12.混沌の観測者
第一模擬ダンジョン・中央モニター室。
そこにいるのは、二人だけ。
一人は、この神遺学園の頂点に君臨する生徒会長、月読さやか。
もう一人は、元Sランク適合者にして、現特務戦闘顧問、鬼塚宗次。
無数のスクリーンが並ぶその部屋は、本来、試験の全てを完璧に管理下に置き、生徒たちの安全を保証するための、いわば神の視点を持つべき場所だった。
しかし今、その場の空気は、焦燥と、かつてないほどの緊張に支配されていた。
「――おかしい」
最初に異常を口にしたのは、さやかだった。
彼女は、メインスクリーンに映し出された、ダンジョン全体の構造マップを、鋭い瞳で見つめている。
「各区画に配置された模擬神話喰いのバイタル反応が、断続的に消失しています。まるで、システムが自発的に、その機能を停止させているかのようです」
「……ああ。それだけじゃねえ」
鬼塚は、パイプ椅子に深く腰掛けたまま、別のスクリーン――ダンジョン内の環境数値を表示するモニター――を指さした。
「ダンジョン内のエーテル濃度が、異常な数値を叩き出してる。規定値の三倍以上だ。こいつは、ただのシステムエラーじゃねえぞ」
エーテル。
それは、この世界に満ちる根源的なエネルギーであり、アーティファクトの動力源。そして、神話喰いを呼び寄せる、忌まわしき餌でもある。
その濃度が、閉鎖されたはずの模擬ダンジョン内で、急激に上昇している。
それが意味することなど、一つしかなかった。
「……まさか」
さやかの完璧なポーカーフェイスに、初めて、焦りの色が浮かぶ。
「このダンジョンの結界内に、『本物』が紛れ込んだとでも……?」
その言葉を肯定するかのように、突如、部屋中のアラートが一斉に鳴り響いた。
メインスクリーンが赤く染まり、警告を示すウィンドウが、けたたましい音と共に表示される。
【警告:未登録の敵性プログラムを検知】
【警告:ランク測定不能。高エネルギー反応】
【警告:ダンジョン内部のシステム制御権を、強制的にロックされました】
「チッ……! やはりか!」
鬼塚が、忌々しげに舌打ちをする。
「あのガキども、最悪のタイミングで、最悪の場所にいやがる……!」
スクリーンには、ダンジョン最深部の巨大なホールで、一体の異形の怪物と対峙する、貴船、高千穂、そして剣崎の姿が映し出されていた。
その怪物は、これまでの模擬戦で見てきたどのデータとも、明らかに次元が違った。
複数の獣を冒涜的に繋ぎ合わせたかのような、混沌としたフォルム。その全身から溢れ出す、画面越しにですら伝わってくる、おぞましいまでのプレッシャー。
そして何より、その瞳に宿る、明確な『殺意』。
「鬼塚顧問! 生徒たちの救出と避難を! 私が出ます!」
さやかは、即座に立ち上がり、自らの胸元にある『聖痕』に手をかけた。彼女の周りの空気が、絶対零度の冷気と共に、凍てついていく。
Sランク遺産『妖刀・月詠』。その力をもってすれば、この程度のイレギュラー、一刀の下に切り伏せられる。
だが、鬼塚は、その彼女の行動を、これまでに見せたことのない、厳しい声で制止した。
「――待て、月読ッ!」
「しかし!」
「馬鹿野郎! よく見ろ!」
鬼塚が指さしたスクリーンには、ダンジョンの結界システムのステータスが表示されていた。そのほとんどの項目が、赤色の『ERROR』で埋め尽くされている。
「敵の出現と同時に、ダンジョンのシステムが完全にロックされてやがる。外部からの干渉は一切不可能だ。今お前が無理やり結界を破って突入すれば、その衝撃で、不安定になっている結界そのものが暴走、圧壊するぞ!」
「……!」
「そうなれば、このダンジョンは、中にいる学生ごと、巨大な棺桶になる。それでもいいのか」
さやかは、唇を噛み締めた。
その拳が、怒りと無力感で、白くなるほど強く握られている。
学園最強の力を持つ彼女が、今、この瞬間、何もできない。ただ、モニターの向こうで、後輩たちが死地に立たされているのを、見ていることしかできない。
その時だった。
ダンジョンの最深部に、新たな光点が現れる。
神凪湊と、小鳥遊栞の二人だった。
「……あの二人まで」
さやかが、絶望的な声で呟く。
「なんてこと……。よりにもよって、一番、戦うことに向いていない二人が、一番危険な場所に……」
鬼塚は、何も言わなかった。
ただ、その剃刀のような鋭い目で、スクリーンの中の、一人の少年の姿を、食い入るように見つめていた。
その瞳の奥に、ほんの僅かな、しかし確かな『期待』の色を宿して。
◇
「――冗談じゃ……ねえ……」
高千穂の口から、乾いた声が漏れる。
目の前にいるのは、本物の、高ランクの神話喰い。
その猛攻を、貴船が、片膝をつきながらも、必死に【薄氷の刃】で受け流している。だが、その完璧な剣技ですら、決定打を与えるには至らない。
剣崎の【正義の天秤】も、相手の攻撃が『悪意』ではなく純粋な『混沌』であるためか、その防御力を最大限に発揮できずにいる。
じりじりと、三人は追い詰められていく。
そこに、俺と小鳥遊さんが、駆けつけてしまった。
「湊くん、ダメ……! あれは、私たちが知ってるものじゃない……!」
栞が、俺の服の袖を掴んで、悲鳴のような声を上げる。
分かっている。だが、ここで逃げるわけにはいかない。仲間たちが、目の前で戦っているんだ。
「――小鳥遊さん! 下がって! 俺が、一撃で……!」
俺は、状況を打開しようと、真っ先に前に出た。
小鳥遊さんとの【同期】を最大レベルに引き上げ、演算領域をフル稼働させる。
俺の脳裏に、神話喰いの膨大な情報が流れ込んでくる。その中から、弱点となる『コア』の情報を探し出す。
(あった……! あの、左肩の付け根……!)
俺は、その一点を狙い、ありったけの力を込めて、即席の【再構築】を放った。
「喰らえッ! 【エア・ショット】!」
だが、それは、あまりに無謀で、愚かな一撃だった。
神話喰いは、俺の攻撃を、まるで鬱陶しい虫でも払うかのように、その巨大な腕の一振りで、いとも簡単に弾き飛ばした。
いや、弾き飛ばされたのは、俺の攻撃だけではなかった。
「――がはッ!?」
凄まじい衝撃が、俺の全身を襲う。
視界が、ぐにゃりと歪む。
受け身を取る間もなく、俺の身体は、くの字に折れ曲がり、ダンジョンの壁へと叩きつけられた。
背骨が軋む、嫌な音。口の中に、鉄の味が広がる。
「……湊くんっ!!」
遠のく意識の中で、俺は、小鳥遊さんの絶望に染まった声を聞いた。
そして、俺の意識は、あっけなく、闇に呑まれた。
念の為、能力のおさらいです。ネタバレは避けつつ、ご説明します。
【模倣】:遺産のデータだけを読み込む能力。あくまで中身だけの為、それ以外の遺産を構成する要素をフル無視する為、そのまま実体化させるとデータ不足で中途半端なコピーが出来てしまう。
【再構築】:複数の模倣した遺産のデータを改竄出来る能力。不足しているデータを別のデータで補うことで、新たな作用を生み出すこともできる。
【同期】:再構築の応用。模倣でアクセスした遺産のデータに、自身の再構築の遺産のデータを掛け合わせて、対象の遺産の能力を最適化する能力。最適化する能力には、ある程度の指向性を持たせることも可能。