌシに、嫉妬の感情が湧き起こった。

「あはは、お前妬いてんのかよ。香織の処女膜破ったぐらいで自分の女になるとでも思ったら大間違いだぜ」

 ヌシも館野に釣られるようにして笑った。今まで聞いたことのなかった下卑た声で、更に衝撃を受ける。

 香織。春正……。どういうわけだ。

「なんだ、お前ら出来てんのかよ」

 森山があきれ顔でつぶやく。

「悪い?」

「別にいいんだけどさ、よりによって館野とはな」

「女なんてのはなあ、お前らみたいに柔な奴じゃあ満足しねえんだよ。強くなくちゃあいけないんだぜ。俺みたいにさあ」

 一体どうして……。由衣や浜口を死に追いやったのはこの男のせいじゃないのか。館野を憎むことはあっても、愛するなんてあり得ない。喉がからからに渇き出し、声が出ない

 セダンは幹線道路を抜けて、住宅街へ入っていった。道は狭かったが、スピードを落とさず進んでいく。

「現場はこの辺りなんだがな。香織、塚原に確認を取れ」

 ヌシは黙ってコンソールに取り付けてある、車両無線のマイクを取った。

「こちら特別取締官。現場の詳しい住所を教えてください」

――二つ先の交差点を左に曲がれ。警察車両が大挙して止まっているはずだ――

 館野は言われたとおり、二つ目の交差点を左折した。車体が大きく傾き、タイヤの鳴る音が聞こえてくる。俊は遠心力で倒れないよう体を手で支えながら前を見た。パトカーが前方をふさいでいた。

「特別取締官だ」警戒に立っていた制服の警官に館野が身分証明書を見せる。警官はJSを意識したのか、あからさまに恐怖の表情を浮かべ、パトカーの運転手に車を動かすよう伝えた。

「馬鹿が」

 館野は硬い表情で立っている警官に鋭い視線を投げかけた後、ゆっくりしたスピードで現場に入っていった。

「お待ちしていました」

 車から降りると、ヘルメットを被り、ライフジャケットのように膨らみのあるベストを着た三十代の男が近づいてきた。警備課の林原だった。ベストはエアバッグになっており、JSに飛ばされた際、膨らんでショックを和らげるよう設計されている。

「規格外患者はあの二階に立てこもっています」林原は道路沿いに面している、やや古ぼけた住宅を指さした。「竹中誠と村野由江の二名です。今から一時間前、規格外患者に似た男女がいるという通報を受け、警官がこの近くにあるアパートへ確認のため訪問したところ、襲撃を受けて逃走しました」

「部屋の見取り図は?」

「資料がないので、持ち主の老夫婦に書いてもらいました」

 館野は拙い手書きで書いてある図面を確認する。

「対象がこの部屋にいるのはマイクロ波探査装置で確認しています」

「了解だ。今回二手に分けて対象を殺害する。竹中は俺と香織、村野はお前ら二人だ。二対四だからな、ミスらない限り楽勝だぞ」

「捕まえるという選択はないのか?」

 俊の意見に館野が目を剥いた。次の瞬間、衝撃が襲い、吹き飛ばされてパトカーのドアに激突した。めまいを起こしながら起き上がった所で、胸ぐらを掴まれた。

「甘いこと言ってんじゃねえ。ミーティングで原則全員殺害と話してあるはずだ。そんなまどろっこしいことなんてやってられねえんだよ。

 こいつは戦争なんだ。こっちが殺らなければ、俺たちが殺られる。戦いを回避すれば、使えない奴として、殺処分の対象になる。

 わかったな、絶対あいつらを殺すんだぞ」

「ああ……」

「行くぞ」

 館野は突き飛ばすように、掴んでいた腕を放した。

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