その1
○登場人物
宮尾大和・みやおやまと(特に何かに秀でたこともなく毎日を生きている)
橋山加奈子・はしやまかなこ(生まれつき病気を抱えたまま生きている)
南江くるみ・みなみえくるみ(加奈子の友達で良き理解者)
山津高志・やまづたかし(大和の小学校からの友達)
村石樹・むらいしいつき(大和の中学校からの友達)
武正七恵・たけまさななえ(大和の高校の同級生、自由人で大和を気にかけてる)
橋山達夫・はしやまたつお(加奈子の父親、医者で加奈子の病気を気にかけてる)
橋山時枝・はしやまときえ(加奈子の母親)
人生でいちばん古い記憶は何かと聞かれたら、まずあのことが思いうかぶ。
6歳のときだった。
掛け算さえ言えなかった、自転車にも乗れなかった、隣町にも一人で行けなかった、
空を飛べるんじゃないかって少し思ったりした、そんなまだ何も出来やしなかったころ
だった。
そのときは春休み中で、一日じゅう何もすることがない退屈な時間を過ごしていた。
小学校にあがる前だったから友達っていっても近所の子たちぐらいで、それも毎日の
ように遊んでるとさすがに飽きが来る。
さらにその日は雨が降ってて、家に缶詰めになるしかないふさがれた状態だった。
「子供は家にいないで外で遊びなさい」って家庭だったからテレビゲームも買っても
らえず、こういうときの暇つぶしにはとても困った。
しょうがないから、子供でも微妙に面白さを味わえるテレビ番組でつないでやりすご
していく。
昼過ぎになると、雨もあがったから外に出た。
雲もあまりなく、それまでが嘘のように太陽は光りかがやいていた。
日光を浴びながら心地よく歩いていく。
散歩のコースはだいたい決まっていた。
そんなに遠出をする余裕の幅もなかったから、自然と家からそうかからない距離にな
る。
それでも近い場所に隣県にまで続いてく大きな川があったんで、そこまでを往復する
のが常だった。
河川敷に着くと、しばらくそこからの景色を眺めていく。
ここの川はキレイで、太陽から注がれる日光が川面にきらめいて映る感じがたまらな
かった。
川の流れもゆるやかで、見てると心までフッと緩ませてもらえる。
ただ、そのときは雨上がりだったせいで普段とは違っていた。
流れも速く、水位も上がっていて、キレイとは言いきれないものだった。
いつもの清らかさはなかったものの、通常とは異なったものを見るのも新しく感じら
れて悪いばかりではなかった。
そんな川の様子に目を向けていると、明らかな変化を察知する。
上流からやってくる流れの中にそれはあった。
子供。
人形じゃなく人間だった。
だんだんと近づいてくるうちに、力弱く流れに抵抗する女の子の姿をはっきりと見て
とれた。
その抵抗も、水位と速さのある川の流れに無力に等しくなっている。
どうしようと悩んだのはほんのわずかだった。
今、目にできるかぎりでこの河川敷にいるのは自分しかいない。
あの子を助けられるのは自分しかいない。
もう、どうしようもこうしようもない状況だった。
行くしかない。
今になってみると、我ながら勇気ある決断だったと思う。
今なら、いろんな自然災害の脅威を知っているぶんだけ足がすくんでただろう。
何も知らない強みだった。
自然の恐怖とかより、あの子がこのまま流されてくのを見てるだけで見殺しにしてし
まうことの方が嫌だった。
だから、僕は飛びこんだ。
何っていう考えもなく飛びこんだ。
水泳教室に習い事で通ってたおかげで泳ぎ方は身についている。
けど、そんなものは関係ないぐらいに強い流れが体を自由にさせてくれない。
子供の力だと特にそうなってしまう。
それでも、必死に水をかいていく。
女の子はこっちに気づくことはなく、流れに呑みこまれてしまわないようにただもが
いていた。
そこに近づこうとするけど、気持ちぐらいにしか距離は縮まっていってくれない。
次第にこっちの体も力を奪われていく。
でも、もう引き返すことはできない。
あの子を助けたいし、ここで止まったら自分自身も危ない。
その思いで、ひたすら泳ぎつづけた。
2人が流されたのは結構な距離だった。
結局、その子に辿りつけたのは流れがゆるくなったところだったから。
もう、女の子は仰向けで浮いている状態だった。
死んでるかもしれない、正直そう頭によぎった。
それでも残ってる力でその子を運び、なんとか河川敷にあげた。
たまたま向こう側から歩道を歩いてくるおじいさんが見えて、助けを求めると救急車
を呼びに行ってくれた。
その間に、女の子に呼びかけたり、体を叩いてみたりしたけど反応はなかった。
怖さが込みあげてきたけど、自分には何も処置なんて出来やしない。
信じるしかなかった。
病院は家から近くにあって、早めに救急車は来た。
僕は身体的に問題なかったから、車内では女の子の処置が優先された。
よく分からない単語や数字もあったけど、急いた印象から状況の悪さはうかがえた。
助かって、そう心の中で願った。
病院に着くと、2人は別々の場所へ連れていかれる。
僕は極度の疲労だけだったけど、一応の検査を受けて、その日は入院になった。
母親もすぐに来てくれたけど、「あんたは何やってんの」って泣きながら怒られた。
悪いことしてないのに怒られる理不尽さはあったけど、返す余力もなかったから聞き
ながしておく。
父親も仕事終わりで来てくれて、「よかった」と穏やかに言っていた。
それより、気になってたのは女の子のことだった。
看護婦に訊ねると大丈夫って言われて、ようやく安心することができた。
翌日、検査結果に問題はなく、退院を許可された。
一応の検査が一応のまま終ってくれたことに母親は安堵していた。
僕も安堵感はあったけど、それだけというわけにはいかなかった。
どうしても、あの子のことが気にかかっていた。
大丈夫とは言われたけれど、実際に大丈夫な姿を見たわけじゃなかったから。
そう胸にかかえたまま荷物をまとめていると、後ろから「失礼します」と白衣を着た
人が入室してきた。
入ってきたのは親ぐらいの年齢の男性の医者で、「救急救命科の医局長の橋山です」
と自己紹介される。
「宮尾大和くんだね」
柔らかい声というよりは元気のない声だった。
「はい」と返すと、その医者は同じ目線になるようにかがんで僕に頭をさげてくる。
「娘を助けてくれてありがとう」
心から伝えられた言葉だった。
ただ、その意味を理解することに迷う。
「昨日、君が助けてくれたのは私の娘なんだ」
次の言葉でようやく意味を繋げることができた。
それでも、突然の展開に戸惑いが強かったけれど。
「君がいなかったら娘は助かってなかったかもしれない。本当に感謝してる」
もう一度頭をさげる医者に、母親が「いいんです」と言葉を差しだした。
「それより、娘さんは大丈夫なんですか」
気づかってなのか、母親から話の次はふられた。
「はい。体はかなり弱っていて、今は集中治療室にいますが命に別状はありません」
医者からの説明に不安が募ってきた。
これまでの看護婦の「大丈夫」というだけのものじゃない詳しい説明は大丈夫なんて
一括りにできるものじゃなかった。
「よかったら見ていってあげてくれないか」
そう言われ、退院する前に集中治療室に寄ることにした。
普通なら行くことのできないところだけど内緒でということで向かった。
入室は無理があるため、部屋の外から眺めていく。
部屋の中にあるいくつかのベッドのうちにあの子の姿はあった。
まだ目は閉じたままで、ベッドの周りにあるいろんな機器に囲まれている。
あのときからすると、もう丸一日近くも目を開いていない。
そう思うと、本当にあの目は開くのかが分からなくなってくる。
もし、このまま目が開かなかったらどうしよう。
そう思わざるをえなくなってくる。
その心情を表情に出していた僕に医者が声をかけてくれた。
「大丈夫。すぐに良くなるから心配しなくていい」
医者からの言葉は心強くもあったけど、心の靄を拭いさってくれるほどにはならなか
った。
初めてこうして生死をさまよう人間の姿を目にしたんだからしかたない。
結局、複雑な思いをかかえたままで退院することとなった。




