15.砕かれた氷、繋がれた心
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「――結局、お前も、周りを不幸にするだけなんだッ!」
貴船リュウジの、魂からの慟哭。
初めて明かされた彼の過去と、その絶望の深さが、怒りに我を忘れていた俺――神凪湊の意識を、一瞬だけ、現実に引き戻した。
兄の、最後の姿……?
こいつが、俺に、兄の姿を、重ねて……?
思考が、停止する。
そして、その一瞬の硬直が、この戦場においては、命取りだった。
眼前に、巨大な影が迫る。
神話喰いの、全てを切り裂く爪が、俺の頭上へと、振り下ろされていた。
(――ああ、ここまで、か)
仲間たちの、悲鳴が聞こえた。
もう、避けることも、防ぐこともできない。
その、絶対的な『死』を、俺が受け入れた、その瞬間。
「――させるかァッ!」
「――させんッ!」
二つの影が、俺の左右から、同時に飛び込んできた。
高千穂と、剣崎だった。
「湊を、一人で行かせるわけ、ねえだろ……!」
高千穂は、その身一つで、俺の身体にタックルし、攻撃の軌道から、強引に突き飛ばす。その衝撃で、俺は数メートル後方へ転がった。
「我が正義は、仲間を見捨てないッ!」
剣崎は、既に亀裂だらけの【正義の天秤】を、神話喰いの爪の前に、決死の覚悟で差し出した。
これまで、数多の攻撃を防いできた、彼の信念の盾。
しかし、本物の、格上の『混沌』が振るう質量とエネルギーは、彼の信念の、許容量を、遥かに超えていた。
――バキィィィィィィィィンッ!!
ガラスが砕け散るような、甲高い悲鳴が、ダンジョン中に響き渡った。
剣崎の【正義の天秤】は、その原型を留めないほど、無数の光の破片となって砕け散る。聖痕から強制的に切り離された衝撃が、彼の全身を襲う。
「ぐ……はっ……! この、程度……俺の正義は、砕けん……!」
剣崎の身体は、盾の破片と共に、くの字に折れ曲がって吹き飛ばされ、壁に叩きつけられて、動かなくなった。
彼の遺産は、完全に、破壊された。
「剣崎ィッ!」
高千穂が、悲鳴のような声を上げる。
だが、神話喰いは、追撃の手を緩めない。
俺を突き飛ばし、体勢を崩した高千穂の無防備な背中に、その巨大な腕が、鞭のようにしなって襲いかかった。
「しまっ……!」
その絶体絶命の窮地を救ったのは、皮肉にも、先ほどまで俺を憎悪していた男の一撃だった。
「――【氷筍】!」
貴船が放った、無数の鋭い氷の筍が、床から突き出し、神話喰いの腕の軌道を、僅かに逸らす。
高千穂は、そのおかげで直撃を免れたが、掠めた衝撃だけで、その場に崩れ落ちた。
「……貴船……てめえ……」
「……黙れ。感傷に浸っている暇はない」
貴船は、ボロボロの高千穂と、倒れたままの剣崎を背中に庇うように、一人、神話喰いと対峙する。
その完璧だったはずの佇まいは、もうない。制服は裂け、息は上がり、その剣を持つ腕は、微かに震えている。
それでも、彼は、退かなかった。
(なぜ……なぜ、俺は……)
貴船の脳裏で、自問自答が繰り返される。
(なぜ、俺は、あいつを庇った? 兄と同じ、災厄の塊を。あいつのせいで、剣崎の遺産は砕かれた。高千穂も深手を負った。俺の予測通り、不幸を振りまいているだけではないか。なのに、なぜ――)
その答えの出ない問いに、彼の思考が囚われていた、その時だった。
瓦礫の中から、ふらつきながらも、剣崎が立ち上がった。その右腕は、ありえない方向に折れ曲がっている。盾を失った聖痕からは、火花のような光が散り、彼の生命力が漏れ出していた。
「……はぁ……はぁ……。貴船、リュウジ……!」
「……剣崎……」
「君の兄の悲劇は、理解する。君が、神凪の力を恐れるのも……。だが、君は『今』を見ていない。君は、過去の亡霊に怯えているだけだ。それは、君の掲げる『秩序』なのか? 違うだろう!」
剣崎は、血を吐きながらも、その真っ直ぐな瞳で、貴船を射抜く。
その言葉に、高千穂も、瓦礫に背を預けながら、声を張り上げた。
「そうだぜ、貴船……! アンタが一人で背負い込む必要なんて、どこにもねえんだよ! アンタは、もう一人で戦ってんじゃねえ! 俺たちが、ここにいるだろうがッ!」
「……!」
「そして、それは湊も同じだ!」
高千穂は、壁際で、呆然と座り込んでいる俺を、指さした。
「あいつは、一人で暴走してんじゃねえ! 倒れた栞の信頼を、俺たちの未来を、その一身に背負って、無様に足掻いてんだよ! その覚悟を、俺たちが信じなくて、どうすんだ!」
一人じゃない。
その言葉が、貴船の、凍てついた心に、深く、深く突き刺さる。
彼は、ハッと顔を上げ、改めて俺を見る。
そこにいたのは、かつての兄のように、力に酔いしれる独りよがりの英雄ではなかった。
倒れたパートナーの想いを一身に背負い、その信頼に応えられなかった自分を責め、絶望に打ちひしがれている、ただの、無力な少年の姿だった。
(違う……)
貴船の脳裏で、兄の最後の笑顔と、今の湊の苦悶の表情が、交錯する。
(兄さんは、最後まで自分の力を信じて笑っていた……。だが、こいつは……神凪湊は……泣いているのか……? 自分の力の、無力さに……?)
その瞬間、貴船の中で、十数年間、凍りついていた何かが、音を立てて、融け始めた。
神話喰いは、人間たちのくだらないやり取りに、飽いたようだった。
その巨大な口が開き、これまでとは比較にならない、膨大な混沌のエネルギーが、収束していく。
――終焉の、一撃。
全てを消し去るための、極大のブレス。
貴船が、高千穂が、剣崎が、それぞれの最後の力を振り絞り、絶望的な未来を前に、並び立つ。
もう、誰も、何もできない。
終わった。
誰もが、そう思った、その瞬間。
戦場に、凛とした、鈴の鳴るような声が、響き渡った。
「――まだ、です」
その声に、俺たちは、ハッと顔を上げる。
そこには。
血に濡れた制服のまま、しかし、その両足で、確かに立ち上がった、小鳥遊栞の姿があった。
そして、その瞳は。
もはや、かつてのような、怯えに濡れた小動物の瞳ではない。
この戦場の全てを、その先にある運命すらも、静かに見通すような、女神の瞳だった。
彼女の傍らで、光を失っていたはずの【千里眼の水晶玉】が、内側から、星のような光を放ち始めていた。
お世話になっております。
物語も佳境となり、来る次回は覚醒回です。
頑張ってカッコよく書きます!!