18.戦いの終わり、始まりの足音
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次に俺が目を覚ました時、そこに広がっていたのは、またしても、医務室の白い天井だった。
ただ、前回と違うのは、全身を包む、鉛のような倦怠感と、そして、右手の甲に刻まれた『聖痕』から、まるで潮が引くように、綺麗さっぱりと力が抜け落ちてしまったかのような、奇妙な虚脱感だった。
あれが、演算領域を完全に焼き切った、代償なのだろう。
「……目が覚めたか、神凪」
不意に、低い声がかけられた。
視線を向けると、そこには、パイプ椅子に腰掛け、腕を組んでこちらを見下ろす、鬼塚顧問の姿があった。その表情は、相変わらず気だるげだが、どこか、ほんの少しだけ、柔らかいものが混じっているように見えた。
「……俺は……」
「安心しろ。丸一日、眠ってただけだ」
鬼塚顧問は、まるで俺の質問を先読みしたかのように、淡々と語り始めた。
「お前たちが、あのバカげた神話喰いを倒した後、ダンジョンのロックは解除された。俺たちが突入した時、お前たちは全員、仲良く折り重なるようにして、ぶっ倒れてたよ。まあ、奇跡的にな」
彼の言葉によれば、俺たちの身体は、すぐに学園の最新医療班によって治療されたらしい。
剣崎の折れた腕も、高千穂の全身の火傷も、後遺症なく完治するとのことだった。砕け散った彼の遺産だけは、どうしようもないが。
そして、俺が最も案じていた少女――小鳥遊栞もまた、隣のベッドで、今は静かな寝息を立てている。彼女の消耗が最も激しかったが、命に別状はない、と。
「……そう、ですか……」
仲間たちの無事を知り、俺は、心の底から安堵のため息を漏らした。
「さて…」
鬼塚顧問は、そこで一度、言葉を切った。
そして、その剃刀のような鋭い目で、俺を真っ直ぐに見据える。
「今回の実技評価試験。その、正式な評価を、今からお前に言い渡す」
ゴクリ、と俺は喉を鳴らした。
「まず、貴船リュウジ。高千穂快。剣崎渉。この三名については、Aランク評価だ。イレギュラーな事態に際し、仲間と連携し、最後まで戦線を維持した。文句なしの結果だ」
「……はい」
「そして、小鳥遊栞。……あいつは、規格外だ。評価不能。いや、評価する言葉が見つからん。あいつの【運命観測】がなければ、お前たちは、間違いなく、全員死んでいた」
彼の言葉に、俺は、誇らしい気持ちで、隣で眠るパートナーの寝顔を見つめた。
そして、最後に、俺の評価。
「神凪湊」
「……はい」
「お前は――」
鬼塚顧問は、少しだけ、間を置いた。
そして、これまでに見せたことのない、ニヤリ、という、まるで悪童のような笑みを浮かべて、言った。
「――赤点だ。落第だ、神凪」
「…………は?」
予想の斜め上を行く評価に、俺は、完全に思考が停止した。
え? 赤点? 落第?
俺たち、世界を救った英雄じゃ……。
「当たり前だろうが、馬鹿野郎」
鬼塚顧問は、心底呆れた、という顔で続ける。
「お前は、自分の演算領域を完全に焼き切った。一歩間違えれば、廃人だ。自分の命すら管理できない奴が、英雄だと? 笑わせるな。戦場で一番最初に死ぬのは、お前みたいな、後先考えねえ奴なんだよ」
それは、あまりに手厳しい、しかし、一点の曇りもない、正論だった。
俺は、ぐうの音も出ない。
「……ですが」
その時、医務室の扉が、静かに開いた。
そこに立っていたのは、生徒会長、月読さやかだった。彼女は、静かな足取りで、俺のベッドのそばまでやってくると、鬼塚顧問とは、全く違う視点で、俺に告げた。
「鬼塚顧問の評価は、戦闘員としての評価。それも、一つの真実でしょう。ですが、私からの評価は、異なります」
彼女の、月光のように澄んだ瞳が、俺を捉える。
「神凪湊。貴方の力は、確かに、危うく、不安定で、未熟です。ですが、それは、同時に、無限の可能性を秘めているということでもある」
「……」
「貴方は、たった一夜で、Aランクの天才と、Bランクのエリートたちの心を動かし、その力を束ね、高ランクの神話喰いを討滅した。それは、この学園の誰もが、成し得なかった偉業です」
彼女は、そこで、ふわりと、初めて、俺に向けて、柔らかな笑みを浮かべた。
その美しさに、俺は、心臓が跳ね上がるのを感じた。
「貴方の力は、この世界の凝り固まった『秩序』を、良い意味で破壊してくれるかもしれない。――Sランク評価を、差し上げます。これからも、期待しているわ、神凪君」
赤点と、Sランク。
二人の、あまりに両極端な評価。
だが、そのどちらもが、今の俺の、偽らざる姿なのだろう。
俺は、まだ、弱い。未熟だ。
でも、一人じゃない。
隣で眠る最高のパートナーと、背中を預けられる、最高の仲間たちがいる。
俺は、改めて、決意を固めた。
もっと、強くならなければ。
この、手に入れたばかりの絆を、二度と失わないために。
そして、その数日後。
すっかり体調が回復した俺の元に、一通の、奇妙な手紙が届いた。
差出人の名前は、『神遺学園・遺産研究部門筆頭教授 時任 綸』。
その手紙が、俺を、この世界の、さらなる深淵へと誘う、新たな扉であることを、俺は、まだ、知らなかった。
これにて実技評価試験編は、終了となります。
若干の幕間を挟んで、新章に移りますので、よろしくお願いします。