表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/161

拾伍の4 ホワイトからのヒストリー

「ーー八月十五日、神奈川県青葉警察署において、本職は、あらかじめ被疑者に対し、自己の意思に反して供述をする必要はない旨を告げて取り調べたところ、任意次の通り供述した。一。警察官から自分の意思に反してまで供述することがないという供述拒否権について説明を受けましたが、その意味は分かっています。二。わたしは、今年の二月三日に威力業務妨害を行ったことで青葉警察署に逮捕され、現在、勾留されていますーー。ここまでは定型文通りです。ここまでで、なにか気になることはありますか」

 強行犯係巡査長、ピロシキ田中は、員面調書を打ち込み作成中のパソコン画面を読み上げる。

「本職って、田中さんのことね」

「はい」

「ほかに気になるところはないよ。続けて」

「続けます。ーーわたしは、なんらかの什器の側面を蹴ったことは、間違いありません。買い物かごについても、揺らすかなにかした後、片手で払いましたが、買い物かごが床に落下したという認識はありませんーー。どうですか」

「いいよ。続けて」

「次に、動画を見てもらう場面です。ーーこの時、本職は、令和五年五月二十二日当署司法警察員巡査、古賀ーー」

 防犯カメラの動画が保存されているUSBメモリは、ガコ古賀が領置手続きをしたことを、ピロシキ田中は読み上げる。三和か顧問弁護士が任意提出(にんてい)したのだろう。

「ーー当署備え付けのパソコンで再生をし、被疑者に閲覧させた。今、警察官から、防犯カメラ映像を見せてもらいました。また、この映像は、令和五年二月三日のスーパー奈良北町店…直ってないな、奈良北店に直します…のものだと説明を受けました。レジに並んでいる男性は、背格好からわたしで間違いありませんーー。ここまででどうですか」

「背格好ね」

「はい」

「ぼくらも田中さんの会社の人も、人相着衣(にんちゃく)て言うじゃん。防犯カメラの映像じゃ、()なんて、身長を比べる対照がなきゃ分かんないしさ」

「人相着衣に直しますか?」

「でも、そうすると捜査官が誘導した供述の印象が強くなっちゃうかもね。普通の悪者は、そういう業界用語を知らないからさ。自分じゃ思いつかないだろうからさ」

「…背格好でいきます」

「いいよ。それでいって」

「ーーこの映像を見て、何点か記憶違いをしていることが分かりました。それは、わたしがレジに並んだ時に、お客さんがいなかったこと、従業員が囲いを離れた回数は一回だったこと、従業員がわたしに背を向けて固定電話で架電したのは二回だったことーー」

「ーーちょっと待った」

「はい」

「『架電したのは二回だった』の個所ね」

「はい」

「『一回ではなく二回だった』にならない?」

「森さんの記憶よりも実際はひどかったって強調するためですか」

「うん。囲いを離れたのが一回だけだったって個所は逆にぼくの記憶の方がひどかったわけだから、それとの対比で」

「分かりました。ーー従業員がわたしに背を向けて固定電話で架電したのは、()()()()()()二回だったこと。わたしがクレジットカードかデビットカードをーー」

「ーーちょっと、ちょっと」

「はい」

「クレジットカードかデビットカードか、あやふやなまま?」

「どっちか分かりますか? もう一度、その部分の動画を再生します」

 その部分といっても、入店から退店まで全編で三、四分の超短編映画だ。

 おれの手を離れたカードが、レジカウンター天板に当たり、おれの足元に落ちる。宙で向きを変えるから、裏表の両面が映っている。粗い画像でも動いていても、券面でVISAブランドの楽天カードと分かる。明らかにクレジットカードだ。

「どっちか分からんね」

 うそをついた。

 クレジットカードで買った物をさまざまな理由で返品しそれにカード加盟店が応じる場合、現金では返金できない。貸金業法など金融関連法規に抵触する恐れがあるし、債権回収不能を避けるためカード会社は加盟店に対し厳しく禁じているはず。それを許せば、ショッピング枠の現金化というヤミ営業がまかり通ってしまうからだ。

 それに加えておそらく、三和の顧問弁護士、藤間崇史は、官報で告示されたおれの破産情報から、おれがクレジットカードを所有できないと誤解している。

 これら三和側の「二重の瑕疵」をピロシキ田中が認識しているかどうか、おれには分からない。


 借金返済が滞るとブラックリストに載る、とよく表現される。

 実体としてのブラックリストなんてものは、存在しない。金融機関が出資し設立された信用情報機関が、顧客データを収集、管理している。金融機関は、顧客のクレジットカードや不動産などローンの新規情報を逐次提供し、また、信用情報機関が集積する膨大なデータを引き出し、顧客の審査に当たる。だから、顧客ごとのリストは存在する。

 国内では、銀行系「全国銀行個人信用情報センター(KSC)」、クレジット会社系「シーアイシー(CIC)」、消費者金融系「日本情報信用機関(JICC)」の三社が併存し、顧客情報を共有する。

 どこかの金融機関との間で返済トラブルを起こすとその金融機関が加盟する信用情報機関に通告される。別の金融機関に例えば融資を申し込んでも、「お触れ」が回ってるから、信用情報機関への照会で、審査に通らない。

 お金に困っている人ほど、お金を返せる能力がなく実際に返せていないから、新たに借りられないという、資本主義社会における弱肉強食の当然の仕組みが担保される。ヤミ金融などヤミの業者の生息域というか食い扶持は、ここにある。

 信用情報機関は加盟金融機関のために存在し運営されているが、消費者も自らの信用情報を有料で開示請求し確認できる。内容に誤りがあれば、訂正を求めることも可能。ただ、消費者に開示される内容は、信用情報機関と加盟金融機関の間でやり取りされる莫大なデータのうちのごく一部と考えるべきだ。


 二〇一一(平成二十三)年に破産宣告を受けたおれは、その時点の債務を全額免責された。履歴が信用情報機関にしっかり刻み込まれているはずだから、それからしばらくは、新たな借金ができない。とうに効力を失ったクレジットカードは復活せず、新たにも作れない。問題は、いつ「喪が明ける」か。そもそも本当に「明ける」かだ。

 クレジットカードがないから、活字媒体での報道のための取材を兼ねて作った地銀「スルガ銀行」とネット専業「イーバンク銀行」のVISAブランドのデビットカード二枚でしのいだ。

 海外でもネット通販でも利用できる国際ブランドのデビットカードだが、クレジットカードと比べ不便さはぬぐえない。

 口座に残高がなければ使えないのは当然のこと。しかし、なにかの会員になっての会費月払いなどでも門前払いを食らう。恒常的に残高不足で決済不能になりがちだからだ。デビットカードの主要顧客はクレジットカードを持てない、貧しく信用度の低い層なのだから、致し方ない。スマートフォンの格安SIM(シム)も、契約できない。


 不動産購入のための住宅ローンなど大きな金融商品を利用する場合、それまでの同類商品の利用実績が、審査の基準になる。信用情報機関の「クレジットヒストリー(クレヒス)」が参照される。

 ところが、金融事故を起こしていると、その事故情報ゆえクレジット利用実績がなく、そのことが審査の障壁となる。一度「ブラック顧客」の烙印を押されると、復帰が困難だ。

 しかも、例えば一縷(いちる)の望みをかけクレジットカードの発行を申し込んでも、審査に通らず契約に至らないばかりか、その「申し込んで審査に通らなかった」という足跡まで信用情報機関のデータに入力され悪い履歴として残されてしまう。次の審査には、ますます通らなくなる。アリ地獄だ。

 では、まったく借金をせず長い間、信用情報機関の手を煩わせないでいれば、金融事故の履歴は消える、忘れられるかというと、それはそれで、「なんらかの事情で金融商品を利用できなかった人」と認識され、やはり忌避されがち。

 事故の履歴が消えた「ホワイト」と、若年者などでそもそも金融商品の利用歴が一度もない「スーパーホワイト」は、金融業界でも識別困難という。そして、おれは「スーパーホワイト」でありうる年齢では、もはやない。


 前述した通り、クレジットカード会社など金貸し屋は顧客を点数(ポイント)で見定めるが、商売の(かなめ)であるその基準を明らかにしない。

 さまざまな文献やインターネット情報、おれのそう短くも浅くもない社会人経験から類推して、借金の返済免責対象となった相手やその関連企業でのクレジットカード発行は生涯において困難であろう、民法の時効に関する解釈から他社でも五年は「喪明け」しないだろうと判断。まず、ハードルが低いはずのスマートフォンの割賦契約を試みた。


 携帯電話はその端末機器の代金と通信使用料を合算して月ごとに払わせることで、消費者に「割安感」を持たせるマーケット戦略がまかり通っている。利用者である消費者は、月々の支払いのうちいくらが端末の分割払い分でいくらが通信使用料かをあまり気にしない。だから、売り手主導で彼ら業者側にとって有利な内容の契約に傾きがち。

 それを逆に突く。つまり、消費者であるおれにとって不利な内容の契約でも、スマートフォンを割賦で買う。ショップの勧める、契約手続き進行中にショップが引き下がれない支払いプランに応じる。そう持ち込む、持ち込ませる。


 破産宣告から五年を経過し、失敗すれば信用情報機関に刻印されるブラック情報が追加されるリスクを伴い、おれはついに、スマートフォン端末割賦支払い契約に成功した。実績を得た。

 クレヒス構築の新たな第一歩を踏み出した。


(「拾伍の5 個人と結ばぬ雇用契約」に続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ