16.星の目覚め、女神の産声
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――暗い。
――痛い。
――ごめんなさい、湊くん……。
私の意識は、冷たくて、どこまでも深い、水の底に沈んでいた。
全身を叩きつけられた衝撃の痛みも、血の流れる不快感も、どこか遠い世界の出来事のようで、現実感がない。
ただ、胸を締め付けるのは、圧倒的な無力感と、後悔の念だけだった。
(私……結局、何もできなかった……)
(湊くんが、あんなに、信じてくれたのに……)
(変わろうって、思ったのに……)
結局、私は、足手纏いだった。
彼が倒れたのも、仲間たちが傷ついていくのも、全部、私の力が、私が、弱いから。
もう、駄目だ。
意識が、溶けていく。思考が、闇に呑まれていく……。
『――湊を、一人で行かせるわけ、ねえだろ……!』
不意に。
その深い闇の向こうから、声が聞こえた。
高千穂くんの、叫び声。
『――我が正義は、仲間を見捨てないッ!』
剣崎くんの、咆哮。
『――兄さんと……同じだ! 結局、お前も、周りを不幸にするだけなんだッ!』
そして、貴船さんの、悲痛な慟哭。
仲間たちの、心が砕ける音が、聞こえる。
湊くんが、守ろうとした人たちが、絶望に呑まれていくのが、分かる。
(……やだ)
嫌だ。
こんな結末は、絶対に、嫌だ。
私のせいで、みんなが不幸になるなんて、それだけは、絶対に。
――その時、私の脳裏に、いくつもの光景が、星が流れるように、駆け巡った。
◇
――それは、薄暗い教室の片隅。
誰も、私に話しかけない。私の力は「ハズレ」で、気味が悪いと、遠巻きにされている。
大きな眼鏡の奥で、私は、ただ、世界の全てを拒絶するように、俯いていた。
私の【千里眼】は、呪いだった。望んでもいない情報が、常に頭の中に流れ込んできて、私を苛む。
私は、ずっと、一人だった。
『――俺でいいなら、ぜひ』
そんな私の前に、彼――神凪湊くんが、現れた。
初めて、私を、一人の人間として、パートナーとして、選んでくれた。
差し伸べられた彼の手は、不器用で、でも、太陽みたいに、暖かかった。
『――俺たちで、あいつらの度肝を抜いてやろうぜ』
◇
――それは、医務室の、白いベッドの上。
彼の無茶で、二人して倒れた後。
私は、彼を責めるべきだったのかもしれない。
でも、彼は、私に、心の底から頭を下げた。
そして、言ったのだ。「君の負担にならない方法を、一緒に見つけたいんだ」と。
彼は、私の力を「利用」しようとしたんじゃない。
私の「呪い」を、二人で「祝福」に変えようとしてくれた。
あの瞬間、私は、初めて、自分の力が、好きになれるかもしれない、と思った。
初めて、彼を……湊くんをーー…
◇
――それは、試験当日の、朝の光の中。
勇気を振り絞って、初めてコンタクトにした、私を見て。
彼は、一瞬、驚いた顔をした後、少し照れながら、でも、真っ直ぐな目で、言ってくれた。
『――いや、全然変じゃない。すごく……いいと思う。似合ってる』
たった、それだけの言葉が。
何年も、私の心を覆っていた分厚い氷を、いとも簡単に、融かしてくれた。
嬉しかった。
この人の隣に立ちたい。
この人の見る未来を、一緒に見たい。
心の底から、そう、思った。
◇
(――ああ、そっか)
闇の中で、私は、ようやく、気づいた。
私は、ずっと、間違っていた。
私の力は、呪いなんかじゃなかった。
湊くんと出会うために、彼の力になるために、この世界が、私に与えてくれた、たった一つの、贈り物だったんだ。
だとしたら。
私が、今、すべきことは、一つしかない。
(もう、守られるだけじゃない)
(私が、湊くんを、みんなを、守る!)
(私が、彼の、そして、みんなの『道』を、照らすんだ!)
――私に、皆に…道を標して……本当の、輝きを見せて――
その、魂からの祈りに応えて。
私の意識の奥深くで、何かが、生まれたての星のように、眩い光を放った。
これまで、ノイズの濁流でしかなかった情報の奔流が、静まり返っていく。
そして、その静寂の中に、美しい秩序を持った、無数の『旋律』が、聞こえ始めた。
世界の、本当の姿。
私の遺産の、本当の名前。
その名はーー…
◇
「――まだ、です」
その声に、貴船たちは、ハッと顔を上げる。
そこには。
血に濡れた制服のまま、しかし、その両足で、確かに立ち上がった、小鳥遊栞の姿があった。
そして、その瞳は。
もはや、かつてのような、怯えに濡れた小動物の瞳ではなかった。
この戦場の全てを、その先にある運命すらも、静かに見通すような、女神の瞳だった。
「ーー神銘…解放……!」
彼女の傍らで、光を失っていたはずの【千里眼の水晶玉】が、宙に浮かび上がる。
その表面に、ガラスが砕けるような、しかし、内側から新しい何かが生まれ出るような、神々しい亀裂が走り――
「……【星々の羅針盤】!!」
水晶玉は、無数の光の粒子となって、一度、霧散した。
そして、その光が、再び、彼女の目の前で、形を結ぶ。
現れたのは、もはや、ただの水晶玉ではない。
幾重にも重なる、星屑を散りばめたような、美しい白銀のリング。
そのリングの中心で、まるで北極星のように、一つの青い宝石が、静かな光を放っている。
古代の天球儀にも似た、神秘的で、あまりに美しい、それこそが、彼女の遺産の、真の姿。
【星々の羅針盤】だった。
彼女は、その新たな遺産に、そっと、手を触れる。
そして、その瞳で、目の前の神話喰いを、改めて、見据えた。
もう、混沌としたエネルギーの塊には見えない。
そのおぞましい巨体を構成する、『神の記述』の、複雑な流れ。その流れの中に、たった一つだけ、異常に淀み、絡み合った、致命的な『結び目』が、はっきりと、視える。
彼女は、静かに、しかし、戦場の全ての者に届く、凛とした声で、告げた。
「――皆さん。聞こえますか」
「あの敵の、心臓部。その、たった一点の弱点の座標を、今、送ります」
「――湊くん。立てますか? 」
その声は、絶望の戦場に差し込んだ、最初の、そして、絶対的な、希望の光だった。
「あなたの、出番です」
ようやくここまで辿り着きました…!
この先、彼らの神銘解放も披露できる機会は作るつもりなので、楽しみにしていてください。
・神銘解放とは:遺産との同調を深め、その「神なる銘」を解放する。新たな能力や、形態が追加されたりと同調度合いによって変化は様々。