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第1部 隔離 16

 俊に面会通知が来たのは、水楢の枝に芽が吹き出した、三月の半ばだった。面会許可は既に去年の冬から下りていたいたので、電話では何度か話していた。ただ、実際会うのは今回が初めてだった。

「遅くなってごめんねえ。すぐ会いたかったんだけど、引っ越しとかしなくちゃならなかったから、なかなか行けなかったのよ」

 電話口で母親の明子はすまなそうに話した。

 面会時間は午後二時で、当日は午前中の授業が頭に入らないくらい緊張してしまった。

「俊、どうかしたの」

 田原の質問にとんちんかんな答えをしていた俊に、ヌシが不思議そうに聞いてきた。

「今日、親と面会するんだ」

「もしかして、初めて会うの?」

「うん」

「ふうん、そうなんだ」

 ヌシは素っ気なく答え、教科書へ目を落とした。

 永遠に思えるほど長く続いた午前の授業が終わる。食欲はなく、食事は半分残してしまった。午後の授業が始まり、緊張がピークに達し始めたところで、校内放送が響いた。

「クロックの石黒さん、面会の方が来ています。ビジターセンターへ行ってください」

 メンバーからの視線が、俊へ注がれた。

「石黒、行ってきなさい」

 田原が言う。少し緊張を帯びた声だった。そういえば、他の生徒たちの表情もこわばっているように思えた。一瞬疑問が湧いたが、すぐにこれから両親と会うことに心を奪われ、意識から閉め出される。

 立ち上がり、教室を出た。誰もいない廊下を早足で進んで階段を降り、靴を履き替えて外へ出た。今日は風が強かった。春とはいえ、風は真冬並みに冷たく、鼻や耳たぶから熱を奪い去っていく。

 グラウンドを横切り、本館と呼ばれている建物へ入った。その五階にビジターセンターがある。そこで呼び出しチャイムを押すと、二階から山原が降りてきた。笑みを浮かべていたが、田原と同じくやや緊張しているのがわかる。

「山原先生、どうしたんですか?」

「ずっと家族に会っていないと、いろいろ勝手が違って動揺することもあるんだ。だからいつも、最初の面会の時は、私が見るようにしているんだよ」

「そうなんですか」

 山原がエレベーターのボタンを押した。ドアが開き、二人はエレベーターへ乗り込む。

「さあ、行こうか。お母さんと弟さんが待ってるよ」

「あのう、やっぱり今日、父さんは来ていないんですか?」

「ああ。お母さんと弟さんの二人だけだ」

「どうして父さんが来なかったのか知ってますか」

「それはお母さんに聞いてくれ」

 知らないのではなく、母親から直接話すという意味なのだろうか。俊の中で、急に不安が頭をもたげてきた。さっきの田原や、クラスメートが浮かべた表情が、妙に気になってくる。引っ越しにしても、俊がいたときは一切そんな話はなかったので、最近決まったのだろう。実家はどうなっているんだろうか。

 三階へ着き、廊下を歩いた。いくつかある部屋のうちの一つの前に立ち、山原がドアを開ける。恐る恐る中へ入った。教室の半分ほどのスペースに、応接セットが置かれ、母親の明子と、弟の文哉が座っていた。俊に気づいた二人が、緊張した表情を浮かべる。

 一瞬、目の前にいるのが自分の母親なのかわからなかった。

 最後に見たときはもっとふくよかだったはずなのに、今はかなりやつれている。顔の皺も目立ち、白髪が多くなったように思えた。俊は、二人の向かいに座った。

「制限時間は特に設けてありませんが、帰りの車を手配する都合もありますので、二時間程度で切り上げるようにしてください」

 山原が部屋を出て行った。三人の間に、沈黙が訪れる。話したいことや聞きたいことは山ほどあったが、話すのが怖くて、なかなか切り出せなかった。

「俊、病気とかしてないの?」

 ようやく、母がおずおずと口を開いた。

「うん、大丈夫。お父さんはどうしてるの?」

「それがねえ、脳梗塞を起こして、今は寝たきりなのよ。一応命は取り留めたんだけど、左半身が麻痺しちゃって、言葉もうまく喋れないの」

「そうだったんだ」

 地元スーパーで店長をしていた父親の晴彦を思い出していた。一応休みはあったが、何かトラブルがあると出向いていかなければならず、ほとんど休みを取ったことのない。いつも疲れたという言葉が口癖だった。特に趣味もなく、タバコぐらいが唯一の楽しみだった人。

 そんな父親が倒れていた。

 俊はショックで言葉も出なかった。

「退院のめども立たないから、家のローンも払えなくなっちゃったわ。一応保険にも入ってるんだけど、障害の程度が当てはまらないらしくて、ローンも免除にならないみたいなの。それで、今は家を売ってアパートに住んでいるのよ」

「家も、なくなっちゃったんだ……」

 更なるショックが襲った。いつかは帰るんだと、心の片隅で思っていた我が家が、もうないなんて。

 しかし、それ以上のショックが俊を襲った。

「ねえ母さん、言ってやりなよ。みんなこいつが悪いんだって」

 それまで黙っていた文哉が口を開いた。

 俊を見る目には、憎しみが浮かんでる。

 俊は殴られたような衝撃を感じ、頭の中が真っ白になった。

「文哉、やめて」

「お前がJSになったばっかりに、みんなめちゃくちゃになっちゃったんだ。父さんがなんで寝たきりになったかわかるか」

 俊は戸惑い、ただ首を振るしかなかった。

「父さんが勤めていたスーパーに、苦情がいっぱい来たんだ。JSの父親が店長をしていて、自分の子供にJSがうつったらどうするんだってね。スーパーの売り上げも激減しちゃって、結局やめさせられちゃったんだよ」

「むちゃくちゃだ。JSがそんな簡単にうつるはずないじゃないか」

「そんな理屈、文句を言ってる奴らに言ってくれよ」

「スーパーの社長さんも、俊の言ったことはわかってるけど、現実そういうお客さんがいるからねえ。背に腹は代えられなかったの」

「そのあと、父さんはトラックの運転手を始めたんだ。母さんはJSの親だなんて言われるから、今までみたいにパートへ出られなくなっちゃったんだ。だから、少しでも実入りがいいように、朝から晩まで仕事したのさ。でも、疲れが溜ってたみたいで、倒れちゃったんだよ。

 それだけじゃない、俺だってJSの弟だって学校で言われて、いじめられたんだ。家にも石を投げられたり、ここから出てけとか張り紙をされるし。玄関に、猫の死骸が置いてあったときもあるんだぜ。ほんと嫌だった」

 途中、文哉は涙声になっていた。

「だから俺、引っ越しできて、せいせいしたんだよ。あんなところ、もう二度と住みたくなんかないんだ」

 母親も耐えきれず、嗚咽を漏らし始めていた。

「もう、お前なんかとは縁を切ってやるんだ。母さん、そうだろ」

 文哉から向けられるむき出しの憎しみに、ふつふつと怒りが湧き起こってきた。

 一体俺が何をしたっていうんだ。全部、俺がいるだけで悪いみたいじゃないか。

 ふいに、空気が重くなっていく。しかし、母と弟はそれに気づいていない。

 俊の中で、制御できない力が噴出しようとしている。

 だめだよ。心の中でつぶやきながらも、湧き出してくる力を押さえられない。体が、小刻みに震えてくる。

 ドアが開いて、山原が入ってきた。彼は微笑みを浮かべ、座っている俊の肩に手を置いた。

「お母さんと文哉君。俊君は少し疲れているようです。誠に申し訳ありませんが、ここで面会を打ち切らせていただけませんか」

 母親はほっとしたように息を吐き、頷いた。文哉も、不満げな顔をしていたものの、頷いた。

「さあ、行ってください」

「俊、元気でね」

 絞り出すような声だった。文哉は憎しみに満ちた視線をそらし、無言で出て行った。

 ドアが閉まった後、山原は俊の横に座り、彼の両肩をしっかりと掴んだ。

「俊君、落ち着くんだよ」

 山原の顔は微笑みを浮かべたままだったが、目は真剣みを帯びていた。

 呼吸が荒くなり、それは嗚咽へと変わっていった。空気が、柔らかくなっていく。

「俺……文哉を殺しそうになっちゃったよ」

「大丈夫だ。もう、だれも君を傷つける人はいないよ」

 俊は泣きながら繰り返し頷いた。

「偉かったよ。よく頑張ったね」

 山原が肩を軽く叩いてくれた。だんだんと、荒れていた心が穏やかになっていく。

 ようやく教室を出たときに見せた、クラスメートたちの微妙な表情の意味を悟っていた。みんなJSの子供を抱えた家庭に対する世間の風当たりが、いかに強いかわかっていたのだろう。文哉のようにプレッシャーへ耐えきれず、自分に向かって怒りをぶつけてくる家族も多くいたに違いないのだ。

「ねえ、山原先生。僕たちは、なんでこんな目に遭わなくちゃいけないんですか。美佐子だってそうでしょ。力を持っているっていうだけで、あんな姿にさせれられちゃったし。僕らは治らないんですか?」

「JSについての原因はまだわかっていないんだ。我々を始め、世界中の研究者が調べている。けれど判明しているのは、どうやら脳の一部と骨髄から出ているらしいことぐらいだ。健常者と肉体的な違いがあるわけでもないし、DNAを解析しても異常は見られない。正直な話、研究は停滞しているよ。

 しかしだ。医学的な観点ではなく、この現象を社会的、進化論的な観点から考えたらどうだろう。

 人間は進化する過程で、様々な能力を手に入れてきた。たとえば、言葉を話す能力だ。これにより、人間同士で高度なコミュニケーションが可能になり、人類の発展に貢献した。君たちが持っている力も、そうしたそうした能力の一つではないかと私は思うんだ。

 現在、君たちの能力は、〈ヤフノスキ症候群〉という病気として扱われている。でも、長いスパンで考えれば、それは進化の一過程ではないのかと思っているんだ。言語能力と同じように、神様からのギフトじゃないかと私は思っている」

「ギフト?」

「そう、ギフトだ。君たちの能力は将来、すべての人が持つようになり、社会の発展に貢献することになると思っている。

 しかし、今はまだ過度期なんだよ。人類は君たちの能力を使いこなせていないんだ。言語能力はすばらしい能力だが、半面、その言語を理解しない者にとっては障害でしかない。

 渡り鳥や回遊魚のように、言語能力を介さず、きちんとした群れで行動できたなら、人類間で起きる争いの大半は簡単に解決できるのではないかな。なまじ言葉があるから様々な誤解が生じる。けれどその代わり、今のような社会の発展は望めなかったはずだ。

 君たちのように力を持っている子供たちの割合は、わずかではあるが、毎年確実に増えている。将来は全人類が、この力を獲得すると私は考えている。ただ、それまでには長い歳月がかかるはずだ。

 正直に言うが、この問題は簡単に解決しないし、君の将来は平坦じゃない。これからも辛いことがたくさんあると思う。しかし、それは決して無意味じゃないんだ。君の苦しみは将来、人類の発展に貢献するはずだ」

「そんなもん、慰めになんかならないよ。俺は苦しくてたまんないんだ」

 激情が、俊の体を突き抜ける。

 瞬間、目の前にある木のテーブルが爆発して、粉々に砕け散った。山原は表情を変えることなく、俊を見つめていた。

「君は優しい子だ。こんな時、大概の子は怒りを私に向けてくるのだが、君は机に向けてくれた」

「意識してやったわけないだろ」

「もちろんそうだろう。でも逆に、無意識で私を避けたことが重要なんだ。それは君が、心の底から人を傷つけたくないと思っているからなんだと思う」

「馬鹿言ってら」俊は涙に濡れた顔を怒りでゆがめ、山原に向け

た。「お前なんかに俺たちの苦しみがわかるわけないだろ」

 爆発しそうな思いが膨れあがる。

 再び空気が重くなっていく。

「催涙弾をぶち込んだ方がいいんじゃないのか」

 皮肉な笑いが浮かんでくるが、山原は微笑んだままだ。

「大丈夫さ。私には見えるって言っただろ」

 目には怯えも怒りもなかった。優しさで満ちあふれている。

「君は暴れたりなんかしない」

 そっと肩に触れた。

「確かに私は君の苦しみがわからない。だがね、君の持つ力は神様からのギフトだという考え方は、忘れないでくれないか。今は自分にとって悪でしかない力も、やがては善に変わり、人々に幸福をもたらすということを信じてほしい。私はそのために、できうる限り力になりたいと思っているんだ」

 澄んだ瞳が、怒りを吸い込んでいく。

 大きく息を吐いた。落ち着きを取り戻していく。

 代わりに、無力感が体を包み込んでいった。

 俊は力なく首を振り、涙を流し続けた。


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