拾肆の2 警察の庁舎を家宅捜索
「まずですねえーー」
強行犯係巡査長、ピロシキ田中が言うから、いよいよ本題かと思ったら、そうではなかった。
「ーー先日、押収した品目の一覧に、署名と指印をいただきたいんです」
「いいよ」
ピロシキ田中が書面を差し出す。目録には、《ジーパン(水色)》《コート(黒色)》《スマートフォン(水色、京セラ製)》《携帯電話機(黒色と赤色)》《サンダル(茶色)》といった表記が並ぶ。
「ここにちょこちょこっと、サインしていただいて」
「うん。物は?」
「物とは?」
とぼけているのだと、直後に分かる。
「だから、押収した物だよ」
「ここにはないんです」
「どこにあんの?」
「留置施設の倉庫内です」
「出してきなよ」
「それが、できないんです」
「田中さん」
「はい」
「なにをどんな状態で押収されたか、被疑者に目視もさせないで、サインさせるの? 指印させるの?」
「通常は異なります」
「じゃ、通常通りやって」
「できないんです」
「だから、なんでよ」
「倉庫にしまっちゃって」
「しまう前になんでやらないの?」
「われわれのミスです」
「どういうミス?」
「本来なら逮捕の初日に、倉庫にしまう前にやるべき手続きでした」
「そんなのにサインなんかできるわけないだろ? 倉庫から出してこいよ。一品一品確認して、目録と照らし合わせて、きっちり署名も指印もするから」
「そのためには、裁判所の捜索令状が必要になってくるんです」
「令状請求しなよ」
「警察が警察署の庁舎内を家宅捜索なんておかしいとお思いかもしれませんが、そういうことが実際にあるんです」
「知ってるよ。NHKの記者が放火で捕まって、滋賀県警が県警庁舎内の記者クラブ室をガサ入れするっていうおかしな事件があったじゃん」
「…知りません」
大津放送局の入局二年目サツ回り記者の男が二〇〇五(平成十七)年、仕事がうまくいかず体調を崩し精神を病み、滋賀県内や大阪府内で新築家屋などに連続して火を放ち、実刑判決を受けている。職場は懲戒解雇処分。捜査の過程で、県警が記者クラブを家宅捜索。その様子を、当事者のNHKを含む記者クラブ加盟メディアが報じた。
「とにかくさ、あんたらのミスの尻ぬぐいに加担させるな。なんだよ、ちょこちょこっとって。ぼくの逮捕令状をちょこちょこっと取った時みたいに、留置場倉庫の捜索令状もちょこちょこっと取ってきな」
逮捕初日は、取調室から留置施設に連れて行かれる途中、巡査長、ガコ古賀が割り込んできてスマートフォンの暗証番号を聴き取られるなど、終始大慌てムードだった。夜勤明けだとガコ古賀がぼやいていた通り、早朝の着手予定が、寝起きの悪いおれのせいで午後にずれ込んだという背景もあろう。そう考えれば、かかりつけX医院から睡眠導入剤の処方を受けていない事情も、分からないではない。
しかし、押収品の目録への被疑者の署名、捺印させ忘れといった初歩的な捜査ミスなど、取材者としてもそういう立場でなくても、聴いたことがない。だから、これは彼らのなんらかの意図を伴うたくらみではないかと勘繰った。
「分かりました。この書類は、署名、指印をいただかないで進めていきます」
つまり、法的な手続きとして捜査機関はおれのジーパンやらコートやら携帯電話やらを押収できていない、これらの証拠物件は差し押さえられていないことになる。そのことは、神奈川県警が引き起こし、同県警が、日本の警察が将来にわたり抱え込まなければならない宿痾と密接な関係があるから、ピロシキ田中を後日、おれは軽くいじめてみる。
「それでは、二月三日のことをお聴きしますーー」
ピロシキ田中が一人で聴取し、一人でパソコン操作し供述調書を作成する。
「ーー店に行く前は、どこでなにをしていましたか」
「自宅から直接、店に行ってる。起きたばっかりだったか、なにかをしていたか、覚えてない」
「店に行った時刻は」
「覚えてないよ。ノートやら手帳やらパソコンの書き込みやらを見れば思い出せるんだけど、あんたら任意を挟まんでいきなり令状執行だろ? そんなのに正確に答えられるわけないじゃん」
証拠隠滅の恐れがあるというお題目で捜査機関は、悪者が有利になる証拠から遠ざけるため、身柄を拘束する。それに司法機関が迎合する。
「どんなテレビ番組を見てたかとかで、われわれは類推します」
「そんな手法は、ぼくがきみたちと付き合いを始める何十年も前から、テレビ放送が、ラジオ放送が始まったころからやってるんだよ。ぼくはテレビなんてほとんど見ないの」
「起きたばっかりだったかどうかも覚えてないんですか?」
「ぼくの寝起きが不規則なの、知ってるでしょ? 行動確認してるでしょ? してなくても、捕り物の日の朝、起きなかったので分かるでしょ?」
「どういう時にあのスーパーに行くんですか?」
「腹が減った時とか、店が閉まりそうな時間帯。閉まっちゃうと、別の開いてる店に行かなきゃならんから」
「二月三日は、そのうちのどっちですか?」
「空は明るかったから、昼間だね。ということは、閉店間際じゃない。午後九時ごろまで営業してるから」
「ということは、おなかがすいたから、ということですか」
「おそらくそう」
「後から映像を見てもらうんですが、防犯カメラの記録では、午後〇時五十四分です」
「午後一時ごろ? うん。その記録と大差ないと思うよ」
「店があるのはどこですか?」
「うちの近所」
「地名で言ってください」
「あの辺りはさ、東京との県境なんだよ。警視庁との管轄の境だから田中さん、知ってるでしょ? それにさ、うちは奈良町だけど、うちから見てあの店の方角に『町』の付かない奈良一丁目、奈良二丁目って地名もあるんだよ」
「地名は分かりませんか」
「うちの団地と同じ『奈良北』が店名に付いてるから、うちと同じ青葉区奈良町なんじゃないかな」
「横浜市青葉区奈良町一六七〇番地の二二四です。それでいいですか?」
「番地までは分からん。さっき言った通り。ほかに近くにあの会社系列のスーパーはないはずだから、そこでしょうね」
「店までどうやって行きましたか?」
「どうやってって?」
「自転車に乗って、とか」
「歩いて」
「誰かと一緒ですか?」
「一人で」
「店に入ったのは、正面からですか?」
「あの店、見取り図が不整形でさ、どこが正面なのか分からんのよ。広い道に面してる側の扉には、『出口専用』って書かれてるしさ。ぼくが普段、出入りしてるところが正面なのかどうか、店側がどう認識してるのか、知らんよ」
「なんて呼んでますか」
「話す相手がいないから、なんとも。文面にする機会もないから、なんとも」
「なにか表現の仕方はありますか」
「今、考えた表現でいい?」
「お願いします」
「メインの出入り口とか」
「それ、いいですね。それでいきましょう」
でっち上げ事件の発生日の時計の針は、なかなか進まない。
(「拾肆の3 助六ずしとペプシコーラ」に続く)




