第3話:地獄のスパーリング
「準備はいいかしら、アルス? 身体強化、最大まで練り上げなさい」
シエラ姉様が指先を向ける。それだけで、周囲の空気がパチパチと弾け、静電気が肌を刺す。 彼女が展開したのは、複数の属性を組み合わせた「マルチ・バレット」。火の弾、氷の礫、風の刃が、滞空したまま俺の急所を狙っている。
「……いつでもいいぜ、姉様」
俺は重心を低く落とし、両拳を顔の前に掲げる。ピーカブースタイル。 身体強化を「全身」に薄く広げるのではなく、「今、動かす筋肉」だけに爆発的に集中させる。これが俺の見つけた、燃費と出力を両立させる唯一の道だ。
「行くわよ」
シエラの合図とともに、火弾が飛来する。 速い。だが、ボクサーの目には「予備動作」が見える。魔法を放つ直前、彼女の魔力がわずかに収束するポイント。それがパンチを打つ前の肩の動きと同じだ。
俺は最小限のヘッドスリップで火弾をかわし、そのまま斜め前に踏み込む。
「あら、避けるのは上手いのね。じゃあ、これは?」
シエラが手をかざすと、今度は風の刃が不規則な軌道で襲いかかる。 逃げ場を潰すための広域掃射だ。
(逃げねえ。前だ……前へ出る!)
俺は身体強化を足首と膝に集約し、爆発的なダッシュを敢行した。 風の刃をウィービングで潜り抜け、衝撃波を肩の筋肉を硬化させて弾く。
「……っ!」
シエラの瞳が驚愕に揺れる。 魔法使いにとって、距離を詰められることは死を意味する。ましてや、自分の弾幕を「潜って」くる奴など、この世界の常識にはいない。
俺の左拳が、シエラの喉元へ突き出される。
(もらった——!)
だが、拳が届く直前。 シエラの周囲に、レグルス兄上のものとは比較にならないほど濃密な、七色の障壁が展開された。
ドォォォン!!
「が……はあっ!?」
拳が砕けるかと思った。 衝撃を吸収する水、反発する風、硬化させる土。複合属性による自動防御。 俺の拳は障壁に阻まれ、逆にその反動で俺の腕の筋肉が悲鳴を上げる。
「惜しかったわね。でも、詰めが甘いわ。——『雷鳴』」
シエラの姿が消えた。 いや、雷速の移動だ。 気づいた時には、彼女の手のひらが俺の胸に置かれていた。
「チェックメイトよ、アルス」
ドッ!!
衝撃魔法が至近距離で炸裂する。 俺は地面を転がり、森の木々に背中を叩きつけられた。
「……カハッ……ゴホッ……」
口の中に鉄の味が広がる。 肺が潰れたかと思ったが、直前で身体強化を胸筋に集中させたおかげで、なんとか意識を保っていた。
「……ひどいな、姉様。手加減って言葉、知らないのか?」
俺は震える足で立ち上がる。膝が笑っている。だが、口角は上がっていた。 今の一撃、シエラは明らかに「本気」に近い魔法を使わされた。俺のステップが、彼女に「守り」を選ばせたんだ。
「……驚いたわ。今のあなたの動き、魔法の流動を『読んで』いたでしょう?」
シエラは冷汗をぬぐい、不敵に笑う。 その瞳には、もはや「弟への憐れみ」など欠片もない。一人の「敵」を見る、飢えた猛獣の光だ。
「面白い。本当に面白いわ、アルス! あと2ヶ月……領内演習の日まで、毎日こうして遊んであげる。死ぬ気でついてきなさい!」
「……望むところだ」
俺は再び拳を固める。 魔法の鎧を貫くには、ただのパンチじゃ足りない。 骨を、関節を、魔力の流れを破壊する「浸透する打撃」。 前世の伝説的なボクサーたちが使っていた「コークスクリュー・ブロー」を、身体強化でさらに進化させる。そのイメージが、脳内で形を作り始めていた。




