10.静寂なる進軍
毎日9時更新
モニターに映し出されている、貴船リュウジの圧倒的な記録。
会場の誰もが、今年一番の記録は彼で決まりだろうと、確信にも似た溜息を漏らしていた。
次に挑戦するペアのリストに『神凪・小鳥遊』の名前が映し出されても、そこに期待を寄せる者は誰一人いない。期待どころか、『落ちこぼれコンビの悪足掻きか』という、嘲笑とも憐憫ともつかぬ視線が、俺と栞の背中に突き刺さる。
「……湊くん」
隣に立つ小鳥遊さんが、不安そうに俺の制服の袖を、小さく、しかし力強く握りしめた。
彼女の、コンタクトレンズに変えたばかりの大きな瞳が、緊張で揺れている。無理もない。俺だって、心臓が口から飛び出しそうだ。
「大丈夫だ」
俺は、彼女の手を振り払うことなく、ただ、真っ直ぐに前を見据えて答えた。
「俺たちには、俺たちの戦い方がある。あいつらとは違うやり方で、度肝を抜いてやるんだ。そうだろ?」
「……はいっ」
俺の言葉に、彼女の表情が少しだけ和らぐ。
俺たちが最後の精神統一を図っていた、その時だった。
「――おい、余り物コンビ」
気だるげで、しかし、有無を言わせぬ重圧を秘めた声。
振り返ると、そこには鬼塚顧問と、そして、生徒会長である月読さやかまでが、俺たちの前に立っていた。
「お、鬼塚顧問……生徒会長まで……」
「貴船の実力は見たな?」
鬼塚顧問は、俺の動揺など意にも介さず、ただ事実だけを告げる。
「あれがAランクの『正解』だ。完璧な秩序と、圧倒的な力で、全てのイレギュラーを排除する。さて…」
彼の剃刀のような眼光が、俺を射抜く。
「お前たちは、どんな『間違い』を見せてくれるのか。楽しみにしているぞ」
それは、あまりに厳しい、しかし、どこか期待を滲ませた、彼なりの激励だった。
俺が言葉に詰まっていると、隣に立つ月読会長が、すっとその言葉を遮った。
「鬼塚顧問。彼らの力は、正解か間違いか、という二元論では測れません」
彼女の静かな声が、その場に凛と響く。
「――神凪君、小鳥遊さん」
彼女は、俺たち二人を、真っ直ぐに見つめていた。
「貴方たちの戦い方は、この学園の、いえ、世界の常識を覆すかもしれない。期待しているわ」
学園の頂点に立つ二人の、あまりに両極端な言葉。
だが、そのどちらからも、俺たちに対する『興味』と『期待』が感じられた。
俺は、隣に立つ小鳥遊さんと顔を見合わせ、力強く頷いた。
「「――はい!」」
やがて、俺たちの挑戦の時が来た。
巨大なゲートの前に立ち、俺たちは、もう一度だけ、互いの目を見る。
言葉は、いらない。俺たちの戦術は、たった一つ。
ゲートが開き、俺たちは、薄暗いダンジョンへと足を踏み入れた。
「――記述連結、【同期】」
俺が囁くと同時に、俺の右手の甲から放たれた光のラインが、小鳥遊が実装させた【千里眼の水晶玉】へと接続される。
栞が、息を呑む。
「……視える。全部、視えるよ、湊くん! このダンジョンの、全ての構造が……!」
俺の補助によって、彼女の『女神の眼』は、完全に覚醒した。
通路の先で待ち構える模擬神話喰いの巡回ルート。床に仕掛けられたトラップの圧力センサーの位置。そして、この区画の壁に存在する、構造上の最も脆い一点。
その全ての情報が、完璧な3Dマップとして、俺の脳内にも共有される。
「よし、行くぞ! 最初のチェックポイントまで、戦闘は一切なしだ!」
俺たちは、正規ルートを無視し、栞が示した、壁の脆い一点へと向かう。
「小鳥遊さん、あの壁の『最も薄い箇所』をスキャンしてくれ!」
「はいっ!……右ななめ下、厚さ5mm!」
彼女から送られてくる正確なデータ。どうやら練習の成果は早速表れているようだ。
「――その程度なら、蹴破れるっ!!」
放たれた蹴撃が、音を立てて壁を瓦礫へと変える。俺たちは、開いた穴を通り抜け、最初のチェックポイントを、戦闘時間ゼロで通過した。
◇
「……なるほどなぁ」
モニター室で、鬼塚が、面白そうに口角を上げた。
スクリーンに映るマップ上で、湊たちのアイコンは、ありえないルートを、驚異的な速度で進んでいる。
「喧嘩の仕方も知らねえガキが、一番効率よく戦場を渡る方法を知ってやがる」
「ええ。面白い……実に、面白い。これが、彼の遺産の力……」
さやかもまた、その美しい瞳に、これまで見せたことのない、強い好奇心の光を宿していた。
◇
俺たちの快進撃は続いた。
電子ロックは、小鳥遊さんが看破した熱紋からパスコードを割り出す。
物理トラップは、彼女が発見した隠し通路で迂回する。
俺たちは、まるでこのダンジョンの設計者であるかのように、全てのギミックを完璧にいなし、ついに最後のチェックポイントを通過した。
そのタイムは、貴船の記録を、既に大幅に上回っていた。
「……すごい、湊くん! 私たち、本当に……!」
「ああ。だが、油断するな。最後の部屋だ」
最深部の扉を前にして、俺たちは気を引き締める。
この扉の向こうには、最後の模擬神話喰いがいるはずだ。
だが、小鳥遊さんは、その扉の向こうを『視て』、突如、その顔を恐怖に引きつらせた。
俺との『同期』を通じて、彼女の絶望的なまでのパニックが、俺の脳に直接流れ込んでくる。
「湊くん、ダメ……! この先……何か、とんでもなく、おぞましい『ノイズ』が……!」
彼女の声が、震えている。
「シミュレーションじゃない……! これは、これって……まさか、本物の……ッ!?」
その言葉と同時に、俺たちの目の前の巨大な扉が、内側から、轟音と共に、弾け飛んだ。