少しゾッとする話【実話を基にしたフィクションです】【完結】
夜の7時。
まだ明るさが残る夏の夜。
仕事帰り、すぐに帰るのがなんだかもったいないほど街は活気に溢れている。
なんの予定も無い私は母に頼まれた猫缶を買って、家に帰るべく駅から始発のバス停に並んだ。
行ったばかりの停留所に並んでいるのはざっと見たところ7~8人。
次は10分後だけど確実に座れるだろう。
スマホで時間を潰していたら10分なんてあっという間に過ぎ、私の後ろにはたくさんの人が並んでいた。
バスが来て乗り込むと、座りたかった一人がけの座席はすぐ埋まってしまったので後方に進んだ。
座席が一段高くなっている後ろ半分は左右に二人席と、さらに一段高い一番後ろに5人は座れる横一列の席がある。
空いていたら真っ先に座る一番後ろの座席の窓際は、両端とも既に人が座っていた。
前に7~8人並んでいたから先に座られても仕方ないか。
向かって右端はくたびれたサラリーマン風の男。
左端は女の子のようだったので、その子の隣に座った。
続けて高校生の男子がスマホを見ながら私の左隣にドスッと座った。
どんどん人が乗車してくる。
いつも通りすごい混み様だ。
一番後ろの方まで立つ人で塞がり、そしてバスは出発した。
私も立つことの方が多いから今日はラッキーだった。
あとは私が降りる終点のひとつ前まで隣の女の子が早々と降りなければいいけど……と勝手なことを思いながらスマホでメールをちょっと確認してすぐバッグにしまった。
走るバスの中でスマホを見ると気持ち悪くなってしまうのだ。もちろん本も無理。
スマホに集中することができる左隣の高校生が羨ましい。
彼のように、若者はもれなくバスの中でスマホを見ている昨今、視界に入る隣の女の子の手元にスマホは見えなかった。
若いのに珍しいと一瞬思ったけど、すぐにそんなどうでもいい思考は消えた。
閉め切った窓の外はすっかり暗くなっていて車内の景色が窓に反射している。
窓際に座った時は反射する自分の疲れてやつれた顔を見て、げんなりすると同時に今日もよくがんばったと自分を労うのだけど。
鳥肌が立った。
効き過ぎたクーラーにバッグの中からカーディガンを取り出そうかと思ったけど、私はそのままバッグに視線を落として無になった。
一つ停留所を過ぎ。
そこで妙な視線に気づいた。
前方の二人席の間の通路に立っている、私と同じ20代くらいの女性と中年のおじさんが苛立たしげに私を睨んでいるのだ。
その中年のおじさんは顔が赤く、いまだ引かない汗を額から垂らしている。
女性の方は目の下にくっきりと出たくまが印象的で、唇は血の気がなく、口紅はすっかり落ちている。
その様子から、暑さと疲れでまいっている感じは見て取れる。
でも座ることができないからといって睨むなんて……。
席はもう詰めることはできない。
私は膝の上のバッグをぎゅっと握りしめた。
そうするしかない。
早く着かないかなぁ。
バスは国道を曲がって住宅街へ入り、停留所をいくつか過ぎた所で私を睨んでいた二人は降りて行った。
はぁ……。
ふと安堵のため息が漏れる。
車内は座席の空きも出てきて、立っているのは前方に二人だけ。
左隣に座っていた高校生が降りたので右隣の女の子と間を空けようと、腰を浮かせて横にお尻半分ほどずれた。
本当は前の方の空席に移動したかったけど、面倒が勝った。
いまさら。
思えば女の子は微動だにせず、ずっと俯いている。
横目で見る限りストレートの黒髪が横顔を覆っているため顔は見えない。
ただ、伸びた細い腕はとても白くて私の日焼けした腕とは雲泥の差だ。
≪次は〇×小学校前 次は〇×小学校前 お降りのお客様は~≫
やっと着いた。
渋滞していなかったのに、今日はやけに時間がかかったように感じられた。
≪お席の移動はバスが停車してから~≫
早く帰ってゆっくりしたい気持ちから、私はバスが停車する直前に席を立って運転席の方へ歩いた。
すると前の方から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「郁代!」
「え?」
運転席近くから私に声をかけたのは小、中学校と幼馴染の真由美だった。
ご近所さんだし、同じバスに乗るというのにこれまで出くわさなかったのが不思議だ。
中学校以来でとても懐かしい。
年甲斐もなく二人でキャッキャ言いながらバスを降りた。
「久しぶりだね。どこに座ってたの?」
「前の方で立ってた。郁代が先に乗って後ろに座ったのは分かったのよ」
「そっか。声かけてくれれば……って、遠過ぎね」
「……ところで郁代、今何してるの?」
「普通の会社員よ。真由美は?」
「私は――アルバイトをしながらうちの神社の手伝いをしてるわ」
彼女は近くの神社の娘だ。
でも、それだけじゃない。
「やっぱりそうだよね」
「うん。あのさ……」
真由美は少しためらって、意味ありげに私を見た。
このやりとり、そして『間』。
その表情と雰囲気に、小学生の頃を思い出す。
なんだかドキドキしてきた。悪い意味で。
小学生の頃のデジャブ。
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
実は真由美には霊感がある。
幽霊が見えるというのではなく、もやもやとしたものが見え、その色が黒に近ければ近いほど良くないらしい。
遊んでいた時、ちょうど今みたいに意味ありげな表情で「あのさ……」と言って、黒い影に覆われている人がいると私にこっそり耳打ちした後、その人が直後に車に轢かれたのを見たことがあるし、友だちの背中に黒い影が纏わりついていることを教えてくれた数日後にその子の父親が亡くなったりした。
「郁代、後ろの席に座ろうとした時、窓際に座らなかったでしょ」
「うん……」
「あそこ、真っ黒だったよ……」
「真っ黒か……」
「やっぱり見えたから座らなかったんだね」
「気付いたのは座って少ししてからなんだ」
窓際の女の子の手元にスマホが見えなかったときにこの女の子はこの世の人間じゃないと気付いた。
理屈じゃなく、感覚で。
そして右横の窓に顔を向けると、案の定私だけが窓に映ったのだ。
睨んでいた人たちは、窓際に席を詰めない私にさぞむかついていただろう。
だからといって私には見えているその女の子にかぶさるように席を詰めるなんて真似はできない。
真由美の霊感とは違って、私は「具体的に見える」から。
だから子どもの頃、彼女は黒いもやもやが見えた時に私にいちいち伝えて、具体的に何が見えるかを聞いていたのだ。
「バスを降りる時、振り返って確認してみようかなってちらっと思ったんだけど、その時真由美に声かけられてさ」
「黒いのが郁代の後ろに付いて来たから絶対声かけなきゃって思ったのよ」
「うわ、ほんとに!? ねえ、まだ後ろにいる? なんかもう見たくないわ……」
「あー。今日私に会ったのも何かのお導きね。このままうちに寄った方がいいよ」
「ありがとう! そうさせてもらうね」
そうして私は後ろを振り返らないようにしながら真由美の家の神社に寄ってお祓いをしてもらうことになった。
お祓いが終わり、後ろを見てみたら誰もいなかったのでホッとした。
彼女が言うには、神社の敷地内に入ると黒いもやもやは段々小さくなっていったらしいけど。
あれからバスの中でその霊を見ることはなかった。
ただ、バスの一番後ろの右側の席に座っているのが女の子だと、つい目が行ってしまうようになった。




