17.俺たちの神話
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「――湊くん。立てますか? あなたの出番です」
その声は、まるで天啓のようだった。
怒りと自己嫌悪で、闇に沈んでいた俺の意識を、一本の光の綱となって、強引に引きずり上げる。
俺は、ゆっくりと、顔を上げた。
そこにいたのは、もう、俺の知っている小鳥遊栞ではなかった。
血と泥に汚れながらも、その身に星空の如き【星々の羅針盤】を従え、戦場の全てを見通す女神。
彼女の、覚醒したその姿が、そして、その瞳に宿る、俺への絶対的な信頼の光が、砕け散っていた俺の心を、再び一つに繋ぎ止めてくれた。
「……ああ」
俺は、ふらつきながらも、確かに、立ち上がった。
もう、怒りはない。恐怖もない。
ただ、胸の中にあるのは、傷つき、倒れ、それでも俺を信じ、繋ぎ止めてくれた、仲間たちへの、感謝の気持ちだけだった。
俺は、生まれ変わった栞に、短く、しかし、全ての信頼を込めて、頷き返す。
すると、彼女は、静かに、しかし、戦場にいる全員の魂に直接語りかけるような、凛とした声で言った。
「皆さん、私の指示に従ってください。――この戦いは、私が『観測』します」
その、あまりに堂々とした宣言に、貴船ですら、一瞬、目を見開いた。
神話喰いが、再び混沌のエネルギーを高め、突進してくる。
「高千穂くん、右前方へ三歩!――貴船さん、その位置から、私の指定する座標に、最速の一撃を!」
栞の声が、戦場に響き渡る。
言われた二人は、戸惑いながらも、その声に宿る絶対的な確信を信じ、咄嗟に行動した。
高千穂が、指示通りに移動した、その瞬間。彼が元いた場所に、神話喰いの巨大な腕が叩きつけられ、地面を粉砕する。
「なっ……!?」
「今です、貴船さん!」
貴船は、栞が示した、何もない空間へと、渾身の突きを放つ。
すると、その氷の刃の先に、空間を跳躍するようにして、神話喰いの腕が、寸分の狂いもなく現れた。
――ガキンッ!
完璧なカウンター。神話喰いの体勢が、初めて、大きく崩れた。
「……嘘、だろ……」
高千穂が、呆然と呟く。
「栞の奴、未来でも、視てんのか……!?」
そうだ。これが、彼女の覚醒した力。
【星々の羅針盤】は、もはや、ただ遠くを視るだけの力ではない。
この世界の全ての事象を構成する『神の記述』の流れ、その因果を読み解き、数秒先の未来を『予測』する、【運命観測】、まさしく女神の眼なのだ。
「剣崎さん、貴船さんの援護を!――湊くん、力を溜めて! 今から、私が、私たちが…あなただけの道を創ります!」
栞の指揮の下、戦況は、劇的に変わり始めた。
貴船、高千補、剣崎の三人は、もはや闇雲に攻撃を仕掛けるのではない。
栞という完璧な『司令塔』を得て、神話喰いの全ての攻撃を予測し、その全ての隙を突く、一つの生命体のような、完璧な連携を、繰り広げ始めたのだ。
「湊くん、来ます! 敵のコアが、移動を始める……! 惑わされないで!」
俺は、仲間たちが命懸けで稼いでくれた時間の中、自らの『演算領域』に、四人の魂を束ねていく。
栞の【星々の羅針盤】から、「絶対的な座標」という【確信】の概念が。
貴船の【薄氷の刃】から、「絶対零度」という【停滞】の概念が。
高千穂の【炎神の小手】から、「太陽の熱量」という【解放】の概念が。
砕け散った剣崎の遺産から、「不屈の信念」**という【意志】の概念が。
俺の右腕に、灼熱の蒼い炎と、絶対零度の白い氷が、禍々しくも美しい、双極の螺旋を形成していく。
神話喰いは、そのエネルギーの奔流に、自らの消滅を予感したのか、最後の抵抗とばかりに、その巨大な口に、全てを消し去る混沌のブレスを収束させ始めた。
「湊くん! 敵は、最大出力のブレスを放って、あなたごと全てを消し去るつもりです!」
「だが、こいつを撃てば、俺も……!」
「――大丈夫。動かないで」
栞の声は、どこまでも、静かだった。
「その攻撃は、あなたの座標には、決して届きません」
その、絶対的な信頼。
俺は、迷いを捨てた。
仲間を信じる。俺の、女神を信じる。
神話喰いのブレスが、放たれる。
それと、俺が、最後の力を解放したのは、同時だった。
俺は、叫んだ。
この日、この瞬間に生まれた、俺たちの、ただ一つの、神話の名を。
「――集え、我が友の魂! 世界の理を、今ここに書き換える!」
「喰らえるもんなら、喰らってみろッ!……これが、”俺たちの神話”だッ!――」
「――【双極螺旋・無間奈落】ッ!!」
放たれた螺旋は、栞がリアルタイムで送り続ける、敵のコアの座標へと、吸い込まれるように突き進む。
神話喰いのブレスは、俺の身体を、まるで避けるかのように、ほんの数センチだけ逸れて、背後の壁を消滅させた。
そして。
俺たちの魂の一撃は、神話喰いの、たった一点の、絶対的な弱点に、確かに、届いた。
世界から、音が、消えた。
灼熱と、絶対零度。
その、決して交わるはずのない、二つの絶対的な概念が、敵の体内の、たった一点で、衝突し、対消滅を引き起こす。
神話喰いの、混沌とした【神の記述】は、その「無」の中に、存在そのものを、一瞬で吸い込まれ、完全に「消去」された。
そして。
数秒の静寂の後。
世界に、音が、戻ってきた。
そこには、もう、何もいなかった。
神話喰いは、その痕跡すら、残さずに、消え去っていた。
「……は……はは……」
俺の口から、乾いた笑いが漏れる。
そして、それを最後に、俺の演算領域は、完全に焼き切れ、俺の意識は、今度こそ、安らかな闇へと、落ちていった。
倒れる寸前、俺の目に映ったのは。
仲間たちの、安堵の表情と。
涙を流しながら、それでも、最高に美しく、微笑んでくれた、俺の、女神の姿だった。
ご覧いただきありがとうございます。
次回更新で、実技評価試験編は終幕となります。