拾伍の3 メンコ遊び
〈分かった。また様子を見にくるから、午後に見せられるっていう防カメ映像のこととは、その時に教えて〉
そう言って弁護士は、帰っていった。
弁護士を見送っておれは自分の居室でまずい昼食を摂り、その日の朝と同じように「お嬢さん、お入んなさい」のようなことをお茶目な巡査長に言われ手錠腰縄を打たれ、刑事部屋の取調室に戻った。いつものように、パイプいすに縛り付けられる。
「弁護士の先生でした? 接見人は」
「うん。やっぱ、民間人じゃなかったよ」
「準備はできてますんで、それじゃあ動画を見ていただきます」
強行犯係巡査長、ピロシキ田中は手元のパソコンの液晶画面をおれに向ける。液晶画面の一部にそれよりかなり小さく、名刺大ほどの動画再生が開いている。
「表示されてる時刻は、実際とはずれてます。うちで精査する際に、NTTの時報と合わせてずれを修正しました。調書には、両方の時刻を記載します」
「うん」
「ここで森さんが入ってきます。黒いリュックを背負ってます。いつも使ってるリュックですか?」
「黒いリュックはいくつか持ってて、これは一番小さいサイズの物だな」
「これも領置してますから」
「市立図書館で借りた本をこのリュックに入れて担いで地区センターに返しにいこうとして家を出て、そのまま逮捕されたんだぞ。中身はどうした?」
「領置はしてません」
「どこにある?」
「分かりません」
「中身はぼくの部屋に置いて、リュックだけ差し押さえたのか?」
「……」
「そういう状態で、ぼくにちょこちょこっと署名、捺印をさせようとしたのか? けさは」
「……」
「そんな目録に、サインも指印もできないって理解できる?」
「…次に、森さんがレジに向かうところです」
「…うん」
「よく見てください。森さんの前に、お客さんはいますか?」
「いないように見えるね」
「お客さんのいないレジに、森さんはかごを置いてます」
「そんな風に見えるね」
つまり、前に客はいたはずだとするおれの供述は誤りで、店員「ほづみ」か「ほずみ」は、レジ打ちのスタンバイができていなかったのだと、ピロシキ田中は言いたいのだ。
「ここで、店員が、レジから離れます」
「うん」
「店員は、森さんの後方にいる別の店員と話をしてます」
「うん」
「森さんは、きょろきょろ辺りを見回しています」
「そうね。店員がどこに行ったのか探したんだろうね」
「一分後に店員がレジに戻ります」
「そうか。もっと長く感じた」
「そして、森さんには目もくれず、電話機を操作します」
「目もくれずにだろ?」
「受話器を置いて、レジ打ちを始めます」
「うん」
「レジ打ちが終わらないまま、三十秒後に再び電話をかけ始めます」
「電話は、一回じゃなかったってことか」
「そうですね。それで、次の場面をよく見てください」
「うん」
昭和時代の男児が、紙でできたカードを地面に打ち付け、対戦相手のカードを風圧で裏返す「メンコ遊び」のような仕草を全身で、おれがしている。
大人として、なんともみっともない姿だ。自身の挙動だとは思えない。思いたくない。
「カードをレジカウンターに打ち付けてる場面です。森さんの姿だと分かりますか?」
「確かにぼくがやってる。だけど、まったく記憶にない。動画を見せられても思い出せん」
「なぜ打ち付けたんですか?」
その事実を覚えていないから、分からない。店員がレジ作業を進めないことに対する怒りの表現なのだろうが、不確かなことは取り調べでは、言わない。言えない。
「音声は収録されてないの?」
「入ってませんね」
液晶画面内のボリュームスケールを田中はマウスを使ってカーソルで動かそうとするが、スケールは動かない。
「なにか言ってるのが分かりゃ、思い出すかもしれんのにね」
おれも店員も新型コロナ感染症対策用マスクを装着しているから、口の動きは分からない。しかし、お互いになにかを口論しあっているであろうことは、その仕草から読み取れる。
「そして、打ち付けられたカードは、カウンターから森さんの足元に落ちます。森さんは、それを自身の手で拾い上げます」
「ううん。そう見えるね。まったく記憶にない」
「次です。森さんが、レジカウンターの上のかごを手で払います」
「うん。そうね。落下してないでしょ」
「続きを見てください。店員が、受話器を置きます」
「そうか。この時点で、まだ受話器を置いてなかったってことだな」
「そうです。さらに、森さんがかごを手で払います」
「それが二回目か」
「はい。よく見てください。かごが落下します」
レジカウンターにたたきつけたように見えるカードが床に落下したのと同じように、かごが、おれの足元に落下する。落下したかごは、空のように見える。
「こっち側に落ちたってことか。投げたとか当たってけがでもしたらとか当時の店長が言うから、カウンターの向こう側に落下したってことなのかとずっと思ってた」
クレジットカードをレジカウンターにたたきつけたこともそれが足元に落下し拾い上げたことも覚えていないが、カードが落下したと視認したからこそ自身の手で拾い上げたのだろう。だとすれば、かごが落下したのも実際には視認していて、そのことをおれは忘却しているのかもしれない。
また、ピロシキ田中が言うように、おれはかごを二回、手で払っているように見える。一度目は、かごは落下していない。つまり、落下しなかった一度目だけを記憶していて、落下した二度目のことは忘れているのかもしれない。
しかし、いずれにしても、不確かなことは口にしない。
「次です。森さんの姿は、画面から一度、消えます」
画面右下からフェイドアウトしていくのが分かる。
「再び現れ、森さんがいう什器を蹴ってます」
同じ右下から、おれの後ろ姿がフェイドインする。
確かにピロシキ田中が午前中、言っていたように、足元は映っていない。
「蹴られた什器が、わずかに動いてるのが分かりますか」
「うん、緑の部分ね。だけど、レジカウンターの白い部分は、動いてない」
「……」
「緑の部分と白い部分は、連結されていない。つながっていない。それぞれ別の什器。田中さんは、どの部分を『レジ台』って言う? 白い部分? 緑の部分? 両方? さらに別の部分も含める?」
「……」
「まあ、いいや。ぼくはこの緑色の什器を蹴ってるね。蹴った場面は映ってないけど、確かに蹴ってるよ」
「…それから、森さんが退店する場面です。〇時五十八分四十六秒」
「うん」
「入店してから、わずか三、四分の間の出来事です」
「そうね」
「動画を見てみて、なにかお感じになることはありますか?」
「後頭部がだいぶ、薄くなってるなって。自分じゃ気づかないし、一人暮らしで誰からも指摘されないから、こんな状態にまで進行してるとは認識できてなかった」
日本にキリスト教を伝えたとされるカトリック教会の宣教師、フランシスコ・ザビエル(一五〇六-五二)の特徴的な肖像画にあと一歩というようなありさまだ。
「それでいいんですか。それなら、調書でもそう作成しますよ」
脱力したような仕草と表情と口調で、ピロシキ田中は言う。
「まあ、それで巻いてもらってもいいんだけどね。気になるところがいくつかあるんで、後でもう一度見せてもらえる?」
「はい」
「そうだなあ。一回通して見た限りでは、忘れてることもあるもんだな、と」
「それ、いいですね。具体的に、どういうところを忘れてましたか?」
「思い出した順番に言うから、調書に記すのは後でまとめてにして」
「分かりました」
「カードをカウンターに打ち付けてる場面。あれは、ビジュアル的にショッキングだな。いい年齢したはずの自分が、あんなみっともないことをするなんてさ」
(「拾伍の4 ホワイトからのヒストリー」に続く)