第9話:それぞれの「極み」へ
「……そこまでだ」
父上——ガロンの一喝。その声だけで、激しく渦巻いていた魔圧が霧散した。 練武場の床は、もはや石材の形を留めず粉々になっている。
俺は仰向けに倒れ、天井を仰いでいた。 右腕の感覚はない。全身の筋肉が断線したかのように熱い。 隣では、シエラ姉様もまた、肩で激しく息をしながら膝をついていた。
「……負け、ですね。父上」
俺が掠れた声で言うと、ガロン父上はゆっくりと歩み寄り、俺を見下ろした。 その黄金色の瞳には、かつて俺に向けられていた「失望」は微塵もなかった。
「……ああ、勝負としては私の勝ちだ。だが、アルス。お前が示した『身体強化』の深化……それは魔法を放てぬ者の妥協ではなく、魔法を凌駕しうる一つの『理』であった」
ガロン父上は、自らの頬に触れた。 そこには、アルスのコークスクリューが掠めた、ごく薄い切り傷。 王国の不動壁を、6歳の子供の拳が傷つけた。その事実に、父上は戦慄し、そして笑った。
「アルス、お前はそのまま身体強化を研ぎ澄ませ。シエラ、お前はアルスの技術を魔法と融合させ、新たな地平を開け。……お前たちは、私の誇りだ」
その言葉を残し、父上は踵を返した。
数日後。 バトラー家の日常は一変していた。
シエラ姉様は、自らの全属性魔法にボクシングの物理的な回転と踏み込みを組み込んだ「ハイブリッド魔法」の研究に没頭し始めた。 彼女が放つ魔法は、もはや単なる自然現象ではなく、殺意と技術を伴った「不可避の弾丸」へと進化しつつある。
そして、俺は。
(魔力は外に出さない。一点に、瞬時に、骨の芯まで。……そして、相手の魔力を『リズム』として聞き取る)
森の中で、俺は再びシャドーボクシングを始めていた。 シエラ姉様のような派手なエフェクトはない。魔法の適性も、相変わらずゼロのままだ。 だが、俺の拳が空を裂くたびに、大気が悲鳴を上げ、見えない衝撃波が森を揺らす。
「……見てろよ、父上。次、その『壁』をブチ抜くのは、魔法じゃない。俺のこの、ただの拳だ」
前世で届かなかった「最強」の称号。 この理不尽な世界でなら、もっと高く、もっと速い場所までたどり着ける。
「速水鉄拳」の第2ラウンドは、ここから加速していく。 魔法を超え、世界の理をブチ抜くための、孤独で、最高に熱い「身体強化」の道が、どこまでも続いていた。




