幕間1-1.英雄たちの究極の昼餐
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戦いの傷も癒え、学園に束の間の平穏が戻ってきた、ある休日の昼下がり。
俺、神凪湊は、高千穂、貴船、そして栞と共に、なぜか鬼塚顧問に呼び出されていた。
場所は、演習場でも、講義室でもない。
最新の業務用設備だけが、やけにギラギラと輝きを放つ、巨大な調理実習室だった。
「さて、馬鹿ども。先日の戦いで、個々の力は認めよう。だが、チームとしての連携は、まだ赤点だ」
どこから取り出したのか、審査員席のような豪華な椅子にふんぞり返った鬼塚顧問が、厳かに告げる。
俺たちは、ゴクリと喉を鳴らした。一体、どんな地獄の訓練が始まるというのか。
「よって、貴様らには、四人の絆を深めるための『特別合同訓練』を行う! テーマは――料理対決だ!」
「「「は?」」」
俺と高千穂、貴船の声が、綺麗にハモった。栞だけが、きょとんとしている。
「テーマは『俺を唸らせる、究極の学食ランチ』! チーム分けは、そこの高千穂と貴船! そして、神凪と小鳥遊だ! 制限時間は一時間! 負けたチームは、罰として、中庭に建立された俺の銅像を、歯ブラシでピカピカに磨いてもらう! 用意はいいな、馬鹿ども!」
「いつの間にそんなもん出来たんですか!?」
「やかましい!さぁ、調理開始だ!!」
「ダメだ、全然話聞いてくれない!」
俺のツッコミも虚しく、調理開始のゴングが無情に鳴り響く。
こうして、俺たちの、最もくだらない戦いの火蓋が、切って落とされた。
「よっしゃあ! 料理は火力だ! 俺の【炎神の小手】で、究極のパラパラチャーハンを作ってやるぜ!」
「愚か者め。料理とは、素材のポテンシャルを最大限に引き出す、科学であり芸術だ。見ろ、俺の【薄氷の刃】が生み出す、分子レベルの千切りを」
隣の調理台では、早速、地獄のような光景が繰り広げられていた。
高千穂が、実装した【炎神の小手】の炎で、中華鍋を常軌を逸した温度で熱し始め、貴船は、実装した【薄氷の刃】で、キュウリを、もはや霧にしか見えないレベルで切り刻んでいる。
神の御業の、完全なる無駄遣いだった。
「落ち着け栞! 俺たちは普通にカレーを作るんだ! 普通が一番美味い!」
「はい、湊さん! 分かります!」
俺たちのチームは、まだ正気を保っている。そう思ったのも、束の間だった。
栞は、まな板の上のジャガイモを、じっと見つめると、真剣な顔で俺に告げた。
「このジャガイモ……その瞳の奥に、気高き男爵としての誇りが見えます! 彼の魂を…無駄にはできません!」
「ジャガイモに瞳はねぇよ! 早く皮むいてくれ!」
覚醒した彼女は、おどおどしなくなった代わりに、若干、天然ボケの方向へとシフトチェンジしていた。
調理実習室は、瞬く間にカオスと化す。
「うおおお! これが男の爆炎クッキングだ! 米よ、舞えッ!」
高千穂が、中華鍋を振るうたびに、米粒が銃弾のような速度で飛び交い、天井に突き刺さっていく。
「フン。美しくないな。俺は、素材の細胞一つ一つに、完璧な熱伝導を施す」
貴船は、巨大な肉の塊を、氷のメスで捌きながら、ミリ単位で火を通していく。その姿は、もはや料理人ではなく、マッドサイエンティストだ。
「湊さん、大変です! このニンジンが、『自分はカレーではなく、ポトフになりたかった』と、その魂で訴えかけています!」
「さっきから何が視えてんの!?…気のせいだから! 黙って鍋にぶち込め!」
俺が、必死にツッコミを入れながら、なんとかカレーを形にしようとしていた、その時だった。
隣の調理台から、凄まじい爆発音が響いた。
「うおおお! 油に火がッ! これぞ、究極のフランベだぜぇぇぇ!」
高千穂が、調子に乗って炎の出力を上げすぎた結果、調理台の上の油に引火! 天井に届くほどの、巨大な火柱が上がった。
「やべっ!? やりすぎた!」
「……この、脳筋が」
その瞬間、隣で完璧な付け合せを作っていた貴船が、舌打ち一つ。
彼は、一切のためらいなく、高千穂の調理台に【薄氷の刃】を振るう。
炎は、一瞬で巨大な氷の塊の中に封じ込められ、ジュウ、という音を立てて鎮火した。氷塊は、床にゴトリと落ちる。
「お、おお……! 悪い、貴船!」
「フン。……貸し一つだぞ、高千穂」
その横顔は、いつものように冷徹だったが、その行動は、確かに、同じチームの仲間を救うためのものだった。俺は、その光景を、少しだけ、見直すのだった。
そして、一時間が経過した。
ボロボロになった二組が、それぞれの『究極のランチ』を鬼塚の前に差し出す。
チーム高千穂・貴船の皿の上には、黒焦げの炭(元チャーハン)と、芸術的だが、明らかに味がしないであろう氷の薔薇の彫刻が、前衛芸術のように盛り付けられていた。
対する俺たちの皿の上には、完璧な見た目の、めちゃくちゃ美味そうな、普通のカレーライスが乗っている。
…どう見ても、俺たちの勝ちだ。
鬼塚は、両方を一口ずつ食べる。
炭を口に含み、顔をしかめる。カレーを口に含み、深く頷く。
そして、厳かに、判定を下した。
「――勝者、チーム高千穂・貴船ッ!」
「「なんでだよ(ですか)ッ!!」」
俺と栞の絶叫が、綺麗にハモった。
鬼塚は、鼻をほじりながら、こともなげに言い放つ。
「こっちのカレーは、美味い。だが、ただの『美味いカレー』だ。しかし、こっちの皿には……」
鬼塚は、炭と氷のオブジェを指さす。
「『究極とは何か』という、哲学的な問いかけがある。俺は、その心意気を買った。以上だ」
「味関係ないじゃないか!そのバカ舌出せ、引っこ抜いてやるッ!!」
その、あまりに理不尽な判定に、貴船は「フン。当然の結果だ」と満足げに頷き、高千穂は「俺たちのパッションが、顧問に届いたんだ!」と号泣。
調理実習室には、「納得できるかぁぁぁぁっ!」という俺の絶叫だけが、虚しく響き渡る。
そして、その日の午後。
中庭に建立された、やけにクオリティの高い、黄金に輝く鬼塚顧問の銅像の前で。
俺と栞が、一本の歯ブラシを手に、途方に暮れていたのは、言うまでもない。
お世話になっております。
新章の設定が定まるまでの期間、脳死で日常回を幕間としてお届けします。