その4
○登場人物
宮尾大和・みやおやまと(特に何かに秀でたこともなく毎日を生きている)
橋山加奈子・はしやまかなこ(生まれつき病気を抱えたまま生きている)
南江くるみ・みなみえくるみ(加奈子の友達で良き理解者)
山津高志・やまづたかし(大和の小学校からの友達)
村石樹・むらいしいつき(大和の中学校からの友達)
武正七恵・たけまさななえ(大和の高校の同級生、自由人で大和を気にかけてる)
橋山達夫・はしやまたつお(加奈子の父親、医者で加奈子の病気を気にかけてる)
橋山時枝・はしやまときえ(加奈子の母親)
4月の末に退院した加奈子ちゃんは連休明けから小学校に行くことになった。
それまでの間、僕らは会うことも話すこともなかった。
意図的なものではなく、気持ちが遠くなったわけでもない。
会うことについてはそれだけの用事がなかったから。
入院中はお見舞いという明確な目的があったけれど、いざそれがなくなるとあらため
て会うほどの用は見当たらなくなってしまった。
話すことについてはそれだけの勇気がなかったから。
お互いの家の連絡先は交換したけど、いざ電話をかけるとなると問題があった。
電話をかける用件なら加奈子ちゃんの体調を気づかうっていうちゃんとしたものがあ
るんだけど、問題はこちら側にあった。
率直にいうなら、それはウチの家族だ。
僕が加奈子ちゃんを助けたことの経緯は家族全員が知ってるし、放課後に必ず病院に
寄ってから帰ってくることも知ってる。
けど、わざわざ向こうに電話をかけてる姿を見られるのは恥ずかしい。
まだ他の家に個人的に電話したことがなかったし、その相手が女の子っていうのがま
た一つ壁を高くしていた。
珍しがられるだろうし、冷やかされたりしたらたまらない。
そこまでの勇気を出すことはできなかった。
家族が誰もいない隙があればよかったけど、連休中だったからそうもいかない。
大体どの日も家族で出かけてたし、母親だけ近くに買物に行くときでも父親は家にい
たし。
向こうからも連絡が来ることはなかった。
加奈子ちゃんに普段通りの生活をさせることが第一だから、こっちにまで気がまわら
ないのはしかたない。
うまいぐらいに不都合は重なって、気にはかかってたけど何も行動を起こすことはな
かった。
そして、連休が明けた初日。
加奈子ちゃんにとっての初登校の日が訪れた。
僕らにとってはまた厄介なことが始まったわけだけど、彼女にとっては新しいことが
始まる記念日になる。
きっと、期待に胸を弾ませてることだろう。
僕も気になって、登校したときに加奈子ちゃんの教室をのぞいてみたけどまだ姿はな
かった。
その後、教室移動のある休み時間に通りがけに廊下からのぞいてみると今度は姿を見
つけられた。
クラスメイトらしき女の子2人と話をしていた。
一人きりになってないかなと心配もしてたから、それを見て安心できた。
結局、この日は加奈子ちゃんと面と向かい合うことはなかった。
会ったり、話したりはしたかったけど、一歩を踏みだせなかった。
連休中に引けてしまった気がそのまま戻らず、どこか後ろ向きになってしまってたん
だろう。
小学校で加奈子ちゃんと交流があったのは次の日だった。
この日も教室移動のある休み時間にちらっと廊下から見れたぐらいだったけど、その
後があった。
放課後に帰ろうと歩いてると、校門を出た一つめの曲がり角を折れた先で後ろから肩
をポンポンと軽く叩かれる。
振り向いてみると、そこには加奈子ちゃんがいた。
突然だったから反応できずにいると、加奈子ちゃんはいつもの笑顔を見せてくれた。
「一緒に帰ろう」
とりあえずうなずくと、横に並んで歩きだしていく。
「久しぶりだね」
「うん」
こうやって話すのはもう連休前以来になる。
あらためて接するのに慣れない感覚が生じるぐらいだった。
大人になればあっというまのことでも、このころはまだ時間の過ぎるのがずいぶん長
く感じられてたから。
「元気?」
「うん、全然大丈夫」
確かに、横にいる加奈子ちゃんには快活な印象しかない。
生まれつき体が弱いってことを知らなければ、まったくそんなことは思いもしないだ
ろう。
実際、僕自身もそこまで深くは当てはめることができていなかった。
僕が目にしているかぎり、加奈子ちゃんは病室でもそういうところを出していない。
だから、オジさんとオバさんから耳にはしてるし、不安や心配もしてるけれど、どこ
か現実に結びつけきれないものがあるのが正直なところだった。
「大和くんの教室通るときね、中に大和くんが見えたよ」
その言葉に、自分の姿が重なった。
昨日と今日、まさに自分がやっていたことを加奈子ちゃんもやってくれていた。
僕の教室を通るときに廊下から僕のことを見ていてくれた。
なんか、共通の思いがあって嬉しかった。
けど、僕も加奈子ちゃんのことを見ていたのは言わなかった。
単に恥ずかしかったから。
「学校、楽しい?」
「うん、楽しい」
本当に楽しそうに言っていた。
入院していて学校に対する思いが募ってた分、こうやって通学できていること自体が
幸せなことみたいだ。
彼女にはまだ何もかもが新鮮に映ってるんだろう。
その後も、友達ができた、好きな授業は何か、先生はどんな人か、通学路にあるあれ
これ、いろんなことを話していく。
その時間はとても楽しいものだった。
久しぶりに現れたその感情は心をポッと温かくしてくれた。
それからは平穏といえる毎日が続いていった。
僕は早く時が過ぎていくのを待ちながら授業を受けて、やらなくても支障はないよう
なことばかりをやりながらだらだらとしていた。
加奈子ちゃんは授業も積極的な姿勢で受けて、活力のある充実した学校生活を送って
いた。
ただ、体を動かすことは控えるように言われてるせいで体育の授業や休み時間にみん
なが運動をしてる輪には入れずにいた。
そういうときは校庭の隅のほうにある遊具で遊んでたり、教室に残ってる子たちと話
をしたり、図書室で本を読んだりしてる。
休日にはオジさんとスローペースで球技をやってもらったりもしてるらしい。
本人は納得してるようだけど、それでもやっぱり無性に衝動にかられることもあると
思う。
でも、そうだとしても納得しないとならない。
体に無理をさせることは避けたい。
運命を自分に納得させることが一番いい。
僕と加奈子ちゃんの間にあるものも大きな変化はなかった。
同じクラスじゃなかったから特に他発的に接することもなく。
たまに廊下で擦れ違うときには笑顔で手を振ってくれる。
こっちとしては手を振りかえすのが恥ずかしかったけど。
女の子にそんなことしてるなんて気づかれたらからかわれるに決まってる。
よく加奈子ちゃんはあんなふうに出来るなぁと感心したくなる。
弁解じゃないけど、手を振ってもらえるのは嬉しい。
心がほんのりさせられてかなり嬉しい。
週に2回か3回は一緒に帰ってた。
半分は友達と、半分は2人で下校するようにいつのまにかなっていた。
2人で帰ることにはあまり抵抗はなかった。
周りの目もそうないし、恥ずかしさもそんなになかった。
思春期ならずいぶんなものなんだろうけど、まだまだそんな次元には遥かに行き着い
てやしない。
月に1回か2回は一緒に遊んでた。
これという目的もなく、前触れもなく、普通に男友達と約束するときのように突然決
まることが多い。
だいたいの遊ぶ流れは、加奈子ちゃんの家を訪れて、そこでいくらか時間を過ごし、
外に出て散歩して、どこかしらで座って話をするのを繰りかえす。
昼過ぎに会って、夕方あたりに別れる。
何か特別なことがあるわけでもない流れ。
いたって普通。
それでいい。
それがいい。
今になって思うと、その普通こそが限りなく特別なことだった。
それからも何ということのない毎日が続いていく。
特に何があるわけでもないけれど幸せな日々。
このときはそれが普通だったから幸せだなんて思うこともないけれど。
小学校に行って、授業を受けて、家に帰って、その繰りかえし。
そこには友達がいることもあったし、加奈子ちゃんがいることもあった。
授業は面白くなかったけど、友達といるときや加奈子ちゃんといるときは楽しかった。
それもそのときはそれが普通だったからあらためて実感することもなかった。
普通であることが幸せだなんて知るよしもなく、普通はあくまで普通だった。
僕はいたって健康体だった。
それをうとましく感じられるぐらい。
病気で欠席してる人がいると、単純に「授業を受けなくていいな」と思ってしまう。
症状の辛さを考えれば、病気の方が嫌に決まってるのに。
いかんせん丈夫な体だったんで、その感覚から遠ざかってしまうところがあった。
当然、そんな体でも年に1回か2回は崩れることもある。
といっても、夏場や冬場に差しかかるときの季節の変化に体が対応しきれないってい
うよくあるパターン。
典型的な風邪の症状で、発熱もそこそこに留まるものの学校は欠席になる。
ちょっとした優越感には浸れるけど、何もせずに布団の中にいるのは退屈でしかたな
いってことに気づかされる。
休日なら学校がなくても外に出たりもできるけど、このときばかりは安静にしていな
いとならない。
体がだるく、動きまわることもできず、ただそこにいるだけ。
こんな生活、一日もすれば完全に飽きてしまう。
結局、健康が一番だっていう実証になっただけだった。
でも、それも僕には普通でしかない。
健康体であることが僕の普通。
何も特別だとは感じない。
そんな普通が加奈子ちゃんには普通ではなかった。
加奈子ちゃん自身は変わりなく学校生活を満喫してたし、外見からも他の人たちとの
変化は見られない。
けれど、加奈子ちゃんは他の人たちとは違う。
体育の授業は受けられないし、みんなと動きまわることもできない。
僕には言わなかったから分からなかったけど、気分がすぐれなくて保健室に行くこと
もそれなりにあったようだ。
常に不自由を抱えている。
ただ、それを普段の彼女からは感じとれない。
僕が見るかぎり、周りにいる女子となんら変わりはない。
だから、加奈子ちゃんの不自由な部分は基本的に頭の片隅に置かれてる。
けど、片隅にあるだけで無くなっていくわけじゃない。
それは確かに存在している。
僕の普通は加奈子ちゃんの普通じゃないことが。




