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その9



○登場人物


  宮尾大和・みやおやまと(特に何かに秀でたこともなく毎日を生きている)


  橋山加奈子・はしやまかなこ(生まれつき病気を抱えたまま生きている)


  南江くるみ・みなみえくるみ(加奈子の友達で良き理解者)


  山津高志・やまづたかし(大和の小学校からの友達)


  村石樹・むらいしいつき(大和の中学校からの友達)


  武正七恵・たけまさななえ(大和の高校の同級生、自由人で大和を気にかけてる)


  橋山達夫・はしやまたつお(加奈子の父親、医者で加奈子の病気を気にかけてる)


  橋山時枝・はしやまときえ(加奈子の母親)





 当日は朝起きたときから心持ちの悪さが続いていた。


 いつもなら平日は朝早い起床に頭が全然回らず、休日は時間を気にせずにいくらでも


寝てられるぐらいだけど、この日は目が覚めたときから意識は完全にしっかりとそこに


あった。


 前日まで重ねに重ねてきた考えをまた重ねていく。


 熟考じゃなく迷走。


 どれだけ考えたとしても正解なんて分からない。


 答えは向こうが持ってるものだから。


 それも分かってるくせにありとあらゆる考えを続ける。


 結果、何も変わらないまま時間が過ぎて、準備を整えて、家を出発して、待ち合わせ


場所に向かう。


 その結果も分かってたわけだけど。


 僕が着いたときにはもう加奈子ちゃんは待っていた。


 「おはよう」


 そういつもの笑顔で言われる。


 「おはよう」


 いつものように言ったつもりだったけどぎこちなくなっていたかもしれない。


 自然に振るまおうとしてること自体がすでに自然体ではないわけだし、そこをうまく


やれるだけの器用さなんて僕にはないから。


 もはや、何から何までネガティブ思考になっていた。


 そんなこと知るよしもないだろう加奈子ちゃんとさっそく目的地へと向かっていく。


 加奈子ちゃんは数日前に無事退院することができた。


 学校にも通うようになって、今までと変わらない姿を見れるようになっていた。


 とはいえ、今回の外出には不安もあった。


 登山じゃないにしろ、丘でもそこそこの高さはある。


 退院から間もない体で問題ないんだろうかというのはついてくる。


 加奈子ちゃんの希望を叶えてあげたいけど、そこに一緒に行く自分にも責任は生じて


くる。


 でも、「絶対に無理はしないから」と押されて約束は果たされることになった。


 電車で3駅分に乗って、そこからは歩いていく。


 意外に近場なスポットだとは思ったけど、それでも僕らからしたらまだまだ身近とは


いえない距離だった。


 少なくとも、2人で遊んだときでは一番の遠出になる。


 その道中では何気ない会話を続けていた。


 いつもどおりの光景だったけど、いつもどおりにしようとしているのが正しかった。


 道を隣同士で歩いたり、電車で隣同士に座ったり、顔を向き合わせて話してることが


普段通りの心持ちではいさせてくれない。


 緊張が半分、疑問が解消されないもどかしさが半分。


 加奈子ちゃんはどういう思いでいるんだろうか。


 見てる感じ、違和感は読みとれない。


 普通なのか、普通にしようとしているのか。


 この状況はどういうことなのか、解読できずに歩を進めていった。


 目的地の丘の最下地に到着すると、まず緩やかな坂道を上っていく。


 見上げる先にある丘の頂上はやっぱりそこそこの高さにあった。


 加奈子ちゃんを無理させないようにゆっくり行く必要があると再認識させられる。


 気持ち遅めに歩いてはいくけど、当の加奈子ちゃんは余裕があるようだった。


 「キレイだね」


 ちょうど梅雨前の良い気候のころで、周りに広がっている緑林が輝くような色を出し


ていた。


 加奈子ちゃんは見とれるように微笑んでいたけど、僕はそこまで感動するほど感受性


が成長してなかった。


 キレイなのは分かるけど見とれはしないぐらい。


 上り坂が続いてくうち、中間地点の前あたりで加奈子ちゃんが休憩しようと言ったの


で応じた。


 「大丈夫?」


 具合がよくないのかと思って声をかける。


 「うん、大丈夫」


 普通の調子で返される。


 坂を上りだす前よりは表情は緩んでなかったけど、ここまで歩いてきたことを考えれ


ば納得はできる。


 2人でリュックに入れていた水筒を出して水分補給しながらしばしの休息をとる。


 「ママがね、私に何かあったりしたら迷惑かかるのは大和くんなんだからね、だから


無理だけはしちゃダメだよって」


 右を向くと、加奈子ちゃんは表情を崩していく。


 「だから、大丈夫」


 その言葉に安心させられた。


 僕の中にある不安はそこまではいらないんだろうなと思えて。


 再び、今まで上ってきた坂道を歩きはじめる。


 ペースはあまり遅らせないようにした。


 そういう考慮もいいけれど、その分だけ足取りが重くなるかもしれないし、歩く時間


が長くなるのは負担のかかる時間も長くなることにもなる。


 加奈子ちゃんが無理をしないのは分かったから、それでもいいだろうと思った。


 さすがに後半になってくると辛さも出てきて、口数も減っていった。


 僕でもそう感じていたんだから、加奈子ちゃんにはそれ以上のものがある。


 そして、最後に難所が待ちかまえていた。


 坂道の終わりとともに、丘に通ずる数十段の階段があった。


 大人なら息が上がりながらでもそのまま行けそうな気がするけど、僕らにはそうはい


かない。


 先が見えていた中でのこの仕打ちは落胆も結構なものだった。


 仕方なく、そこでまた休憩をとることにした。


 「大丈夫?」


 僕にもそこそこ疲れはあったから、表情には出さないものの加奈子ちゃんには相当の


疲れはあるはずだ。


 普段から運動もしてないわけだし、僕と同じにはいかない。


 「うん。あと少しだから」


 そう汗ばむ額をタオルで拭っていく。


 加奈子ちゃんからは爽やかさが一切消えない。


 知らなければ退院そうそうの体なんて分からないだろう。


 本当に感服させられてしまう。


 最後の階段は一段ずつゆっくりと上がっていく。


 手すりに掴まりながら慎重に時間をかけていく。


 そうして苦労の末に上りきった成果は格別のものだった。


 頑張りきった自分を褒めてあげたくてたまらなくなる。


 そのご褒美のように、目の前には頂上から眺められる広々とした景観があった。


 今まで歩いてきた道が小さく見えて、遠くには僕らの住んでる街がさらに小さくミニ


チュアに眺められた。


 「キレイだねぇ」


 加奈子ちゃんは満面の笑みを浮かべていく。


 「うん」


 この景色には僕も心を奪われていた。


 ここまで自分の足で上がってきたってことがそれをより加点してるんだろう。


 そして、僕よりも一生懸命に上がった加奈子ちゃんにはもっと強い感情が押し寄せて


いるに違いない。


 しばらくはそこからの景色と程よい前方からの風を心地良く受け入れていった。


 いくら眺めても褪せなくて、視界の左隅から右隅までを何度も往復させたり、自分の


街にある馴染みある場所を2人で探してみたりした。


 そのうちに2人の間に言葉がなくなっていく。


 いろいろ言いつくしたのもあったけど、言葉がなくても成立する空間だった。


 そこからしばらくその空間が続いていく。


 嫌なものはなく、眼下に広がる景観が全てをキレイにしていった。


 なだらかな風に吹かれながら時間が経つうち、右からの気配を感じた。


 気配のする方へ向くと、加奈子ちゃんの左手がこっちの方へ伸びていた。


 その手は僕から程よい感覚にあって、それが何を意味してるかはなんとなく悟ること


ができた。


 僕がどうすることがいいのかも。


 けど、急な展開に戸惑いが生じる。


 どうすればいいのか、どうしたいのかは一致している。


 ただ、初めての状況に気がすくんでる自分がいた。


 実際はそんなに経ってなかったけど、結構な時間が過ぎているように寄せてくる圧迫


感がハンパなかった。


 今になって思えば、加奈子ちゃんはどれだけの勇気で手を差し出してくれたんだろう


と申し訳なくなるけど。


 そんな自分を奮いたたせ、加奈子ちゃんの左手を右手でふんわり握った。


 加奈子ちゃんの手は柔らかくて小さくて、当たり前だけど女の子の手だった。


 今まで何年も一緒にいて、いろんなところに行って、いろんなことを話したけど、そ


れは僕の全然知らない領域のものだった。


 外見で分かることじゃなく、想像だけで辿りつけるものじゃなく、触れてみないと分


からないぬくもり。


 そう実感しながら、前方の景色に目を向けている。


 目を向けているだけで、体のほとんどの意識は右手の方へ集中されていた。


 正常でいるように心がけてはいたけど圧倒的に無理だった。


 見た目じゃバレなかっただろうけど、僕の中に帯びてる熱や高まる緊張は相当なもの


だったから。


 もしかしたら、繋いでる手からそれが伝わってたかもしれない。


 そう考えると、たまらない居たたまれなさに襲われる。


 だから、途中からそれは考えないようにしていた。


 頭の中にそれが出てきたらとにかく消していく作業の連続。


 そんなふうに多様な感情がうごめいていたせいで、すぐそこにある喜ばしい現実をあ


まり実感できずにいた。


 といっても、嬉しいものは嬉しい。


 めちゃくちゃ嬉しい。


 飛び上がりたいぐらいに嬉しい。


 でも、それをうまくそのまま受けいれることが青い僕には難しかった。


 「くるみにね」


 いくらか経ったころ、加奈子ちゃんの方から開口した。


 「バレちゃったって言ったじゃん?」


 そう訊かれて、右を向くと加奈子ちゃんも僕を見ていた。


 その視界の端の方で繋がれてる2つの手もあって、それがまた感情を高まらせる。


 「うん」


 「あれね、入院してるときに友達と気になる男子はいるかって話になって。私はいな


いって言ったんだけど、絶対いるって決めつけられちゃって。そのときはなんとか切り


ぬけたけど、次の日にくるみから聞きこまれてさ。いるのは分かってんだから、言うま


で今日は帰らないって臨戦態勢に入っちゃって。でも、一人で抱えてたって何も進展し


ないよ、うまくいくように協力するからってちゃんと親身になってくれて。それで言っ


ちゃったんだ」


 そういうことだったのか。


 流れに納得するのとともに気にかかった言葉もいくつかあった。


 「大和くんって言ったら、結構ビックリしてたよ」


 「どうして」


 「なんか意外だったみたい」


 そう加奈子ちゃんは笑った。


 僕は笑いきれなかったけど。


 それよりも、加奈子ちゃんがさらりと言っていくことに僕の胸の奥はいちいち反応し


ていた。


 加奈子ちゃんの気になる男子が僕。


 嬉しくて今ここで喜びを爆発させたいぐらいだった。


 こんなにも自分に都合よく好転していくものなのか疑問になってくるほどだけど、視


線の中にある繋がれた手がそれを形にさせている。


 「それでね、くるみがここに一緒に行こうって誘ってみたらって言ってくれて」


 それがあの日の病室での2人の不自然な感じになってたのか。


 「知ってる? ここ、恋が叶うんだって」


 一応、首を振っておく。


 事前に予習済みだなんて恥ずかしくて言えない。


 「ほらっ、みんなカップルでしょ」


 加奈子ちゃんが周りを見渡すのをなぞるようにする。


 確かに、丘の上から僕らのように景色を眺めていたのは数組のカップルだった。


 そのことは頂上に来たときに分かってたけど、あたかも今初めて分かったようなふう


にしておく。


 「ねっ」


 「うん」


 目が合うと、めいっぱいの笑顔を見せてくれた。


 そのまましばらくは手を繋いだままで景色を眺めていく。


 逆にだんだんとこの手はいつ離すべきなんだろうと考えが変わっていくうちに、向こ


うから「帰ろっか」と言ってくれた。


 帰り道も手を繋ぎながら歩いていった。


 下り坂だったから加奈子ちゃんにも余裕はあって、何ということのない話をしながら


進んでいった。


 行きの道と話してることはそんなに変わらないのに、体の中に流れてるものは全然違


ってた。


 行きは疑問ばかりだったのに、帰りは喜びばかりが流れている。


 電車に乗るときに自然と手は離れ、電車を降りると加奈子ちゃんを家まで送った。


 「楽しかった、今日」


 「うん」


 加奈子ちゃんの笑顔は僕の心を温かくしてくれる。


 初めて笑いかけてくれたときからずっと。


 「バイバイ」


 「バイバイ」



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