第1部 隔離 03
事件のあった日から、まだ二日しか経過していなかった。しかし、俊にとって、それは恐ろしく長い歳月に感じられた。今のところ家族との接見は禁止されており、送られてきた衣類だけが、そのつながりを意識させるだけだった。
病室を出てから、衣類の入ったバックを持って、一階にある職員室へ案内された。中には十数人の人たちが机に向かって仕事をしていたが、山原はその中から男女一人ずつを呼んだ。
「まず、男性が君の担任となる田原先生。女性は副担任で、医師の資格を持っている川崎先生だ」
「よろしく」
俊はそれに軽く黙礼して返した。
田原は俊より二回りほど大きな体格だった。背丈は二メートル近くあり、横幅もかなりあった。少したるんだ頬の感じから見て、年齢は四十代ぐらいだろうか。
対して川崎は皺の多さからして、田原よりもう少し年上のようだった。やせ気味で、化粧気はない。俊が通っていた中学校にもいた、ベテラン教師のような雰囲気だった。
「君は四年間、ここでクラスメートと一緒に生活してもらう。その間、必要な教育もすべてこの中で受けてもらう。学校としての認可も受けているから、ここを出るまでには中学はもちろん、高校卒業資格も受けられるようになっている。言わば全寮制の学校へ入学したと思えばいい。実際、学校名も存在している。白坂学園中等部と高等部だ。JS研究所内に設置されているが、れっきとした教育機関だよ。
生徒数は中等部と高等部、君を加えて五十五人だ。各学年、十人前後しか生徒はいないが、授業は手抜きしない。むしろ少人数な分、きめの細かい指導を受けられるはずだ。
施設からの出入りは制限されるが、完全に禁止されているわけじゃない。申請すれば外出も可能だし、実家へ泊まることもできる。もちろん、家族がここへ面会に来ることも可能だ。
ただし、当然だが退学はできない。ここから出られないことや、人間関係でストレスが溜まる場合もあるだろうが、君はここへ留まるしか選択肢がないんだ。それを肝に銘じてくれ。ここでの生活について、私たちは最大限のサポートをするが、君自身が生活に溶け込まなければ始まらないんだ」
「あの、もし本当にここの生活が嫌になっちゃったらどうするんですか」
「あなたがさっきまでいた病棟へ移ってもらいます」川崎が答えた。「そこでも授業を受けて卒業資格は取れるけど、日々の生活は味気ないものになってしまうわ。私たちはみんなに集団での生活を経験してもらいたいの。それは大人になってから、代えがたい経験になっていくはずだからよ」
「それとだ、重要なことだが、これから四年間、許可なくアグノーを使用するのは禁止される。ストロンチウム製剤を飲むと、アグノーの八十パーセント以上が失われるが、すべてじゃない。無意識のうちに出てしまう場合があるので注意するように」
「あの……。アグノーてなんですか」
「JS患者が持っているテレキネシスを指すんだ。ギリシャ語で、不可知を意味するアグノストスを起源に持つ造語だよ。直訳すれば〈不可知力〉と言ったところだ。部屋の本棚に『ヤフノスキ症候群ハンドブック』があるはずだ。そこに詳しい話が書いてあるから、時間があるときに読んでおいてくれ。
最近の研究によると、頻繁に力を使用した患者より力を使わない患者の方が、成人した後、力を失う率が高いそうだ。おもしろ半分に力を使っていると、後で泣きを見ることになるぞ。
これから全校集会に出席してくれ。そこでみんなに君を紹介する。荷物はそこへ置いていくんだ」
俊は田原と川崎に挟まれるようにして職員室を出た。建物の突き当たりが渡り廊下になっており、その先に体育館があった。ワックスを塗った板張りの床や、壁に取り付けてあるバスケットゴールなど、見慣れた光景があり、俊は少しほっとした気持ちになれた。
奥に、生徒たちが並んで座っている。制服はないようで、それぞれいろいろな服を着ていた。人数は通常のクラスより少し多いくらいなので、ここにいるのが、さっき田原の言っていた全校生徒なんだろう。ふざけあったり、笑いながら話している様子は、普通の学校そのものだった。田原が彼らの前に立つ。
「おーい、静かにしろ」
田原は声を張り上げた。しゃべり声がやみ、一斉に俊へ視線が注がれる。
「今日からお前たちと一緒に生活してもらうことになった石黒俊君を紹介する。静岡生まれの十四歳だ。年代で言うとクロックグループにあたる。クロック、みんな立ってくれ」
から二番目の列がゆっくりと立ち上がった。笑いを抑えながら興味深そうに俊を見つめている者もいれば、全く無関心で下を向いている者もいる。
「中二はお前も含めると、全部で七人になる。みんな、細かいルールを石黒に教えてやってくれ。
それと、新入生が来たときはいつも言っているから、もうわかっていると思うかもしれないが、もう一度繰り返す。石黒はいきなりここへ連れてこられて、ひどく混乱している。お前たちもここへ来た時は同じように混乱していたはずだ。みんなその時の気持ちを思い出してフォローしてやってくれ。いいな」
「はーい」
パラパラと声が響いた。
「それじゃあ解散する。クロックはミーティングをするから教室へ行くように。石黒もついていけよ」
田原の言葉で、座ってた生徒も立ち上がり、出口へ向かっていく。その中で、クロックと呼ばれた連中だけは固まったまま移動した。その後をついて行く。
渡り廊下に出たとき、前を歩いていた男子が振り向いて立ち止まり、俊と並んだ。彼は口元に下品な笑みを浮かべていた。
「お前、何人殺したんだ」
瞬間、大量の血を流している梨山や、後頭部がつぶれた滝本、背骨が反対に折れたレイジたちの姿がフラッシュバックした。俊は動揺して立ち止まった。
「福池、やめなさい」
男子の行動に気づいた女子の一人が振り向き、きつい声でとがめた。
「図星か」男子は薄笑いを浮かべながら歩き去って行った。
俊は吐き気がして、思わず膝に手を着けて耐えた。
「大丈夫?」
見上げると、男子をとがめていた女子が心配そうに俊を見ていた。
「あいつ、福池っていうんだけど、人の弱いところをいたぶるのが好きなの。ほっとくとどんどんエスカレートしてくるから、気をつけたほうがいいわ」
「わかったよ」
「深呼吸してみて、落ち着くから」
言われたとおり、大きく息を吸い、吐いた。ざわついていた心が落ち着き始め、同時に吐き気も収まってくる。
「あたし、藤村香織よ。みんなヌシって言ってるけどね」
「ヌシ?」
「そうよ。よろしく」
ヌシが右手を差し出したので、戸惑いながら握手した。ヌシ。主という意味なのかと思うが、彼女はそんなイメージとはほど遠い。きれいに伸びた髪の毛は肩まで伸び、大きめの瞳は、気の強そうな輝きを宿していた。赤いギンガムチェックのブラウスから出た腕は、指先まですらりと伸びている。俊はどぎまぎして目をそらした。
「さあ行きましょ。遅れるわ」
ヌシが早足で歩き出したので、後をついて行った。
クロックの教室は職員室のある建物の二階にあった。室内は通常の教室の半分ほどのスペースだった。もっとも、クラスメートは六人しかいないので、これでもずいぶん余裕があった。ヌシと俊以外は全員席に着いており、話をしたり本を開いていた。さっき俊に話しかけた福池は、つまらなそうに外を見ている。
「空いているところなら、どこでも座っていいわ」
ヌシはそう言うと、さっさと他の女子が固まっているところへ座り、話の輪に加わった。俊は少し迷ったが、誰とも隣り合わない一番前の席に座る。辺りを見回したが、警戒しているのか誰も話しかけてくる者はいない。視線に福池の姿が入ってくると、自然に怒りが湧き起こる。
しばらくして田原が教室へ入ってきた。
「はい、こっち向け。これからミーティングに入る。まず、自己紹介からだ。男子からはじめろ」
順番は背丈で決まっているらしく、背の低い男から自分の名前を言い始めた。六人なのですぐに終わったが、全部の名前を覚えるまでにはいかなかった。
「次に石黒の教育係の選定だ。誰か立候補する奴はいるか」
さっきまで賑やかだった室内が静かになり、下を向いたり、きょろきょろと他人を伺ったりしている者がいたが、手を上げようとする者はいなかった。
「ヌシでいいんじゃねえの。さっきなんか話してたからさ」
自己紹介で森山と名乗っていた男が喋った。
「藤村は女じゃないか。男子寮を案内させるわけにはいかないだろ」
「あいつなら大丈夫っすよ。性格は男みたいなもんだし」
数人が笑い、ヌシが森山を睨んだ。
「あのお、僕がやりましょうか?」
おずおずと手を上げた男子がいた。細くて少したれ気味の目が、優しそうな印象を与えた。体型は少し太めで、白くて柔らかそうな肌をしている。
「浜口はもう経験してるじゃないか。それより森山、ごちゃごちゃ言ってるが、お前はやる気ないのかよ」
「俺、そういうのだめなんスよ。先生もわかってるじゃないっスか」
「簡単に決めつけるなよ。やってみなけりゃわからないだろうが」
「わかりますよ。俺、あれこれ人に教えるなんて、考えただけでへこんじゃうもん。それに、立候補した奴を尊重する方が筋なんじゃないっスか」
「確かにそうだかな。まああいい、他に誰か立候補する者はいないか」
ざわついていた教室が、再び静かになった。誰も手を上げる者はいない。
「じゃあ浜口に決定だ。浜口、二回目で済まないが、石黒へいろいろ教えてやってくれ」
「はい、わかりました」
ミーティングが終わり、クロックは散会した。他の生徒がどんどん教室から出て行く中、どうしていいかわからず、ただその姿を見ていた。
「石黒君、荷物はどこにあるの」
後ろから声をかけられて振り向くと、浜口がいた。伏し目がちに俊を見ている。
「職員室へ置いてきたよ」
「じゃあ、取りに行かなきゃね」
浜口が教室から出て行こうとしたので、ついて行く。他の生徒はすぐに出て行ってしまった様子で、廊下は静かだった。他の教室にも誰かいる気配はない。時刻は午後四時を過ぎているので、もう授業は終わっているのだろう。
「どうして僕の教育係に立候補したの?」
「手を上げる人がいなかったからね。女子の場合はヌシがやってくれるんだけど、男子はなかなかなり手がいないんだ」
緊張しているのか、浜口は時々つかえながらも、高めの声で話した。
「森山君、なんだか投げやりな感じだったでしょ。でもじっくり話してみればわかるけど、そんなに悪い人じゃないんだ」
職員室に寄って荷物を持って、校舎を出た。外はグラウンドが広がり、数人の生徒がサッカーボールを蹴っていた。浜口の話によると、寮はこの向かい側にあるそうだった。
「みんなグランドを横切って校舎に来るんだけど、本当は回り込んで行くのが規則なんだよ。先生が何にも言わないから、誰も守ってないんだ。きみも横切って問題ないと思うけど、そういう規則があるのは覚えておいた方がいいよ。先生も突然、規則違反だなんて言い出すときがあるからね」
浜口はそう言いながらグラウンドを横切り始めた。俊もサッカーボールに注意しながら、歩き出す。
「石黒君はサッカーに詳しい?」
「人並みには知ってるつもりだけど」
「じゃあ、アンダー十七で代表だった戸田充佳は知ってるかい?」
「思い出したよ。あの人、ここにいるんだ」
「そう、ちょうど今、ボールを持っている人がそうだよ」
ドリブルをしている男が、三人いたディフェンスを抜き去り、ゴールへ向かっていった。ペナルティーエリアで突っ込んできたゴールキーパーを、あっさりとループシュートでかわし、ボールはゴールネットを揺らした。彼は笑顔を見せると、ゴールポストの横に置いてあったペットボトルを掴んで飲んだ。背が高く、露出した腕や太ももはスリムだが、引き締まっている。日焼けしているのか、浅黒い顔が精悍だった。
戸田充佳。一年前、アンダー十七代表に選ばれたが、その後JSを発症して、代表を外れていた。当時は名前こそ報道されなかったが、その後のメンバー表を見れば、誰がJSとなったのかは明らかだった。将来は日本代表を背負って立つストライカーとして期待されていたが、その報道を境に、ぷっつりと情報がなくなったのを思い出した。
「五対一でも全然相手になんないや。ジューケー、相変わらずうまいよね」
「ジューケーって何なの?」
「ほら、あの人の名前充佳でしょ。あれを音読みにして、みんなジューケーって呼んでるんだ。ちなみに僕らより一歳年上だけど、ここは先輩とか後輩なんて関係ないからね。みんな呼び捨てか、君づけで呼んでるんだ。十六でいきなりここへ来る人もいるからさ、いきなり年下の僕たちに先輩面されても困るしね。僕たちのクラスが中学二年でなくて、クロックって呼ばれているのも、年代を意識させない配慮からなんだ。もし上下関係がきっちりしてたら、ヌシなんかたまったもんじゃないよ」
「もしかして、ヌシってここにいるのが長いからそう言われてるの?」
「ああ、それも知らなかったんだね。藤村がヌシって言われてるのはさ、十歳三ヶ月で発症したからなんだよ。これ、日本では最年少記録なんだ」
「そうすると、もう四年近くもここにいるんだ」
「ここが五年前にできたから、かなりの古株だよ。今、十七で片山君っていうのがいるんだけど、そいつと同じくらいじゃないかな」
宿舎は五階建てで、ベランダが見える。いかにもマンションといった作りだった。エントランスへ着くと、エレベーターに乗って、教えられた部屋番号へ向かった。
「女子の宿舎は食堂を挟んだ一つ向こうの棟になるんだ。ちなみに今僕たちはすんなり入れたけど、これはあらかじめ登録されているからなんだ。登録されてない人が入ると、たちまち警報器が鳴るらしいよ。一度村沢っていう男子が、仲のいい女の子の部屋へ行こうとして忍び込んだんだけど、すぐに捕まっちゃった」
三階を出て、廊下を少し歩いたところに俊の部屋はあった。どこかに生体認証センサがあるらしく、部屋の前に立つとドアの鍵が開く音がした。あらかじめ聞いていたとおり、ベッドやパソコンは備え付けてあった。着替えさえあれば、生活できるようになっている。
「ちょっと狭いけどね、慣れればどうってことないよ。注意してほしいのは火気厳禁ってこと。天井にセンサがあるから、ちょっとでも煙を感知すると、警報が鳴り出すよ。たまにタバコを持ち込む奴がいるけど、すぐに警報が鳴ってばれちゃうんだ。
トイレとユニットバスは各部屋にあるけど、キッチンはないんだ。食事は基本的に食堂ですることになる。どうしても料理をしたいときは、食堂の中に調理場があるから、そこでできるようになってるよ。
一日のスケジュールは、毎日アプリで更新してるから見といて。とりあえず、そんなところかな。食事の時間になったら呼ぶから、それまで荷物の整理でもしといてよ」
浜口が出て行って一人きりになると、どっと疲れが溢れてきて、ベットに寝転がった。同時に、人生が一変してしまったあのときの出来事が思い出されてきた。山原は仕方のないことだと言っていたが、三人を殺したのは間違いない事実だ。あまりに理不尽な出来事に、自然と涙が出てきて、止まらなくなった。
ふと横を見ると、パソコン机に置いてあったボールペンがふわりと宙に浮いていた。「あっ」と小さく声を上げると、ボールペンは落下して床へ落ちた。どうやら無意識のうちにアグノーが出ていたようだ。気をつけなければと思う。
この先どうなってしまうのだろうか。JSであるという事実が重くのしかかり、俊を押しつぶそうとしていた。