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拾参の3 起訴後に来ていただけるもんだと

「おいっ、五十九番っ! 五十九番っ、大丈夫かっ?ーー」

 居室の畳を模したビニール製床材の上で横になっていたら、切迫した聴こえる。顔を上げると、柵の向こうに白髪の巡査部長が立っていた。

 薬が効かないから夜、眠れず、昼間も頭がぼんやりして、眼を閉じ横になっていることが多い。

「ーー死んでるかと思うじゃないか」

 白髪の巡査部長は、落ち着いた口調になる。

 うつ伏せで寝る際おれは、呼吸がしやすいよう、片方の腕と足を曲げ、それと同じ側に顔を向ける。たいがい右向きだ。上からだとちょうど漢字の「片」のような形に見えるはず。

「死んだふりしてました。すんません」

 そのジョークの件も併せ謝罪した。申し訳ありませんと言うほどのこともなかろう。

「弁護士の接見(せっけん)だ」

「弁護士?」

 心当たりがない。

「呼んだか?」

「呼んでませんよ」

「断るか?」

「会います」

 柵の扉を解錠してもらい、白髪の巡査部長に伴われ、迷路のようなフロアを歩いて移動した。この時に初めて、別の居室の様子がはっきりと見えた。おれの「少年室」と同じような檻が、通路の片側に並ぶ。悪者が大勢、閉じ込められている。

「いらっしゃってるっていう弁護士の名前、分かります?」

「自分は聴いてない。いや、聴いたような気がするが、忘れた」

 冗談なのか、別の檻の囚人による聴き耳に配慮しているのか、本当に忘れたのか、白髪の巡査部長はいい加減なことを言う。


 案内された先の扉をノックし入室した。丸いすを横に三脚置けば窮屈なほど狭いスペースがあり、透明のアクリル板に仕切られた向こう側の同じくらいのスペースに、白いワイシャツ姿の、とっちゃん坊や風の、つまり、年齢はいってそうだが若い顔貌の男が一人、座っている。

「初めてお会いしますよね?」

 既知の弁護士でおれが忘れているのだとすると申し訳ないと思い、あいさつもそこそこに尋ねてみた。

〈裁判所から選任されました。弁護士のZと申します〉

 おれたちを隔てるアクリル板中央の、穴の位置をずらせた二重構造の空気孔のような窓を通しての会話だから、相手の声はこもって聴こえる。おれの声も、弁護士にはこもって聴こえているだろう。

 

「起訴されてから、いらしてもらえるもんだと思ってました」

 パイプいすに腰を落ち着けた。手錠腰縄による拘束はない。接見の、つまり面会の相手が弁護士の場合、警察官による立会(りっかい)もない。

〈昔はそうだったんだけどね、今は、裁判所が勾留を認めたらすぐに国選が付くんだよ〉

 二〇〇六(平成十八)年施行の改正刑事訴訟法で、殺人罪など重い刑罰が適用される容疑で勾留された場合、従来の対象だった「被告人」になる前の段階で、「被疑者国選弁護」制度で弁護士が選任されることになった。それが拡大され、二〇一八(平成三十)年には、全事件がその対象になった。この一連の司法制度改革の一環を、おれは把握していなかった。


 後述する通り、日本の刑事訴訟制度は起訴後だけでなく起訴前も勾留が長期にわたるから、旧来の起訴後の国選弁護では被告人に著しく不利だとして、日本弁護士連合会と地方ごとの単位弁護士会が、有志による「当番弁護士」制度を細々と運営していた。細々なのは、予算の出どころがなく無償だからだ。

 被疑者国選弁護制度が確立した現在も、裁判所が勾留状を発付するまでの、逮捕から最長四十八時間プラス送検からの最長二十四時間は、国選弁護人が就かない。この間に弁護士に接触するには、原則、私選弁護人を呼ぶしかない。

 しかし、当番弁護士制度はまだ残存、機能しており、逮捕された日の晩に白髪の巡査部長が「弁護士会の営業みたいなもんなんだけど」と説明したのは、これを指す。私選弁護人を雇う財力はあるものの弁護士に知り合いがいないなどの場合、当番弁護士を呼んで引き続き私選で弁護を引き受けてもらう。弁護士にとって「見込み客」になりうるから、白髪の弁護士は「営業」という用語(ワード)を使ったのだろう。


〈前にどこかで会ったことある?〉

 初めてお会いしたかと聴いたおれに、弁護士が自分の顔を指さし、逆に尋ねる。

「会ったことがあってぼくが失念しているのだとすると、申し訳ないと思って」

 ありのままを答えた。

〈ないと思うよ。わたしは覚えていない。それで本題に移るけど、今回の事件〉

「はい」

〈調べでは、認めてるの、否認してるの、それとも黙秘?〉

「一部、不同意です」

〈事件に関与したこと自体は〉

「認めてます」

〈事件の全容を教えてもらえる?〉

「全部、話すんですか」

〈いや、言いたくないことは言わなくていい〉

 捜査機関、司法機関の「黙秘権告知」のようなことを、弁護士は言う。

「言いたくないっていう意味じゃなくて、問題は横幅が広くて、縦にも長いんです。背景も含めて、一時間や二時間で説明できるような内容じゃありません」

〈分かった。全体像は追い追い、聴いていく。まず、今回の事件は、発生からずいぶん時間が経ってから逮捕されてるけど、それはなぜ?〉

 発生の二月三日は、半年以上前だ。

「この事件絡みでもそうでない案件でもこの間に、いろいろあったんです。この事件絡みでは、一度、警視庁町田署の私服捜査員がうちに来てます。それから、別の案件で、ここの青葉署の制服勤務員が二日連続が臨場してます」

〈別の案件って、今回の事件と関係があるの?〉

「捜査機関は関連付けてるんだと、ぼくは受け止めてます」

〈横幅ってそういうこと?〉

「はい」

〈縦に長いって?〉

「今回の事件には二月三日の後にも続きがあって、関係個所をつついてます。ぼくがつついたことに対抗する逮捕、勾留だと思ってます」

 アクリル板の向こう側の壁には、《通信機器使用禁止》の貼り紙がある。パソコンを使えないからだろう、弁護士は、通信機能のない、文具メーカー「キングジム」がほぼ市場を独占するデジタルメモ「ポメラ」に、おれから聴き取った内容を打ち込む。

 通信機能がない分「ポメラ」は小型軽量で、おれの国選弁護人弁護士が接見室に持ち込んでいるのは、折り畳み式。畳めばスーツの上着ポケットに入りそうな機材を、アクリル板の向こうのテスク天板で開いている。

〈つついた? なぜ?〉

「職業柄」

〈職業?〉

「ご存じの通り、作家なもので」

〈いや、知らなかった〉

 横浜地方裁判所が発行した「国選弁護人選任通知書」を後で見たら、確かにおれの職業は記されていない。

〈横幅の別の案件って、今回の事件の相手方となにか関連があるの?〉

「まったく別です。両方の会社に資本的なつながりも、取り引き関係もないはずです」

〈つついたっていう縦に長い(ほう)は?〉

「今回の容疑と関係がある事業所やら個人やらです。例えば、顧問弁護士とか」

〈顧問弁護士? 相手方の? 弁護士の事務所はどこにあるの?〉

「被害を申告してるスーパーを運営する会社の顧問弁護士で、東京の虎ノ門に所属事務所があります。横幅にしても縦長にしても、本筋はそっちだと、外側の方だとぼくは受け止めてるんです。今回はあくまでも別件逮捕」

 ポメラを打つ手を止め、弁護士はちょっとの間、なにかを考えるような表情を見せる。

〈その横やら縦やらの本筋だっていう方ね〉

「はい」

〈しばらくは、黙秘か否認でいくしかないよ〉

「えっ? ここの取調室でも、ここに連れて来られる車の中でも、べらべらしゃべっちゃいましたよ」

 弁護士はポメラを打たない両手で、自らの頭を左右から抱え込んだ。


(「拾参の4 フィリピン、インドで海賊版」に続く)

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