弐の5 アリバイ作りのワン切り、ワン切り
《042-736-3018》
未知の番号だ。平日の午前中、メインで使う二つ折り式携帯電話「赤色一号機」が二度にわたって受信している。いずれも取れなかった。
インターネットの検索サイトに、数字を打ち込んでみた。株式会社三和の公式サイトに行きつく。しかし、公式サイトのどこにその数字の羅列が載っているか探し出せない。検索サイトがなにを根拠にヒットさせたのか、分からない。
《042》は東京都町田市の市外局番だから、三和関連の電話であろうことは、パソコンのキーをたたく前から容易に想像できた。町田市内の未知の番号でほかに心当たりはない。
それに、この着信には、おかしな特徴がある。二本とも、呼び出し時間が不自然かつ極端に短く記録されている。
電話が鳴っても取れないことが多いから、「赤色一号機」の《応答時間》は、長めの二十秒に設定している。極力、鳴っている間に取る。「鳴る」といっても、振動のみで無音だ。勤め人時代は仲間内で「震ってる」と表現していたが、今も通じるか分からない。
振動に腿ですぐ気づくよう、外出時はズボンのポケットに入れる。スマートフォンでなくガラケーをメインで使っているのは、二つ折りでジーパン前ポケットに突っ込みやすい、取り出しやすいという理由が大きい。
震っている間に取りたいのは、応答メッセージが流れだすと発信者がそこで切ってしまい、コールバックしても今度は相手が取らず、連絡が付かぬままになるという、白ヤギと黒ヤギが双方とも相手から届いた手紙を食べてしまい用件が伝わらないことを描写する童謡・唱歌「やぎさんゆうびん」のような事態を避けたいからだ。
これらのおれの携帯電話に関する流儀の効用については、追って詳述する。
株式会社三和のいずれかの部署からと考えられる電話は、端末上の記録では、ほんの数秒しか鳴っていない。だから、応答メッセージまで到達していない。相手はメッセージを吹き込むどころか、デフォルト仕様の応答メッセージを聴いてもいない。おれが着信に気づかなかったのも無理はあるまい。
NTTが一九九八(平成十)年に発信者番号通知サービスを始めてすぐに、この機能を悪用し、自身では通話料を払わず相手に着信を知らせ、相手にコールバックさせる手口の、詐欺を含めた営業が横行した。いわゆる「ワン切り」だ。有線電気通信法(第一五条)に抵触する可能性がある。
「性善説」に立つおれは、悪意あるワン切りとは当初、疑わず、社会的マナーに従い、その日のうちにコールバックした。株式会社三和「経理部」に電話はつながった。
ナガオと名乗る女性(女声)は、「誰がかけたか分からない」と言う。こういう事態に陥るから、電話は最初のコールで取っておきたい。おれからコールバックがあったことを経理部全員に伝わるようメモを残すと、ナガオは約束した。
その日はなにも音沙汰がない。翌日も、なにも音沙汰がない。
だからおれは、二日後の二月十日になって、《042-736-3018》を再度コールした。サトウと名乗る女性(女声)が出た。やはり経理部だという。そしてやはり、二日前の電話は、「誰がかけたか分からない」。
経理部全員に伝わっているはずのメモを見たかと尋ねたら、見ていないとサトウは答える。ナガオさんは、と尋ねると、もう退勤したという。日はまだ高い。
〈だって、雪だから。雪じゃないですか〉
スーパー三和奈良北店ヤスダ店長の〈恵方巻きだから〉と同じような、おれら常人にはとうてい理解の及ばぬ言い訳を述べ連ねる。確かにその日の首都圏は、朝から雪模様だった。
この辺りで確信した。株式会社三和経理部に所属する、またはそこにデスクを置く、あるいは、経理部の電話を自由に使えるなに者かが、正体を明かさずおれにワン切りを仕掛けてきた。
嫌がらせか?
そうかもしれない。正体不明の着信を、素人衆は恐れる。おびえる。不安に陥る。しかし、おれはジャーナリストだ。この手の脅しを飯の種にしている。極めて有益で、結構なことだ。そして、おれらのような職業の者と接した経験があるまともな大人は、嫌がらせが逆効果だと知っているはず。
嫌がらせではないかもしれない。だとすると、株式会社三和ほか小山社長邸など複数個所に、尋ねたいことがあるから連絡が欲しい旨、書面を郵送したことに対する、「連絡をしたのに電話に出ないじゃないか」という主張のためのアリバイ工作だ。
いずれにしても、極めて卑怯かつ脳タリンなやり方だと、当時のおれは受け止めた。雪が降ったら退勤するナガオも、それを当然のことだと価値観を社外のおれに押し付けるサトウも、電話の主が誰なのか、知っていたに違いない。
おれからの電話には「分からない」で通せと、かん口令が敷かれていた。あるいは、おれが架電した二回のうち一回、ひょっとしたら二回とも、電話口付近に「主」はいた。ナガオとサトウのどちらかが主かもしれない。
そのころのおれは、横浜市という巨大な自治体と、その業務を受託する民間の大企業、さらに孫請けする中堅企業に対する取材に振り回されており、株式会社三和ならびにスーパー三和奈良北店のことは、「二の次」だった。だから、《042-736-3018》を発信元とする不審な着信に関し、しばらくご無沙汰することになる。横浜市役所周りに忙殺され、手が回らなかったのだ。
新たな動きがあったのは、三月に入ってからだ。《神奈川県相模原市南区麻溝台三-四-十一/株式会社三和 店舗運営部》を差出人とする簡易書留を受け取った。相模原市は、おれの住む横浜市青葉区から見て、株式会社三和が本社を置く東京都町田市の向こう側にある。
町田市は、伊豆・小笠原の島しょ部を除く東京都の最南端にあり、地図を見ると、神奈川県側に大きく突き出ているのが分かる。まるで動物のしっぽか脱腸のようだ。東京都民や神奈川県民でさえ、町田市は神奈川県の自治体だと誤認する者が少なくない。
二十三区を除く多摩地域では八王子市に続き二番目の人口を擁し、商業都市としての側面を持つ。このことが、しっぽか脱腸のように突き出していながら、市としての誇りと自尊心と税収を担保している。
一方、おれが住む横浜市青葉区は、同市緑区の北半分を切り離すような形で一九九四(平成六)年、誕生した。区内を走る主要私鉄「東急・田園都市線」で都心の渋谷とつながっていることなどからベッドタウンとして機能し、住民の東京二十三区への通勤率は横浜市十八区で最も高い。
その青葉区の西端におれの住む奈良町はあり、だから、団地のすぐ隣は東京・町田市だ。
最寄りは「東急・こどもの国線」終着こどもの国駅だが、単線で運行本数も少なく、前述の「田園都市線」への乗り換えに不便だから、役に立たない。「田園都市線」青葉台駅までバスで行くか、県境を越え私鉄「小田急・小田原線」玉川学園前駅を使うことになる。
ところが、町田市に立地するこの玉川学園駅を使うには、ちょっとした問題がある。
起伏が激しいからタクシーを使うことがある。帰宅の際はそれでもいい。駅前で拾って、県境を超えワンメーター料金で到着する。
しかし、駅に向かうため、自宅にタクシーを呼ぶのに苦労する。
タクシー事業者の許可される営業区域が町田市と横浜市は別なのに、おれの団地の近くには、町田市の事業所はあっても、横浜市の事業所がない。玉川学園駅周辺で営業しているタクシー会社には、〈行く先は町田市内で間違いないのか〉と、しつこく念を押される。
日本の市で最多人口の横浜のうち二番目に多い青葉区と、東京・多摩地域で二番目に人口の多い町田市の二大勢力の「境」に住むと、両勢力のせめぎ合いで、いろいろな不都合や、興味深い出来事が起こる。おれの逮捕、勾留劇も、その一つだ。
追って詳述していく。
(「弐の5 敬語が発達、主語は省略」に続く)