王子と眠り姫
「怪物騎士と光の雫」のその後のエピソードです
ブラストとエレネーゼの結婚に至るまでを描きます
「…おや?」
セネバは、異変に気付いて馬を止めた。
少し離れた木々の先に何かが横たわっている…
「さっきは見つけなかった…何だろう。」
馬を降りて歩み寄る…窪みになった先を覗き込むと、抱き合って眠る人間の男女の姿があった。
「...兄上⁉︎」
セネバは驚き、目を丸くした。背中の痣が何よりの証…一人はブラストに間違いない
「...でも、隣の女性は?」
戸惑いながら途方に暮れた。なぜ兄がここに倒れているのだろう…
「驚いている場合ではないな…」
冷静になって考えた。二人は裸体で、体に怪我は見当たらない。
女性を見ないようにしながら、先ずブラストの肩を揺り動かした。
「兄上…どうか目を覚ましてください。」
何度か呼びかけ頬に触れる…すると、ブラストの瞼が開き、セネバをじっと見つめた。
「良かった…」
セネバは安堵し、大きく息を吐いた。
「目を覚ましてくれなかったらどうしようかと思いました…大丈夫ですか?」
「セネバ…なぜここに?」
「僕のほうが聞きたいですよ。巡回の途中ですし、こんな場所にいるのは鹿ぐらいですから…」
言いながら、セネバは自分の上着を脱いでブラストに手渡した。
幸い、馬に着替えも一式積んである。巡回には準備が不可欠で、不測の事態に備えてのものだった。
「ご婦人にはこちらを…」
手に持っていた外套を女性に掛ける…これで、視線に困ることはなくなった。
「…婦人?」
ブラストが脇に視線を移すと、そこにはエレネーゼが横たわっていた。瞼を閉じて眠っており、小さく寝息をたてている。
「これはどういう事態だ?」
ブラストは驚いて声を上げた。記憶をたどろうにも、何ひとつ思い当たらない…憶えているのは試練に挑もうとした直前のことだけだった。
「蝕はどうなった?」
ブラストはセネバに尋ねた。
「私は役目を果たせたのか?」
馬の背から荷物を下ろしたセネバが戻ってくる…チュニックとショーツ、そして革のソックスを差し出すと、困惑気味に微笑んで見せた。
「今朝はとても晴れています。空は明るく太陽が眩しい…生きもの達も喜んでいますよ。」
それが、質問の答えだった。
「試練」の記憶は消える...
父の言っていた事は本当だったのだ。
「…試練とは何だったのだろう。」
エレネーゼを見つめながら呟いた。
「エレナ...君はなぜここに居る?」
思い出せないものの、エレネーゼが関わったのは確かだとブラストは感じた。そうでなければ、この場に居る理由がないのだ。
「とにかく、助けを呼びましょう。ご婦人をこのままにはしておけませんし...」
セネバは空を見上げると指笛を鳴らした。周囲に笛の音が響き渡り、大きな影が舞い降りる…それは凛々しい鷹だった。
「城に知らせを送ります。少し時間を要しますが、助けが来るはずです。」
「感謝するよ...セネバ。」
ブラストは微笑んだ。自然を愛する弟…城に居つかず、観察のために巡回しながら、生きもの達の保護に努めている心優しい王子だ。
「禊を終えたと言うことは、このご婦人と結婚なさるのですね?」
セネバは明るい口調で言った。
「そういうことになる。」
「では、僕も一度城に戻らねばなりませんね。」
「そうして貰えると嬉しいよ。」
「いろいろ母上に小言を言われそうですが…耳に栓をしておきます。」
「私もだ…」
ブラストは肩を震わせた。二人の王子が揃って不在…母の悩みは当分の間、解決しないだろう。
ブラストはセネバの服に袖を通して身支度を整えた。着ていた服や鎧は見当たらず、エレネーゼの服も周囲にはなかった。
…エレナはまだ眠っている…セネバの外套で何とか暖は取れるだろう。
「ここはどの辺りだ?」
ブラストはセネバに尋ねた。
「エレナをどこか適当な場所に連れて行きたいが...」
「サヌー城がすぐそこです。僕と動物しか住んで居ないので、たいした接待はできませんが、迎えが来るまでは辛抱なさって下さいね。」
「辛抱なんてとんでもないさ。」
「ご婦人を馬に...僕は歩いて行きますから。」
「すまない。」
ブラストは地面に片膝をつき、エレネーゼの顔を覗き込んだ。見たところ怪我もしていないようだ...このまま眠らせておきたいがそうもいかない。
「エレナ...」耳元で囁いた。
「目を開けて...馬に乗るよ。」
「...馬?」
エレネーゼは薄く瞼を開いた。ブラストの顔が目の前にあるのを知ると口角を上げる。
「...ブラスト?起こさないで...とても良い夢を見ていたのに...」
「夢?」
「そうよ...あなたとひとつになって...結ばれ」
「エレナ...その話は後にしよう。」
ブラストはエレネーゼの言葉を遮った。何かとんでもない発言をしようとしている様だ。
「...君の服が見つからない。近くの城に着くまで、これで我慢して欲しい...」
「...服」
エレネーゼが寝ぼけている間に、ブラストは素早く外套を身体に巻きつけた。胴をベルトで固定し、抱き上げて馬の背に乗せる。
背を向けていたセネバも振り返り、ブラストが馬に乗るのを待った。
幸いなことに、サヌー城は本当にさほど離れていない場所にあった。
緩やかな登り坂の道の先に建造物があり、円筒形の塔に複数の矢狭間が見える...
「暖炉に火をつけておいて良かった…広間は暖まっているはずです。」
歩きながらセネバが言った。
「ご婦人用の服など探したことがないのですが、客間の寝室に何かあるかも知れません。」
「あることに期待しよう。」
答えながら、大人しくしているエレネーゼの背中を見つめる…怪我はないが、体調が優れないのだろうか?
「寒いかい...エレナ?」
問い掛けに、エレネーゼがわずかに振り向き頷いて見せた。
「...背中は暖かいわ。」
「もう少しの辛抱だ。」
「...心配しないで。」
…心配だ。
ブラストは否定した。おそらく、試練を終えた後にメーヴェから地上へと投げ出されたと考えるのが妥当だが、セネバが来るまでどのくらいの時が経っていたのだろう...
エレネーゼは力無く寄り掛かっている…一刻も早く身体を温める必要があった。
その様子を見ながら、セネバはこの不思議な出来事について考察していた。
ブラストが久しぶりに帰国すると、その翌日には「蝕」が起こり
大嵐になった。たった一日とはいえ、天変地異かと思われるほどの現象に見舞われた。
…影の証のない僕に、兄上の様な「試練」は無縁だけれど、とんでもなく過酷なものだったのだろうな。
「影の継承」と「光の祝福」…兄弟でありながら、正反対の力を授かった。光の加護は主に治癒の能力を発揮するが、兄のような強さを擁してはいない。怪物騎士、すなわちオーガナイトの力は兄だけのもので、自分には全く備わっていないのだ。
…羨ましいなんて、言うものじゃない。
ブラストの宿命は過酷だった。それでも、影の継承がほんの僅かでもあればいいのに…と思う。
「あの...兄上、そのご婦人を紹介していただけませんか?」
セネバはブラストを見上げて言った。
「知らせは届いていたのですが、詳しいことは城に帰ってからと思っていたので...」
「紹介?」
ブラストはセネバに視線を移し、ようやくその事に気付いた。
事態に気を取られて、何の説明もしていなかったのだ。
エレネーゼに自己紹介は難しそうだ。本人の口から名乗るのは、もっと元気になってからでいいだろう。
「妻のエレナだ…メルトワ王家の姫君で、エレネーゼと言う。」
「メルトワの姫...では、王女様なのですか?」
「ユリウス王の末の王女だ。故あってメルトワで知り合った。」
「知り合った?」
王子と王女が知り合いになって結婚に至る...そんな話はおとぎ話でしか聞いたことがないが、現実にあるのは驚きだ。
「...だとすれば、メルトワとサンザスと友好を結ぶのでしょうか?」
「そのつもりだ。ユリウス陛下は私たちの婚姻にご同意下さった。いずれ遠くない日に、正式な調印が交わされるだろう。」
「サンザスが開かれる...王女様が新たな風をもたらすのですね?」
「否定はしないが、私とエレナがサンザスで暮らすのは先の話...すぐに全てが変わる訳ではないよ。」
「姫君もそれに同意を?」
「エレナはボルドーで静かに暮らしたいのだそうだ。私も医学をもっと学びたいし、患者を多く抱えている...父上と母上がご健在なうちは、ボルドーで医者に従事させてもらうよ。」
そう言うと、ブラストは穏やかに微笑んだ。
王子でありながら優れた医学者でもある兄──美しい姫君と巡り合い、サンザスの未来に素晴らしい風をもたらそうとしている…
「祝福を申し上げます…兄上。」
「ありがとう。エレナが回復したら、きちんと君を紹介するよ。」
「もちろん、姉上がお目覚めになってから。」
セネバの指摘に、ブラストはエレネーゼを見遣った。
いつの間にか瞼が閉じられていて。鼓動が腕に伝わってくる...ブラストは落とさないよう華奢な身体を支え直した。
さヌー城の門は目前だった。
サヌー城の門を潜ると、セネバが先立ち、小走りに鎧戸へと駆け寄る。扉を開くと、二人を中へと迎え入れる。
エントランスに馬を止め、セネバにエレネーゼを託してから馬を降りた。
「本当に誰もいないのか。」
ブラストは周囲に視線を巡らせた。人影もなく、迎えに出たのは猫だけだ。
「あいにく...でも、母上がときどき人を寄越してくれるので、管理は行き届いています。」」
エレネーゼを抱えつつ、ブラストは、誘われるまま暖炉の火が燃える広間に入った。室内は暖かく、清潔に保たれていた。心地よさそうな寝椅子があり、エレネーゼを寝かせるのには十分な大きさがあった。
「毛布と...着るものを探してきます。」
踵を返したセネバが扉の向こうに姿を消すと、ブラストは改めてエレネーゼの顔を覗き込んだ。どうやら深い眠りの中にいるらしい…
「君に弟が出来た..,」
そっと額に手のひらを当てる。平熱で、むしろ低いほどだ.った。
「セネバが私達を見つけたのは偶然ではないのだろう...何せ、光の祝福を受けた子なのだから。」
母フェリーナがそうである様に、セネバには光の加護がある。そうとは知らず、導かれたのかも知れない…
「エレナ…君に何があった?」
自分に記憶がないように、エレネーゼの記憶も消えているのかも知れない。だとすれば、真実は永遠に謎のままだ。
「不謹慎にも、すでに私の関心は違う方向を向いている...眠っていても君は魅力的だ。」
自らの厳禁さを自嘲した。何はともあれ「禊」は終えた…これで名実ともに、エレネーゼとの結婚は成立したのだ。
「サンザスの式を終えたらボルドーに帰ろう。両陛下とブラドル殿下にもご報告申し上げなければならないな。」
サンザスでの結婚式は、メルトワと比べて極めて質素だ。華やかなメルトワの王宮で育ったエレネーゼには、ヨルムドとシュナーベルの様な心のこもった祝宴が相応しい…
「ブラドル殿下に相談しよう...君の希望に沿うように。」
頸に指を当てて脈をとり、異常がないことを確かめて安堵した。
眠り姫は目覚めない。今のうちに、着るものを探したほうがいいだろう。
廊下に出ると、セネバが毛布を持って歩いているのが見えた。
「着るものは見つかったか?」
「有るにはあったのですが...古びたもので、王女様が着るのはどうかと...」
「そんなに酷いのか?」
「僕には判断が難しいです...」
セネバは眉を寄せながら言った。考えてみれば、若い王子が婦人の服の知識など知るはずもなかった。
「私が見よう。」
ブラストは言い、セネバと一緒に上階の部屋に入った。ベッドがあるだけの室内に、古びたコファーが置かれていて、すでに蓋が開いている。
「母上のものでしょう...それも、ずっと以前の。」
「その様だな...置き忘れだろうか?」
「蓋が閉じていたので、状態は良く見えますが...」
入っていたのは部屋着だった。ガウンもあり、地味な形だが、酷いというほどでもない。
「助けが来るまで我慢してもらおう。」
ブラストは服を手に取り、エレネーゼのいる部屋に戻った。これでいつ目覚めても安心だ。
「それにしても目覚めませんね...」
巻きつけていたセネバの外套を取り除き、毛布を掛け直しているというのに、エレネーゼは全く目を覚さなかった。その後もセネバがブラストのために用意した食事をともに食べ、長い時間、語り合う間も、ただ昏こんと眠り続けるばかりだった。
「なぜ起きない..,」
さすがに心配になり、ブラストはエレネーゼの顔を覗き込んだ。
「疲労が原因としても眠り過ぎだ…。」
二人は沈黙した。ブラストは医師で、セネバも生き物の生体は把握している。エレネーゼの容態に問題はないはずだ。
「...あっ」
セネバが声を上げた。
「もしかすると...」
「どうした...セネバ?」
ブラストが弟を見やる...セネバは口角を上げていた。
「キスですよ。」
「キス?」
「おとぎ話にあるじゃないですか!眠り姫は王子のキスで目覚めるって...きっとそうだ。」
「セネバ...」
「兄上は王子です。絶対に目覚めますよ...さあ、試して下さい。僕は後ろを向いていますから!」
自信満々に告げると、セネバは即座に背を向けた。
「それはおとぎ話だ。」
半信半疑だったものの、ブラストはエレネーゼに顔を寄せた。そっと唇を重ねる…柔らかな感触が伝わった。
「ブラスト…?」
エレネーゼが身じろぎ、瞼を開く…
「エレナ…」
驚くブラストの呼びかけに、エレネーゼは微笑みを浮かべた。
「おはようブラスト、私の愛する王子さま。」
つづく




