その23
○登場人物
宮尾大和・みやおやまと(特に何かに秀でたこともなく毎日を生きている)
橋山加奈子・はしやまかなこ(生まれつき病気を抱えたまま生きている)
南江くるみ・みなみえくるみ(加奈子の友達で良き理解者)
山津高志・やまづたかし(大和の小学校からの友達)
村石樹・むらいしいつき(大和の中学校からの友達)
武正七恵・たけまさななえ(大和の高校の同級生、自由人で大和を気にかけてる)
橋山達夫・はしやまたつお(加奈子の父親、医者で加奈子の病気を気にかけてる)
橋山時枝・はしやまときえ(加奈子の母親)
高校も3年生になると、にわかに周りが慌しくなってくる。
言うまでもなく、進路のことだ。
当然、中学のときと向けられるベクトルは違うわけで、それの持つ意味合いや僕らの
心持ちも同じようになる。
これまではだらしなく遊びほうけてた生徒たちも徐々に人が変わったようにまじめに
なっていく。
そして、その様を見て、まだそうでない生徒たちは焦りだす。
僕はどちらかというと後者だった。
理由は単純に将来のビジョンってやつが見えなかったから。
頭脳は平均未満、運動は人並み、他の人に比べて特に長けているものはない。
そんな自分がどうなっていくのか、具体的に思いおこすのは簡単じゃなかった。
これといって目指してるものもないし、明確な目標が見えてこない。
目標がないからモチベーションもない。
あるのは周囲から取りのこされていく焦りばかり。
「どいつもこいつも受験、受験、受験、受験。いつからウチはこんなに勉強家の集ま
りになったんだろうね」
ここにも類似した状態の人間が一人。
武正もまた将来像のぼやけてる生徒だった。
「なんかさぁ、お堅く生きんのって嫌なんだよね。勉強しました、大学入りました、
就活しました、中小企業すべりこみました、息のつまる職場にひたすら耐えてますみた
いな。そういうの無理」
確かに、武正はそういうタイプじゃない。
だからって、堅実な道を外れたときに自分に何ができるかといったらそう大したこと
はできやしない。
僕らはどこにでもいる高校生でしかなかったから。
現実も見れない、理想を追いかけるどころか理想すら見えてない。
受験勉強をしてる人たちを見て息をつきたくなるけど、そこにすら辿りついてない。
どこに一歩を踏みだすか、そこで足がすくんでるだけだった。
加奈子ちゃんもどちらかというとそこに類似していた。
でも、僕らとは明らかに違う部分での悩みだった。
加奈子ちゃんにとって、社会生活というのはどうしても現実味のないものだったから
だろう。
高校生活でも加奈子ちゃんは何度も症状が出ることがあった。
これまでよりも成長してる分、事前に察知できることも多くなったらしく、症状が感
じられると自分で保健室に向かったり、早退して病院に行ったりして、中学のときのよ
うに救急車で運ばれたりすることまではなかった。
ただ、いまだに加奈子ちゃんの病気の詳細ははっきりと解明されていない。
そんな状態で社会生活を送ることは正直難しい。
まず、受けいれてくれるところを見つけるのが果てのない道を歩くようなものだ。
だから、加奈子ちゃんにはそこに未来の自分を映すのが現実的じゃなかった。
そうなると、その前にある大学についても同じことを考えていくことになる。
自分の意思とは関係なく、選択肢を狭められていくのは不本意でしかなかったに違い
ない。
状況が大きく変わったのは一学期も終わるころだった。
この頃には僕もだいたいの道筋が見えてきていた。
大学受験はやめた。
その先にある中小企業で息のつまる職場というのがどうしても僕には合わないものだ
と思ったから。
もちろん、そんなことうだうだ言ってられない、それでもやらなきゃいけないってこ
とも考えた。
ちゃんと考えた結果、無理だと判断した。
僕はそこにいたら砕かれるだろうし、その前にどこかに飛ばされるだろう。
かといって、やりたいものが見つかったわけでもない。
現実的な道を踏む必要がある。
そこで、他より長けてる部分はなかったとしても、自分に合っていることについて考
えてみた。
答えをいうなら、やるべきことを淡々とこなしていくこと。
部活においても、僕は先頭に立って周りを引っ張っていくタイプじゃなく、提示され
たメニューをこなしていくタイプだった。
逆手にとれば、それを使えるかもしれない。
やるべきことを淡々とこなしていく、それを様々な角度から熟考していくとだんだん
道が見えてきた。
それは仕事だった。
やるべきことを淡々とこなしていく仕事。
それなら僕に合ってるだろうし、こんな高校生にもなんとかなるかもしれない。
そう漠然とながらも先が見えてきていた。
ツテもないわけじゃなかった。
ウチの学校はだいたいが大学進学を目指すものの、そうそう頭の良い学校じゃなかっ
たから就職を選ぶ人もそれなりにいた。
そこで、僕は就職している部活の先輩たちを頼ることにした。
真っ向から就活をしても難しいのは分かってたし、そうやって仕事をつかんでくる生
徒も少なからずはいた。
交流のある先輩たちを片っ端からあたっていくと、やはり良い返事はそう簡単には来
なかった。
期待はあったけど、そうなるだろうなっていう覚悟もあった。
けど、その中で一つだけ脈のある返事をもらえた。
工事現場の作業員の仕事で、人手が足りてないから検討したいと言ってくれた。
ひいては夏休みにバイトとして来てほしいと言われて、すぐに受けることにした。
試験やら検査やらそういうまわりくどいことはせず、実践でもって見るということな
んだろう。
未来へ前進できた喜びとともに、そういう場に直面することになった緊張ももちろん
あった。
その話を告げると、加奈子ちゃんはとても喜んでくれた。
僕の前進もそうだけど、自分の将来像に重ねられないところへ進むことへの羨望もあ
って。
その数日後には今度は加奈子ちゃんの未来への前進があった。
結果的に、僕のそれが加奈子ちゃんの背中を押すことになったようだ。
話はその前日からになる。
期末試験が終った後の試験休みに2人で遊びに出かけたときのことだった。
何事もなく普段通りに時間を過ごして、帰りぎわの家の近くにある川辺に座って話を
していく。
なんてことない会話が途切れると、加奈子ちゃんは「ねぇ」と言った。
「真剣な話していい?」
言葉と同じような瞳で見られ、急に気が張られていく。
一体、何を言われるんだろうと思って。
「私のこと、どう思ってる?」
意外な言葉が来た。
もっと深いものが来るんじゃないかと考えていたから。
「どういうこと?」
「私のこと、好き?」
より具体的な言葉が来た。
こんなふうに直接的に聞かれることはなかったから疑問が生じる。
「好きだよ」
「本当に?」
素直に答えると、また質問で返された。
「本当に」
「絶対に?」
また慎重深く聞かれた。
「絶対に」
視線をそらさずに伝えると、そこから何かを読みとるようにして一つうなずいた。
「うん、分かった」
この日はそれで終ったけれど、どうしてそういうことをあらためて聞かれたのかは疑
問に残った。
そして、次の日にその答えが出ることになる。
夕方に「話がある」と呼びだされて、また川辺に向かうと加奈子ちゃんはすでに着い
ていた。
「どうしたの」
「うん、座ろう」
そう促されて、とりあえずそこに座った。
少しの沈黙があって、意を決したように加奈子ちゃんは息をついた。
「私、進路決めた」
その一言で、ようやく心が開けた。
目的も伝えられずに呼びだされることなんてほぼなかったから、何があったんだろう
と思っていたから。
すると、加奈子ちゃんは体勢を変えて、こっちに正座をしてきた。
突然のことで驚くと、加奈子ちゃんが緊張した面持ちで口を開いた。
「私は大和くんと一緒にいたい」
目をしっかりと合わせて伝えられた。
真剣な言葉であると分かるのは充分だったけど、進路と繋がるものが不明だった。
「ずっとずっと一緒にいたい」
また目をしっかりと合わせて伝えられた。
加奈子ちゃんは必死なくらいに表情が緊張でこわばっていて、汗も普通じゃないほど
滲みでていた。
それが、言葉の意味合いを僕に汲みとらせていく。
言葉の深さがどれだけのものかを。
僕も正座をした方がいいんじゃないかとも思ったけど、僕にはまだ加奈子ちゃんがそ
うしてる理由が分からなかったし、もうそのタイミングも逃してるような気がしたから
出来ずにいた。
加奈子ちゃんは横にあったバッグから封筒を取りだして、その中にあった紙をこっち
に開いた。
婚姻届だった。
どういうことなのかさっぱりだった。
「これで来月の私の誕生日にプロポーズしてください」
言葉の後に加奈子ちゃんは婚姻届を僕に差しだしてくる。
何がどうなってこうなってるのかが分からなかった。
理解することが無理だった。
確かに、僕は誕生日をもう迎えてるから年齢的にはそういうことは問題ない。
でも、まだ学生の僕にそんなことは早すぎる。
なにより、今いきなりそんな大きなことを言われて即決はできない。
ただ、そうしてる間にも加奈子ちゃんは答えを待っている。
伏し目がちにして、手にしてる婚姻届の行方を待っている。
僕は何も言わずにその婚姻届を手にとった。
何も言葉を返すことはできなかった。
そんな人生の一大事を瞬間的には決められない。
だけど、それに対して否定的な考えはないし、加奈子ちゃんを悲しませたくはない。
それでそういう行動に移っていた。
加奈子ちゃんは顔を上げて、僕の顔を見た。
動揺しきっている顔を。
隠すにはあまりにも感情が揺らぎすぎていた。
「ごめんね、急にこんなこと言って」
「うぅん」
僕の動揺を察してか、空気の変わる言葉がかけられた。
加奈子ちゃんは足をくずして線引きを強調する。
「ゆっくり考えて」
「うん」
空気はいくらか緩やかにはなったものの、味わったことのない緊張の余韻はしばらく
続いた。
今まで身近に感じたことのないものがやってきて、ただただ戸惑うばかりだった。




