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第1部 隔離 02

「俊君、目が覚めたかな」

 その言葉に、ぼんやり天井を見ていた目を横へ向けた。そこに一人の男が座っていた。小柄な背丈だった。茶色のスラックスに、ノーネクタイのワイシャツを着ている。童顔で大きな瞳だったが、顔の皺が多く、白髪頭から地肌が見えている。きっとそれなりの年齢なのだろう。彼は笑みを浮かべながら、俊を見つめていた。

 部屋は狭く、家具は俊のベッドと、山原が座っているパイプ椅子だけだった。窓からは午前中特有のみずみずしい日差しが差し込んでいた。どこからか、空調の音が響いているのがわかる。

「ここは独立行政法人国立ヤフノスキ症候群研究センターだ。私の名前は山原昌広。JSの研究者で、このセンター内にある研究所で所長をしている。よろしく」

 山原は右手を差し出した。横になったままでは失礼だと思い、上半身を起こして握手をした。山原は笑みを浮かべたまま、何度か頷いた。

「親御さんは、君にしっかりした教育をされているようだ」

「あの」出した手をすぐに引っ込め、おずおずと訪ねた。「僕、どうなっちゃったの」

「ヤフノスキ症候群という言葉は聞いたことがあるね」

「はあ」

 その言葉を聞いたとたん、意識を失う前の出来事が一気に頭の中で再現され、強烈な恐怖が突き上げてきた。

「俊君、落ち着くんだ」

 動揺を悟ったのか、山原は身を乗り出して手を握り、目を見た。「君が怖がるのも無理はない。世間で流布している情報は、センセーショナルなものばかりクローズアップされすぎているからね。でも、実態とはかけ離れた面が多くあるんだ。私は一般の人よりも、この現象についてかなり詳しいと自負している。これからしっかり説明するよ。もちろん君が置かれている立場は簡単なものじゃない。だけど、問題は必ず克服できる。私はそう確信している」

 話している山原の目は澄んでいて、噴き出した恐怖や不安が、その中へ吸い込まれていくような気持ちになっていく。俊は徐々に落ち着きを取り戻していった。

「大丈夫かい」

「はい」

 山原は頷きながら握っていた手を離し、ジャケットの内側から、一通の封筒を散り出した。中から折りたたんだ紙を取り出し、俊に渡す。

「今から三時間前に行われた、ヤフノスキ症候群認定委員会の結果だ」

 紙には「ヤフノスキ症候群認定通知書」と書いてあり、石黒俊の名前があった。俊は再び強い恐怖感が突き上げてくるのを感じた。

「俊君はヤフノスキ症候群について、どんなイメージを持っているかな」

「化け物」

 山原は声を上げて笑った。「ストレートだね。確かにそんなことを書いている雑誌もあるけど、本当はそんなものじゃない。みんな、君のような普通の人さ。

 ヤフノスキ症候群はその名前の通り、二千十七年、ポーランドの精神科医であるニコラス・ヤフノスキが初めて発表した症状だ。彼は自分の受け持つ情緒不安定な患者の中に、テレキネシスの能力を持っている児童がいるのを発見した。彼らの多くは十二から十五歳にかけての、思春期が始まる頃に発病する。患者は特定の人種や性別、階層、集団などには関係なく、一定の割合で分布しているのもこの病気の特徴だ。

 この症状の問題はテレキネシスという概念を人々が受け入れられないことにある。なにしろ念力なんて、まともな人なら最近まで、手品師のネタとしか思っていなかったからね。未だにヤフノスキ症候群を、インチキだと発言する評論家が支持されているのも、こうした思いが根強く残っているからなんだよ。

 しかもテレキネシスを起こす根本的な原因がつかめていないのが、さらに問題を複雑にしている。世界中でいろいろな説が出ているが、どれもまだ仮説の域を出ていない。そうこうしているうちにこうした能力を犯罪に利用する人たちも出てきた」

「僕みたいにですか」

「違う違う」山原は首を横に振った。「あれは事故さ。君はそれまで、自分の能力を知らなかったんじゃないのか」

 俊はおずおずと頷いた。

「自分の症状を想定せずに発揮させてしまったのは、あくまでも事故なんだ。意識的に能力を悪用するのが犯罪だ。

 話を戻そう。それは患者の中のごく一部だったが、自分の能力を使って、殺人や騒乱を起こすものが現れ始めた。ところが、彼らを裁ける法的な証拠が出てこなかったんだ。

 たとえば人を殴ったら明らかに傷害罪だ。しかし、テレキネシスを使って相手を殴っても、証拠が見つからない。近くにJSの人がいたとしても、彼が本当に能力を使ったのか誰も証明することはできない。そもそも、力について科学的な根拠が示されていない状況では、テレキネシスを凶器として提示することさえ困難なんだ。

 こんな中、危険を感じた一般の人たちが、JSの犯罪者たちを襲う事態が続出した。それはパニックとなってエスカレートしていき、とうとうJSというだけで暴行を受けたり、殺害される人たちも出てきた。

 そこで各国の政府関係者は混乱を避けるため、法整備を進めることになった。我が国では「ヤフノスキ症候群保護法」という形で法令化された。この法律について世間でのイメージは、JS患者を隔離するというイメージが強い。だけど、あくまでも名前の通り、JSの人たちを保護するために制定されたんだよ」

「でも、僕はここへ拉致されるみたいな形で連れてこられました。これって保護なんですか?」

「もちろんさ。保護というのは、君が持っているテレキネシスからの保護も含まれている。テレキネシスという力を、君自身はコントロールできていない。結果、事故とはいえ、君は三人の人の命を奪ってしまったし、君自身もひどく傷ついてしまったはずだ。そうした混乱から君を保護するため、こうした手段をとらせてもらったんだよ。もちろん、少々手荒いやり方ではあったが、仕方がないことだった。あの時点で今の私のような説明を始めたら、興奮状態の君がどうなるかわからなかったからね」

「でも、思うんだけどさ、もし僕がここで暴れたりしたらどうするんだい?」

 一瞬、山原の顔がこわばった。息を吐き、柔和な笑みを取り戻す。

「俊君、君は私を突き飛ばしてこの部屋から出られるだろう。しかしこの施設を警備している者が麻酔銃で君を眠らせる。もしそれでも収拾が付かないようなら、厚生労働大臣の許可を取り、実弾が使用される」

「でしょ」俊は嘲るように笑った。「前にJSの人が射殺されたってニュースをテレビで見たことがあるんだよ。それだったら、保護法なんかじゃないでしょ」

「そういう事例は確かにある。しかし一見矛盾しているように思えるが、これもJS患者を保護するためなんだよ。JS患者の一部が秩序を乱せば、他のJS患者へ大きな影響が及ぶし、排除派からの圧力も強まっていくんだ。

 武器使用の条文は、この法律を制定するときにずいぶんと問題になったよ。しかし、あれを盛り込まなかったから、法律自体が廃案となり、混乱が続いていったかもしれなかったんだ。そうした事情はわかってほしい」

「よくわかんないけど、結局そういうもんなんでしょ。で、僕はこれからどうなるの?」

「ここは全国から君のようなJS患者として認定された子供が集められていて、十八になるまで過ごすことになっている。その間、施設からの外出は制限されることとなる」

「十八歳、ですか」十四歳の俊にとって、四年間という歳月は絶望的なほどの、長い道のりだった。

「そこでだ。君にはこれからこの錠剤を二週間に一度、四錠ずつ飲んでもらうこととなる」

 山原は立ち上がり、一旦外に出て、水の入ったコップと小さな封筒を持ってきた。ヘッドボードの台にコップを置き、封筒からセロファンパックに入った白い錠剤を取り出す。

「主成分はストロンチウムだ。原因は不明だが、ストロンチウムを一定の割合以上摂取すると、力が八十から九十パーセント失われる。JS患者は、これを必ず服用するよう定められているんだ。今までの実績によると、発病当初からこれを服用し続けると、十八歳までに十パーセントの確率で、症状がほぼ消えることが確認されている。

 十八になると、半年年間ストロンチウム製剤の投与が中止される。そしてJSの症状が出ない場合は認定から外され、施設を出られるようになる。もちろん、定期的な検査は義務付けられているがね」

「それでも症状が消えない場合はどうなるんですか?」

「引き続き、施設での生活を送ることになる。こことは別にある施設で、治療を続けるんだよ」

「一生、ですか」

「それはわからないよ。何しろ最初にJSの症状が確認されてから、まだ十年経過しているだけなんだ。近い将来、画期的な治療法が見つかるかもしれないし。

 俊君、この錠剤を飲んでくれないか。君が意識を失っているときに投与する方法もあったんだが、私が反対したんだ。なぜだかわかるかな」

 俊は首を振った。

「君がこれからの生活に順応してもらわなければならないからだよ。君が置かれている立場は理不尽だ。でも、それを受け入れていかなければ、さらに理不尽な思いをしていかなければならないんだ。それを理解してほしい。この錠剤を自ら飲むことは、この生活を受け入れる重要な一歩となるんだよ」

 山原は言葉を切り、じっと目を見つめた。俊は視線をそらし、錠剤を見る。山原が頷くのがわかった。

 錠剤を手に取り、再び山原を見る。

「山原さんは……。僕が怖くないんですか」

「君は確かに強い力を持っているけど、優しい心の持ち主だ。私には見えるんだ」

「見える?」

 山原は俊の目を見ながら、ゆっくり、力強く頷いた。

「私には見える。君は不安で震えているが、暴走しようとしている感情を必至で抑えているんだ。やさしくなければそんな風にならないだろ」

 確かにそうだった。揺れ続ける世界で、倒れそうになるのを必死で堪えている自分がいた。

 この人は自分をわかっている。久しぶりに安心感がわき起こってきた。

「さあ」

 山原はそれ以上何も言うことなく、俊を見続けた。

 おもむろに口に含み、水で流し込む。

「ありがとう」山原は右手を差し出し、握手した。「ようこそ。JS研究センターへ」


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