拾肆の4 メインバンクとカード詐欺
「レジ係店員の名前を確認してますね」
「うん。した」
「どうやって確認しましたか」
「胸の名札を読み取った」
「なんて書いてありましたか」
「ひらがなで『ほづみ』。『づ』がつに濁点だったか、すに濁点だったか、覚えてない」
「名札に書かれていた情報はそれだけですか」
「読み取れたのはそれだけ」
「読み取ったのに、『つ』だか『す』だか、覚えてないんですか」
「うん。ビジュアルでは覚えてない。音で覚えてる」
「それが名前だとなぜ分かりましたか」
「本人に尋ねてる。名前はそれでいいのかって。声に発したから、その音で覚えてる」
「相手の反応は」
「胸を張って、『そうですよ』って」
「口調は」
「なにかを挑発するような」
「挑発とは」
「名前を確認する前後にね、口論になってるんだよ。その口論を続けたいんだろ。始終、戦闘モードなんだよ。言動が激しいんんだよ、攻撃的なんだよ、著しく好戦的なんだよ」
「なぜ口論になったんですか」
「さっき、話したじゃん。ぼくは、レジ打ちを催促。相手は、それに応じない」
「名札のひらがなは、姓ですか、下の名ですか」
「姓だろうな、そこがまともな事業所、というか商店なら。三和はまともな会社じゃない、スーパー三和はまともな店じゃないから、下の名前かもね」
水商売のホスト、ホステスが、客に下の名前を呼ばせる。もちろん源氏名のこともあるし、店名にその名前を使っていることもある。
「『す』に濁点か、『つ』に濁点か、思い出せませんか」
「なんでそこにこだわるんだろ。田中さん、保積ぺぺって子役出身の俳優、知ってる?」
「知りません」
「学園ドラマに脇役でよく出てたんだけど」
「学園ドラマ? 『金八先生』とかですか」
「いや、時代的にはもっと前」
「よけいに知りません」
武田鉄矢(一九四九-)が教師役の『三年B組金八先生』シリーズがスタートしたのはおれが中学一年のころで、シリーズ初期の生徒役は、おれと近い世代の設定。
おれより八つ年上のコメディリリーフ、保積ぺぺ(一九五八-)が高校生を演じたのは、その分だけ旧い。
「その俳優は、保健の保、保つって字ね、それに面積の積で積むだから、それだと『つ』に濁点なんだよね」
「だったら、『つ』ですか」
「田中さん、ぼくの主要取引銀行、知ってる?」
「知りません」
「『みずほ銀行』なのよ」
「そうですか」
戦前の特殊銀行の流れをくむ、国内三大メガバンクのうちの一つだ。
「街中でもなにかの書類でもパソコンやらスマホやらの液晶画面上でも、常にその行名を見てる。青色基調のさ。眼に焼き付いてる。『みずほ』、逆にすると『ほずみ』。銀行名はひらがなで『す』に濁点だろ、『瑞穂の国』が命名の由来なわけだからさ」
「ミズホノクニ?」
「うん。日本の古代の美称で、稲がみずみずしく実ってるって意味じゃん。当時から日本は、お米の国だったわけじゃん」
「ビショー?」
「…分からんならいいよ、聴かなかったことにして。とにかく、ウオーターを表す日本語の『水』と、瑞穂の『みずみずしい』は、語源が同じだって考えられてるんだよ。だから、もし名札の表記を逆に右から読むんだとしたら、女性らしいよくある名前の瑞穂で、『す』に濁点かもね」
「……」
「田中さんたちは、掌握してるんだろ?」
「掌握とは?」
「その店員の人定。フルネーム」
「……」
「ぼくの記憶で、おおむね間違いなかろ? さっきのパン類、米飯類、ペプシコーラと同じでさ。紙パックの牛乳を忘れてるくらいでさ」
「…別の話を聴きます」
「うん」
「買おうとした商品の支払いは、どうしましたか」
「払った記憶がないんだけど、翌日、店長が返金に来てるんだよね」
「払ったとしたら、現金ですか」
「店長は、カードって言ってる。クレジットカード払いだから現金でしか返せないって、社会常識とは逆のことを」
「社会常識とは逆ということは、カードでは払っていないということですか」
「そうじゃなくて、クレジットカードで商品を買ったら、売ったら、店側は、返品に応じても現金じゃ返せないんだよ。そんなことを許してたら、クレジットカードのショッピング枠のキャッシング化がまかり通っちまうだろ? 貸金業法みたいな金融関連法規に抵触するんだよ。カード詐欺に発展するんだよ。カード会社と加盟店との間の規約でも禁止されてるはずなんだよ。強行犯係じゃ扱わんから知らんか?」
「……」
「払ったのだとしたら、クレジットカードだな。お釣りの小銭をじゃらじゃら鳴らして持ち歩きたくないから、現金ではあんまり買い物をしない」
「そのカードは、どこから取り出しましたか」
勾留請求を敢行した横浜地検の若くて美しい清楚な女性検事と同じようなことを、ピロシキ田中は聴いてくる。
「出したのだとしたら、普段、使ってる財布から」
「財布はどこにありましたか」
「冬場で厚着してるから、衣服のどこかのポケットの中」
「服のポケットから財布を取り出して、財布からカードを出したんですね」
「通常の買い物だとそうなんだけど、その辺りの記憶はおぼろげ。まともじゃない店のまともじゃない店員との異常なやり取りだったからさ」
「カードを財布から出して、どうしましたか」
やはり、地検の女性検事と同じだ。
「レジの機械の挿入口に挿したんだろうけど、その記憶がない。抜いた記憶もない」
「森さん」
「うん」
「後で、防犯カメラの映像を見てもらいます」
ピロシキ田中は、もったいぶった口調だ。
「なによ」
「カードを、レジ台にたたきつけてます」
「誰が?」
「森さんが」
「ぼくが? カードを? なぜ?」
「うちらには分かりませんよ。映像を見て、思い出してもらいます」
まったく記憶にないことだ。そんなことを指摘されるとは、思いも寄らない。間抜けな顧問弁護士からのふざけた文面の郵便物でも、そんなことには一切、触れられていなかった。
防犯カメラのものという映像を見るのが、楽しみで仕方ない。
「それから森さん」
「うん」
「かごを手で払ったってところなんですけど」
「うん」
「手で払ったのは、なん回ですか?」
「一回」
「払う前に、かごには手を触れてませんか?」
「自分が商品を入れてきたかごじゃないからね。最初は空っぽで、店員がそこにレジ打ちしたパンやら米飯やらペプシコーラやらを順次、移していく先だから、触る機会はないよ」
「手で払う前に、なにかしてませんか?」
「かごに?」
「そうです」
「なにかって?」
「力を加えてませんか?」
なにかをしている映像が、防犯カメラに保存されているのだろう。
「もしかごになにかしているとしたら、力を加えているのだとしたら、がたがた揺さぶったりの可能性はあるね」
「揺さぶったのだとしたら、なぜですか」
「だとしたらって、仮定で答えるの?」
「仮定でお答えください」
「後で見せてもらえるっていう防犯カメラの映像を確認すりゃもっと正確に思い出せるのかもしれんが、そうだなあ、例えばレジ打ちを催促するためとかかな」
不確かなことは言わないつもりなのだが、カードをレジ台にたたきつける、おれには記憶のない映像があるのだと聴かされ、正常な判断ができなくなってしまったのかもしれない。仮定の話に応じてしまった。
ピロシキ田中は、おれの眼を見て、落ち着いた口調でゆっくりと、こう言う。
「防犯カメラの映像では、森さんは二回、かごを手で払ってます」
(「拾肆の5 ブルドーザーを売るスーパー」に続く)




