拾伍の2 早まったかやり過ぎたか
「あの管理主任は、ぼくのリュックの中身を知ってたんでしょうか? どこかでなにかで見分したんでしょうか」
〈ううん…〉
アクリル板の向こうの弁護士は、考えをめぐらす際のお決まりの、右手親指と人差し指で、自身の下唇をつまむ仕草をする。下唇が、「⋂」の記号になる。
〈社長宅は、どうやって知った?〉
「その関連会社の法人登記簿で」
〈社長本人とは接触した?〉
「してません。家人、おそらく夫人とは会いました」
〈会った後に通報されたの?〉
「前後関係は分かりません。最初はインターホンで、追い払う口実で通報するって脅しだったんだと思います。ぼくが現場を、現場っていうのは社長宅前なんですが、そこを離れず青葉署やら会社やらに電話をしてる最中に、夫人が玄関から顔を出しました」
〈どういう話をした?〉
「夫人とはほとんど話してません。会社の人間と電話をしている最中だったんで、携帯端末を夫人に渡して、電話を替わってもらいました」
〈その時には警察官は来てた?〉
「来てません。来たのはそれよりずっと後です」
二日続けての警察官臨場について神奈川県警内部の者から個人的に情報を得たことは、弁護士には話していない。
話すと長くなり混乱し、ただでさえ複雑な事件の説明がさらに困難になると判断した。
〈その日に来た警察官は、二人なんだね〉
「はい。駅前の、すぐ近所の交番勤務員だって言ってました。スクーターで来ました」
〈それで解決は?〉
「しません。関連会社の従業員らしい三人組が、どこからかやってきました」
〈三人とは接触は?〉
「先方が拒否して、お互いに道路の反対側から眺めるだけです。警察官を通じて、うち一人と名刺を交換しました。問題の前日の管理主任と同じ事業所名が刷られてて、副支店長の肩書きでした」
〈それから?〉
「トラブルの発端の電気設備故障の件を含め会社で調査して、その説明のための会合を持つってことでお互い合意しました。警察官を伝令係にしてのやり取りでです」
〈説明のための会合は持たれた?〉
「会社側から電話があって、その次の週の日程を指定されました。団地内にある集会場に、関連会社の三人が来ました。三人のうちの一人は、社長宅前で警察官を通じて名刺を交換した副支店長です」
〈どんな説明を受けた?〉
「のらりくらりで、まったく話になりません。らちが明かないんで、ぼくから打ち切りました。二時間くらいは、ああだこうだ言い合ってたと思います」
〈それからその会社関係とは?〉
「郵便で文書を取り交わしてます」
〈どんな内容の?〉
「トラブルの最初の日、六月上旬のことなんですが、問題の管理主任が、ぼくを団地から追い出すようなことを言うんです。それで、例えばその真意をただすような内容です。集会場での四者会談では先方は、そのつもりがあるともないとも言わないんで」
〈管理主任の真意は分かった?〉
「現在のところその予定はありませんとかっていう、含みを持たせた内容の文書を受け取ってます。将来的にはある、追い出すってことなんでしょう」
〈アスキーアートは?〉
「UR関連では、使ってません。使ったのは、三和関連だけです。ファクシミリも、UR関連では使ってません」
〈ああ、そうそう。三和の本社の人間とは顔を合わせてるんだっけ?〉
「三月末に社長宅に行って、社長本人とは会ってます」
〈社長とは名刺を交換した?〉
「ぼくは渡しましたが、社長からは受け取ってません」
〈本社に出向いたことは?〉
「ありません」
〈本社のファクシミリ番号は、どうやって知った?〉
会社の公式サイトにその番号が掲載されていないことを、弁護士は確認したのであろう。
前世紀の遺産ともいえるファクシミリをビジネスで活用する業種は限られているから、回線があっても番号を公開しない事業所が多い。
「国立国会図書館で、全国のスーパーマーケット年鑑のような文献を見て」
〈三和の社長宅やら、URの関連会社社長宅やらの場所は?〉
「それぞれの会社の法人登記簿で」
〈含みを持たせた内容の文書をURの関連会社から郵便で受け取ってから、どうした?〉
「登場する関連会社はUR都市機構本体以外に二つあって、集会場での会談の三人も両社から来てるんですが、そのうちの別の関連会社にも、見解を求める文書を郵送してます。それから、ぼくが訪問した関連会社社長個人宅と、その近隣の住居にも」
〈近隣の住居?〉
「はい」
〈そのお宅は、社長の会社と関係あるの?〉
「おそらくありません」
〈どういう内容で?〉
「お隣の伊藤さんと連絡が取れなくて困っております、同封の手紙を伊藤さんにお渡しくださいっていう内容で。封筒を二重にして、伊藤社長個人宛てに、連絡を求める内容の文書をしたためた紙を、小さめの封筒に入れてのり付けせず、その封書と、さっき言った内容の紙を大きめの封筒に入れて投函しました」
息をのむ、という表現がぴったりな仕草を、弁護士はした。
〈なぜそんなことを…〉
「UR都市機構と関連会社全体に、揺さぶりを掛ける目的でした。一度訪問してて、家人とも接触してるその社長をターゲットにするのが、手っ取り早くて簡便で、効果的だと考えました」
〈近隣住民の住所、氏名を知ったのは、住宅地図かなにか?〉
「ゼンリンの住宅地図と、法務局の不動産登記簿の情報を照らし合わせました」
弁護士は、大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐く。
〈なん軒に送った?〉
「合計四軒」
〈同時に?〉
「三回に分けて投函してます。内訳は記憶が定かじゃないんですが、一軒、二軒、一軒っていう順番だったと思います」
〈それぞれいつ送った?〉
「三度目は逮捕直前です。相手方に届いた頃合いを見計らって投函してますから、二度目はその二、三日前、一度目は、さらに二、三日前」
〈…やり過ぎだったっていう自覚は、ある?〉
「やり過ぎというか、早まったな、とは思います」
〈早まったっていうかさ…〉
ことUR都市機構方面に関しては、おれより弁護士の方が、より重大かつ深刻な問題ととらえているようだ。「早まった」と自覚するおれに対し、弁護士は「やり過ぎだ」と認識している。
時宜の問題ではないと、弁護士は言っているのだ。
「だから、青葉署にやられるのは、立件されるのは、UR問題の方だと思ってたんです。三和の方は、攻めてくるなら警視庁町田署の方だろうって」
〈私服捜査員が来たっていう話?〉
「そうです」
デジタルメモ「ポメラ」を、弁護士はスクロールして、前回の接見でおれから聴き取った内容を確認する。
〈その町田署の捜査員の話、もう少し詳しく教えて〉
「生活安全課員を名乗る男女二人組で、もう三和に関わるなって言われました。社長宅に行った直後の日の夜のことです。社長が泣きついたんでしょう」
〈関わるなって言われて、なんて反応した?〉
「あんたらの指示は受けないって」
〈そしたら?〉
「これは警告だ、次は逮捕だって」
〈警告だって? 次は逮捕だって?〉
「はい」
弁護士は、下唇をつまみ「⋂」の記号を作る。その形で皮膚が固着してしまうのではないかと心配するほど長時間、つまんでいた。
(「拾伍の3 メンコ遊び」に続く)