その26
○登場人物
宮尾大和・みやおやまと(特に何かに秀でたこともなく毎日を生きている)
橋山加奈子・はしやまかなこ(生まれつき病気を抱えたまま生きている)
南江くるみ・みなみえくるみ(加奈子の友達で良き理解者)
山津高志・やまづたかし(大和の小学校からの友達)
村石樹・むらいしいつき(大和の中学校からの友達)
武正七恵・たけまさななえ(大和の高校の同級生、自由人で大和を気にかけてる)
橋山達夫・はしやまたつお(加奈子の父親、医者で加奈子の病気を気にかけてる)
橋山時枝・はしやまときえ(加奈子の母親)
加奈子ちゃんとの旅行は予定通りに行くことができた。
僕の仕事の方は作業員全員が3日ずつ夏休みを取れるようになっていたので、予定日
で申請したらうまく通ってくれた。
情に厚い人たちだから、彼女の誕生日っていうところもちゃんと考慮してくれた。
夏休みをもらった3日の前日が休みの日だったんで実質は4日だったけど、初日は例
のごとくベッドに倒れこむことにほとんど費やしたので、残りの3日で旅行に行くこと
になった。
加奈子ちゃんも両親を説得してくれて、2人での遠出を許してもらえた。
オジさんやオバさんなら反対するだろうと思ってたけど説得に成功したらしい。
不安はかなり大きいと思うけれど、「ちゃんと話したら分かってくれた」ようだ。
意外なくらいの大人な対応だったけど、僕たちの前にあった壁はそれぞれ取りのぞか
れた。
行き先は加奈子ちゃんの体のことも考えて、避暑地の観光地がいいと決めた。
場所やら宿泊先やら観光巡りやらは全て加奈子ちゃんがやってくれていたので、僕は
それに従うだけでよかった。
金銭面は僕は7月分の給料はもうもらってたから問題なく、加奈子ちゃんは親が出し
てくれた。
本当は僕がまとめて出すと言いたかったけど、仕事が夏休みからだったから給料とい
っても多くなくて格好つけられなかった。
初日は加奈子ちゃんの体に気づかいながら休み休み目的地に電車や新幹線で向かって
いった。
めったにない遠出に加奈子ちゃんははしゃいでいて、その姿に僕も心が温まった。
結局、目的地に着いたのは夕方前あたりになった。
まずは宿泊先の温泉旅館に荷物を置いて、その日はその近辺をまわることにする。
有名な観光地だったから見るところはいくらでもあって楽しめた。
旅館に帰ったのは暗くなってからで、温泉に入り、夕食を食べた。
「なんか、こんな時間に大和くんといるなんて変な感じ」
部屋に戻って2人きりになると、加奈子ちゃんはそう呟いた。
テレビもつけず、2人で喋ったり喋らなかったりしていく。
喋らなくても、こんな時間にこんな場所で2人きりでいられる空間が心地良かった。
夕食を食べ終わったのが早い時間だったから特別やることはない時間は長く続いて、
いつからか2人の思い出話に入りこんでいった。
懐かしい話を堀りさげていく中、加奈子ちゃんは昔のことから最近のことまでかなり
詳しく覚えていて驚いた。
僕が忘れてしまってるようなことでもきちんと。
それぐらい深く掘っていったせいで、いつのまにか日にちが次へと変わってしまって
いた。
加奈子ちゃんの誕生日だ。
僕はハッピーバースデーを歌って「おめでとう」と伝えると、「ありがとう」と返し
てくれた。
「プレゼントがあるんだ」
そう言いおき、自分の荷物から封筒を取りだす。
多分、その時点で加奈子ちゃんは勘付いていただろう。
その中にあった紙を加奈子ちゃんに開いて差しだした。
加奈子ちゃんから託された婚姻届だ。
すでに僕の書くべきところは書いてある。
これを渡された日からどれだけか分からないほど悩んできた。
自分の希望は当たり前に分かってる。
けど、そこには現実という壁が高くそびえていた。
希望だけでなんとかなるわけじゃない現実が。
だから、悩んだ。
悩みに悩んで、悩んだことにも悩んで、とにかく悩みぬいた。
加奈子ちゃんのために、自分のためにも生半可な答えは出せない。
そうやって一ヶ月近く悩んできた末に結論を出した。
「僕の運命は加奈子ちゃんとの間にあるんだと思ってる」
全てを受けとめた結論を。
「結婚しよう」
ありったけの思いでプロポーズをすると、目の前の加奈子ちゃんはグッと揺れるもの
をのみこんだ。
「はい」
そう潤んだ瞳で返されると、加奈子ちゃんがスッと抱きついてくる。
その体を受けとめて、気のおさまるまでずっと抱きしめあった。
結局、旅行は加奈子ちゃんの立てた予定の通りに進むことができた。
ただ、プロポーズのこともあって終始気分は浮かれたままだったけど。
2日目は旅行先からいくらか離れたところにある高原に行った。
緑に囲まれていて、空気も澄んでいて、自然が豊かな場所だった。
そこをゆったりと散歩して、心の落ちつける時間を過ごしていった。
帰りがけには洋菓子店に寄って、2人でケーキを食べて誕生日を祝った。
バースデーケーキじゃないカットサイズだったけど、加奈子ちゃんは喜んでくれて安
心した。
3日目は2日分の荷物を家に送ってしまい、行きよりもだいぶ身軽になったから帰り
がてらに通る観光名所で立ち寄れそうなところにも行った。
そうして、普通の人たちよりも予定を詰めこめなかったけど、僕らなりに有意義な旅
行になった。
加奈子ちゃんの体調も崩れることなく、楽しい旅行になってくれてよかった。
さらに、僕らにはもう一つの大きな進展があった。
初めてのエッチを経験した。
これはプロポーズで気分が盛りあがった勢いでってことじゃなく、旅行の予定を立て
ている段階で加奈子ちゃんから話があった。
当然、率直に驚いた。
そういうことは僕らの間にはないものなんだろうなと思ってたから。
だから、その話をされたときもすぐには受けとめられなかった。
僕個人としてなら嬉しいことだけど、僕だけのことじゃなかったから。
これまでも加奈子ちゃんの体にさわると考えてきた。
武正とのことでホテルに手を引かれたときも一時の気持ちの揺れだとして宥めた。
けど、このときは違った。
「お父さんや病院の先生に聞いてきたの。そういうことをしても大丈夫かって。そし
たら、無理しなければ問題ないって」
加奈子ちゃんはちゃんと自分の体のことを考えていた。
しかも、オジさんにも聞いたってことはどれだけ真剣に考えてくれてるのかを汲みと
るには充分すぎた。
僕はその思いを受けとめた。
オジさんやオバさんの気持ちを考えると複雑ではあったけど、2人での旅行を許して
くれたってことがサインなんだろうと納得した。
行為は慎重にゆっくりと行った。
壊れ物を手にするように大事に加奈子ちゃんの体に触れていった。
細く柔な糸を紡いでいくように。
ひどく不格好なものだったかもしれないけど、気持ちは強く届けあった。
行為の後には加奈子ちゃんは疲れた様子だった。
でも、長くベッドで休むうちに次第に回復していった。
「ありがとう」
そう加奈子ちゃんに感謝を伝えた。
これはきっと加奈子ちゃんが僕のためにしてくれたことだから。
夏休みが明けると、夏休み前と同じ日常が戻ってきた。
学校に行って、授業を受けて、普通に学生をする日々。
夏休みの間に、僕にはいろんな出来事が起こったけどようやく再び平穏な毎日がかえ
ってきた。
一学期の始めの頃は二学期の始めをこんなふうに迎えるなんて思ってもみなかった。
そう思うと、人生なんて分からないもんだ。
周りのクラスメイトはそんなこと知りもせず、受験にまっしぐらの生活に入りこんで
いる。
大学以外の進学を選ぶ人もいるし、就職を希望する人もいるけど、他の人たちと変わ
らず進路先を模索してる段階だ。
そういってる自分も決まったわけじゃないけれど。
先月の終わりまで、僕は工事現場の作業のバイトを完走した。
慣れない仕事に厳しい労働だったけど、なんとかやり遂げることができた。
死にそうなくらいの感覚になることも何度もあったものの、加奈子ちゃんの存在が背
中を押してくれた。
僕はもう一人だけの勝手で行動するわけにはいかないんだって。
最後の日の仕事終わりにはみんなに「まぁ、まだまだだけどよくやった」と労わって
もらえた。
「就職の件、前向きに考えとくからよ」
社長にそう言ってもらえ、頑張りが報われた。
また冬休みにもバイトで入ることになって、その後は追々決めていくらしい。
一度だけ先月の給料を受け取りに会社まで行くと、手渡しで封筒に入ったお金を受け
とった。
なんていうか、重たかった。
重力としてそこまでってことじゃなく、今までに経験したことのない類の重みがそこ
にはあった。
高校生がそうそう自分の稼ぎとして手に持つことのないだろう封筒の中のお金に驚く
しかなかった。
「ちゃんと使えよ。汗水たらして働いた金なんだから」
そう社長に言われて、「はい」って返したけど、お金をちゃんと使うってどう使うん
だとは分からずに口から出ていた。
みんなのように仕事終わりにうまい酒を呑むことなのか。
男らしくギャンブルで一攫千金を夢見ることなのか。
普段行ったことのない大人が足を踏み入れるお店に行ってみることなのか。
考えてはみたものの、これという結論には行き着かなかった。
だから、僕は両親に何か欲しいものはないか聞いてみた。
「あんたが頑張って稼いだお金でしょ。あんたが欲しいものを買いなさい」
そう返された。
まぁ、別にウチはお金に困ってるってわけじゃないし、そうなるだろう。
僕は一学期のうちに免許を取ってたから、そのときに出してくれた料金として返そう
かと思ったけど、これもきっと言葉とともに返されるんだろうなと感じた。
他のクラスメイトや同級生たちは親に出してもらってるのに、僕だけ自分で払うこと
にするっていうのも納得できない気がしたから。
僕としてもどうして自分だけと思ってしまうし、親も自分の家だけ出させるのもと思
ってしまうだろうし。
自分で払うことにってことにじゃなく、自分だけがっていう不平等さに。
それに、僕の給料では全額には届かないからなんとなく格好つかないなってのもあっ
て留まった。
そう都合よく納得させた。
そこで、今度は加奈子ちゃんに何か欲しいものはないか聞いてみた。
「大和くんが頑張って貰ったお金なんだから、大和くんが使って」
そう返された。
僕に気をつかってくれたんだろう。
無理に言って、強引に何か買わせるわけにもいかないから言葉を受け取っておく。
かといって、僕にも何か欲しいものがあるわけじゃない。
細かいものを言いだせば多少はあるけど、大金はたいて買うようなものはない。
結局、山津や村石にいつもよりグレードの高い食事をおごるぐらいで貯金することに
した。
欲しいものが特にないならそれでもいいだろう。
欲しいものが見つかったときに買えるようにしておけばいい。
それに、加奈子ちゃんとの未来のためにということでもいい。
そう使うためにしておく貯金なら、ちゃんと使うってことにも繋がるだろうし。




