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その29



○登場人物


  宮尾大和・みやおやまと(特に何かに秀でたこともなく毎日を生きている)


  橋山加奈子・はしやまかなこ(生まれつき病気を抱えたまま生きている)


  南江くるみ・みなみえくるみ(加奈子の友達で良き理解者)


  山津高志・やまづたかし(大和の小学校からの友達)


  村石樹・むらいしいつき(大和の中学校からの友達)


  武正七恵・たけまさななえ(大和の高校の同級生、自由人で大和を気にかけてる)


  橋山達夫・はしやまたつお(加奈子の父親、医者で加奈子の病気を気にかけてる)


  橋山時枝・はしやまときえ(加奈子の母親)





 僕の一人暮らしは思っていたよりも長く続くことになっていた。


 願望も込めてそう時間はかからず解決するものだろうと考えていたけれど、たやすく


事は運んでくれなかった。


 幸いにも悪化ということはなく、腹部に見えるものというやつの実態が解明できない


というだけだった。


 発見してからしばらく経っても何も起きないというのは悪いものではないのかもしれ


ない、そうオジさんは言ってくれていて、実質は念のためにの入院という状態になって


いる。


 加奈子ちゃん自身も変化はないそうだし、心配も当初よりは減っていた。


 それでも、僕は週に一度の休みには必ずお見舞いに行っていた。


 加奈子ちゃんとオジさんにはあいかわらず「ちゃんと体を休めて」って言われるけど、


僕は疲労回復で体力的なものより精神的なものを求めていた。


 それは加奈子ちゃんに会うことで叶えられるわけだからそうするまでだ。


 いろいろ言いながらも、加奈子ちゃんからは「大和くんがいつも来てくれるの、本当


はすごく嬉しいよ」と言ってもらえてるから安心している。


 加奈子ちゃんからはさらに、ご飯はどうしてるの、栄養はちゃんととれてるの、家事


はできてるの、と日々の生活についても追求されている。


 適当に返してるけど、実際は結構滞ってる。


 母親が定期的に来てくれてなんとかなってるけど。


 あと、オバさんもたまに「一人で食べるには多いから食べて」と食事を持ってきてく


れた。


 オバさんは加奈子ちゃんが入院して以来、向こうでオジさんの単身赴任の家にいるこ


とが多くなった。


 僕も仕事のある日は行けないから、加奈子ちゃんにあまり退屈な思いをさせずにすむ


ので助かってる。


 僕が休みの日には代わりにこっちに戻ってきて、空けっぱなしにしてる家のことをし


てるようだ。


 そんな中、異変に気づくときがきた。


 加奈子ちゃんの様子がそれまでと違っていた。


 呼吸がどこか不自然で、汗もかいてたし、なにより体型の変化が確実だったから。


 それまでは僕の鈍感さもあって微妙な変化を察知できなかったんだろうけど、そのと


きは明らかに分かりえた。


 僕は加奈子ちゃんに強めに聞いた。


 流されてしまわないように真剣に。


 すると、加奈子ちゃんは目を細めて呟いた。


 「ごめんね」


 そう言って、事の経緯を話しはじめる。


 妊娠してること、今は6ヶ月目に入ってること、黙ってたのは僕に心配させたくなか


ったから、オジさんとオバさんにも喋らないように口止めしてたことを僕の目を見なが


ら一つ一つ話していった。


 「大和くん、仕事で精一杯なのに私のことでいっぱい心配かけちゃってるから。もう、


これ以上は負担かけちゃダメだって思って。隠しておけるうちは隠しておこうって思っ


たの」


 僕の手を握りながら加奈子ちゃんは伝えてくれた。


 ただ、僕の中ではこんな大事なことを今になって知ったことへの感情が強くなってい


た。


 ここまで気づけなかった自分への悔しさが。


 日中の散歩はしないように言われてるから特別にオジさんと夜に散歩してると最近は


ベッドから出る姿を見てなかったり、「急にハマちゃった」と今まで食べてなかったポ


テトチップスをよく食べてたり、理由の見当たらないのになんとなく機嫌の損ねてると


きがあったり、思いかえせばそれに繋がるものはあった。


 けど、僕はいっさい気づけなかった。


 それを繋げるのは難しいと言われたとしても関係ない。


 気づけなかった事実が今ここにあるんだから。


 変化していく加奈子ちゃんの体のことを、特にという変化はなく維持している状態と


思っていたことが恥ずかしい。


 夫婦失格の烙印を押されてもしかたないぐらいだろう。


 「ごめんね、本当に」


 加奈子ちゃんは何度も謝っていた。


 心に傷がついたのは確かだったけど、僕は何も責めたりはしなかった。


 正確には、僕にはできなかった。


 加奈子ちゃんが僕のためにしたことだから。


 その日はモヤモヤしたまま過ごし、別の病院に行ってるからと不在だったオジさんに


話をすることもできなかった。


 結局、僕は責めることもせず、加奈子ちゃんに労わる言葉をかけることもさほどでき


なかった。


 自分の中でこのことを解消させるのは簡単なことじゃなかった。




 それからの一週間はいやに長く感じられた。


 自問自答を繰りかえしては自分を責める日々を送り、どこにもぶつけられずに溜めこ


んでいく。


 仕事が体力勝負だったのがかえって一時でもそのことを忘れられてよかった。


 ただ、仕事以外の時間になると消極的な気持ちになるばかりだった。


 何をする気にもなれず、早く次の日の仕事になればいいのにと思うほど。


 この展開を考えたことがないわけではない。


 結婚をしてから、エッチをするときに避妊をしなくなったから。


 このときも、加奈子ちゃんが病院やオジさんに相談してそうしても大丈夫と言われた


と説得されてそうすることにした。


 そうすることへの危機感もあったけど、加奈子ちゃんやオジさんが言うんなら大丈夫


なんだろうと説得に応じた。


 けど、現実にそのときがやってくると想像の何倍ともいえる不安に襲われていった。


 この嫌な気持ちを解消させたいのと同時に、次の休みの日が来るのが少し怖くもあっ


た。


 この思いを消すためにはちゃんと目の前の事実に向き合わないといけない。


 そのためには、加奈子ちゃんやオジさんやオバさんと話し合う必要がある。


 でも、こんな状態でそれをきちんとできるのかが不安だった。


 そんなことを考えてるうちにあっというまに次の休みの日はやってきた。


 僕はこれまでと変わらずに病院へと向かっていく。


 なんとかしないといけないんだから、なんとかしないといけない。


 なんとかするなら早い方がいいに決まってる。


 時間はそんなに多くあるわけじゃない。


 そう奮いたたせながらも、病院に近づいていくごとに緊張感は増していった。


 病院に着くと、最初にオジさんにコンタクトをとった。


 加奈子ちゃんに会う前に、先週聞けなかった詳しい話を聞きたくて。


 オジさんから「5分で行くから」と言われ、食堂で周りに人のいないスペースを選ん


で待っていく。


 オジさんはまもなく現れて、2人分のジュースを買ってきてくれた。


 それに口をつけると、オジさんの方から開口した。


 「加奈子に聞いたそうだね」


 「はい」


 「今まで黙ってたのは悪かった。医者として患者の意向は聞きたいし、父親として娘


の意向は聞きたかった」


 「はい」


 オジさんの意見はもっともで、僕はオジさんも責めることはできなかった。


 「加奈子からどの程度聞いてる?」


 そう聞かれ、先週聞いたことを伝えていく。


 「オジさん、加奈子ちゃんの体は大丈夫なんですか」


 そして、最後に聞きたかったことを言いくわえた。


 「大丈夫と言いたいところだが、そうとは断言できない」


 視線を下にしたまま、オジさんは言っていた。


 「加奈子の体は完全じゃあない。その体で出産をするとなれば、当然それも完全には


ならない。いろんな不安要素があると思うけど、加奈子の病気自体が不確かであるだけ


にどういう形でそれが浮きでてくるかも分からない。リスクは高いといえる」


 胸のモヤモヤを解くために聞いた答えに逆に深く落とされた。


 きっと、オジさんの言葉で僕は救われると思ってたのに。


 「加奈子ちゃんの体じゃあ危ないかもしれないってことなの?」


 「正直、五分五分と考えてもらいたい」


 具体的な数字を出されて余計に戸惑った。


 目の前が暗くなりそうになった。


 「どうして。加奈子ちゃん、オジさんに子供のこと聞いたときに産んでも大丈夫だっ


て言ってたって言ってたよ」


 すがるような思いで、オジさんに小さく吐きだした。


 オジさんは息をついて、不定な表情をしていた。


 「確かにそれは聞かれたよ。ただ、そのときにその体で子供を産むことは難しいって


言ったんだ。無理だと思う、そうちゃんと伝えた。でも、あの子は引きさがらなかった。


私は大和くんがいたから生きてるの、大和くんがいなかったら今ここにいないかもしれ


ない、大和くんは私の命の恩人なの、だから私は大和くんのために出来ることをしてあ


げたい、私にはどれぐらい未来が残されてるかなんて分からないんだから一つでも多く


のことをしてあげたい、これは大和くんにもらった命なんだから、そう泣いて頼んでき


たんだ。そのときの瞳に完全に負けて、娘にここまでされて断ちきるのが本当に親のや


ることなんだろうかって折れたんだ。加奈子の願いが叶うように全力でサポートしてく


ことに決めた」


 オジさんは目に涙をためながら話していった。


 僕も同じように聞いていた。


 「俺はあの子の望みを叶えてあげたい」


 オジさんには強い意志が固まっていて、それは僕にも伝わってきた。


 「だから、君にもその覚悟を決めてもらいたい」


 そう言葉を突きつけられた。


 僕は何も言葉は返さずに、そこで止まっていた。


 オジさんがそこを離れていっても、しばらくその場にいた。


 どのぐらいの時間が経ったかぐらいの頃、立ちあがって歩きだしていく。


 冷静に思えば、妊娠したと分かったとき、加奈子ちゃんは心底嬉しかったはずだ。


 そして、それを僕にもきっと伝えたかったはずだ。


 それをここまで黙ってきたんだから、加奈子ちゃんの思いは本当の思いだ。


 加奈子ちゃんのいる大部屋に着くと、周りの人に「すいません」と言いながら仕切り


のカーテンを閉めきって、ベッドの横のイスに座った。


 加奈子ちゃんの手を取ると、「オジさんと話してきた」と小さな声で届けていく。


 「僕は加奈子ちゃんがいてくれればいい。それだけでいい」


 視線を合わせたまま丁寧に伝えていく。


 「私も大和くんがいてくれればそれだけでいい」


 加奈子ちゃんも僕の手を取って、愛おしそうに触れていく。


 「でも、私にはそれは永遠のようなものじゃないの。何年後にどうなってるかも分か


らないし、もしかしたらあと何日かでいなくなってるかもしれない。前も言ったけど、


倒れるたびに次は目が覚めないかもしれないってものすごく怖くなるの。だから、私は


そうなっちゃう前に大和くんにしてあげられることをしたい」


 加奈子ちゃんの意思も強く固いものだった。


 僕は気持ちの行き場に困って泣いていた。


 加奈子ちゃんが命をかけて出産をしようとしてること、それが僕のためであることに、


どうすることが正解なのかが分からなくて。


 すると、加奈子ちゃんが僕の体を抱きしめて耳元でささやいていく。


 「私は大和くんの子供が産みたい」


 「子供が産まれたら、ギュッって抱きしめたい」


 「大和くんと一緒に抱きしめたい」


 自分がどうすればいいとか何が正解なのかとかは全然分かりはしなかったけど、加奈


子ちゃんの言葉を形にしたいと思った。


 覚悟を決めるなんて強いものじゃないけれど、僕に今できることはそれだと感じた。




 加奈子ちゃんと向き合ってから、僕の迷いは減った。


 正しく言うなら、迷わないようにしようと決めた。


 迷おうと思えばいくらでも迷いはあったけど、頭の中に現れてくる後ろ向きなことは


ことごとく打ち消していった。


 命に真剣に対峙している加奈子ちゃんの思いに集中するために。


 自らの命と新しい命、その2つを抱えて戦ってるんだから。


 他の誰でもない僕のために。


 なら、僕はその2つの命ごと受けとめるつもりでいないといけない。


 そう思うと、自然と目の前にある道は開けていった。


 それまでの塞がれた日々とは大きく変わって、仕事にも生活にも気力が戻っていく。


 やるべきことが分かったんだから、あとはそこに向かって進むだけだ。


 出産についても個人的に学習したり、オジさんやオバさんにも教えてもらいながら対


応していった。


 だんだんと加奈子ちゃんのお腹も大きくなっていき、同時に迎えなければならないと


きが着実に近づいていた。


 五分五分といえど、僕も加奈子ちゃんもオジさんもオバさんも片方の未来しか信じて


はいない。


 もちろん、もう片方の不安だって限りはない。


 僕だけじゃなく、オジさんもオバさんも、言うまでもなく加奈子ちゃんもたまらない


感情に押しつぶされそうになることもある。


 でも、現れてくる後ろ向きなことは打ち消していく。


 ここまできたんだから、願い、祈り、信じるのみ。


 「最近、あの子を見てると本当に驚かされるの。お父さんも言ってたけど、生命力に


あふれてるって感じがして。あの子も言ってたわ、「生きてるって感じがする」って。


反対したかったところも正直あったけど、今のあの子の顔を見てるとこっちでよかった


んだなぁって思える気がするの」


 出産までもうすぐという頃、2人きりで話す場面があったときにオバさんが本音を聞


かせてくれた。


 「私は母親だからね、加奈子をあんなふうに産んでしまったことに罪悪感がずっとあ


ったの。あの子が体を壊すたびに、自由だけじゃない体にしてしまったことに心を痛め


てて。加奈子もお父さんもそんなふうに思わないようにいつも言ってくれてたけど、私


はそれ以外に心の持っていき方が見つからなかったの。ああいう体っていうだけで近づ


かないようにする人たちもいるし、偏見でしか見ない人たちもいるし、人との関係も未


来もかなり狭めてしまうことになって」


 下に向いていた視線が僕の方へ向いた。


 「でも、大和くんのおかげであの子の人生はそれだけにならずにすんだわ。好きな人


ができて、結婚もして、子供も産むことになって、あの子は本当に幸せになれた。結婚


式のときの2人の姿を見て、そう思ったの。あの子が幸せになってくれたのが私も嬉し


かった。今まで悩んできたものが晴れた気がしたの。だから、大和くんには感謝しても


しきれない」


 僕が「いいえ」と言うと、オバさんは涙目のままで笑った。


 「今はあの子が無事に子供を産んで戻ってきてくれることだけを考えてるわ」


 「はい」


 「あの子なら大丈夫、きっと」


 みんなの気持ちは一つだった。



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