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拾参の2 あるとき謎の運転手

「ーーひょっとして、現職だったってこと?」

 なにかにすがるような表情で、白髪の巡査部長が尋ねる。

 制服の件だけではない。逮捕された日の晩、投薬に関する申し送りがまったくされていないことで、刑事部門とか警務部門とか、員面調書とかわめき散らしたから、警察内部を知り過ぎていると邪推されたのだ。

「違いますよ。警察官とか警察職員とかだったってんじゃありません。社会に出て、仕事でお巡りさんたちと付き合うようになったころっていう意味です」

「なんだよお。脅かさないでよお」

 驚かさいで、と白髪の巡査部長は言ったかもしれない。「ろ」が付くか付かないかの違いだが、どっちで言ったとしても、驚いたし、脅された気分に陥ったことであろう。

「驚かせて、申し訳ありません」

 すんません、というような軽い表現では、赦してもらえそうにない。それほど白髪の巡査部長は、(おび)えた表情をしていた。


「勾留が付くとは、思わなかったな」

 落ち着きを取り戻した白髪の巡査部長が、おれを試すような口調で言う。

「そうですか。そうですね」

 白髪の巡査部長を脅かさないよう、おれは自分の態度に気を配る。注意深く発言する。

「だって、なんの実害もないのに、あの罪名はねえ」

 威力業務妨害と、白髪の巡査部長は言わない。白髪の巡査部長も、発言内容に配慮しているように感じられる。

 もっとも、そのことはおれが相手だからではなく、どの囚人に対してでも、どこかで聴き耳を立てている第三者の存在を懸念しているかもしれない。

 白髪の巡査部長は続ける。

「預かってる荷物も、うちらが勤務を交代してもすぐに出して返せるようにって、倉庫の一番手前に収めておいたんだよ」

「ご配慮が無駄になってしまって、申し訳ありません」

 すんません、はここでも避けた。

「検事さんに、ごめんなさいはしたの?」

 幼児言葉のような表現で、お茶目な巡査長が会話に加わる。検察が勾留請求し、裁判所がそれを認めたことに、お茶目な巡査長も納得がいっていない様子だ。

「そこまで到達してないんです」

「どういうこと?」

 そう尋ねたのが白髪の巡査部長だったか、お茶目な巡査長だったか忘れた。口にしていない一人の方も、同じ疑問を抱いたはずだ。

「捜査機関の狙いは、別のところにあるんです。今回の逮捕、送検、勾留請求は、あくまでもとっかかり。別件の方が警察にとっても検察にとっても本筋で、むしろ本件なんです。そこの本筋まで、聴取が到達していない」

 検察に頭が上がらない裁判所の思惑については、口に出すのを避けた。

「ああ、そういうことか」

 白髪の巡査部長が、得心した表情を見せる。お茶目な巡査長も同じだ。

「だから、起訴されても別件再逮捕、追起訴されてもさらに再逮捕が半永久的に続くんだと覚悟してます」


「睡眠は取れてるの?」

 会話のテーマを白髪の巡査部長がわざと外したのだと、おれは感じた。勾留のことに深入りするのは立場上まずいという判断かもしれないし、第三者による聴き耳を警戒しているのかもしれない。

「まったく眠れなくはないんですけどね。寝つきは悪いし、早く目覚めてそれから眠れないしっていう感じです。最初の晩は、ご面倒をお掛けしました」

「うん。上の方まで話を持っていくのに苦労したよ。うちらも結構、大変だったんだよ。でも、あの晩に見回った時も、肘を立てた状態でにらまれちゃったしね」

「にらんだわけじゃないっすよ。きっと、人の気配がしたからそっちに眼をやったんでしょう」

「監視するのがうちらの仕事だから、勘弁してちょうだい」

「そりゃ分かってますよ」

 白髪の巡査部長の「監視」発言は、見回りのことではない印象を受けた。天井の照明器具角にある不自然な三角形のすき間は、やはりカメラが埋め込まれているのかもしれない。


「勾留が長引くようだったら、髪も切らなきゃならないんですよね」

 運動場内に一カ所だけある、壁に貼り付けられている小さな鏡をのぞき込みながら、二人のうちどちらに言うでもなく口に出してみた。

「散髪は、業者さんが来てやってくれるよ。電動バリカンで刈るだけだけどさ」

 白髪の巡査部長が答える。はさみなど刃物は持ち込めないという説明だ。

無料(ただ)じゃないんでしょ?」

 最初の晩、自弁で買えるものの説明を受けるなかで、散髪メニューが掲載されていた記憶がある。

「うん。三千円」

 刑務所でも刈ってもらった。生活のすべてが自己完結の刑務所では、所内で理容師免許を取得するための職業訓練を受ける囚人が、電動バリカンでやってくれる。費用などかからない。

「ひげはそってもらえないんでしょ? そらなくても、短くしてもらうのも」

「駄目」

「バリカンで髪のついでにウィーンってやってもらうのも駄目ですか」

 顔面の下半分に沿って、電動バリカンを当てる仕草をして見せた。

「駄目。電動のひげそり(シェーバー)は貸してあげられるよ」

 爪切りと同じだ。

「ここまで伸ばしてると、電動ひげそりの刃は毛と毛の間に入っていかないと思うんですよね」

「きょうは準備してないから、次の運動の時にでも試してみなよ」

 白髪の巡査部長に提案され、それに従うことにした。


「髪もひげも、伸ばしてるのには、それなりの理由があってですね」

 当時のおれは、髪が長い部位で二十五センチ以上、ひげは顎の下に十センチほどあった。飲食に支障があるから、鼻の下のひげは一センチほどにとどめている。

 おれが展開しようとする自嘲気味な告白に、二人は表面上は反応しない。興味があるのかないのか、分からない。おかしなことを言いだしたら止めるつもりは、あっただろう。

「擬態のためなんです。変装のため」

 止められないから、おれは続ける。

「ぼくの職業、ご存じでしょう? 取材対象から、顔を覚えられたくない」

 まだ止められない。むしろ、二人とも関心を示しているように見える。おれはさらに続ける。

「かつらを着けたり付けひげを貼ったりってのは、不自然でかえって変装を見破られちゃう。格闘したり風で飛ばされたりで、外れちゃうこともある」

 はっとした表情を、先に白髪の巡査部長が見せた。遅れてお茶目な巡査長も、同じ方向性とベクトルで表情を変えた。

「変装するために、逆に髪を刈るってことかっ! ひげをそるってことかっ!」

 運動場の上にある三階、四階の窓の内側にも響きわたるような大声で、白髪の巡査部長は感心して見せる。

「そうです。みんな、長髪でひげ伸ばし放題なのがぼくの容姿の特徴だと思い込んでる。短い髪やらひげのないぼくの姿を見たら、知ってる人間は、ああ、相手に正体を見破られたくない取材をしてきたんだなって想像できる。その想像は、たいがい当たってる」

 白髪の巡査部長は、腹を抱えて笑う。

 おれは続ける。

「取材の前に刈ってそって備えることこともあれば、取材を終えてから、付け狙われないよう刈ってそることもある。刈るかそるかを二段階に分ければ、三通りの人間を演じられる」

 腹を抱える白髪の巡査部長の笑いは止まらない。

「抑えて。声を抑えて」

 お茶目な巡査長はおれに向かって、顔を引きつらせ、両手のひらを下に向け押さえつけるような仕草で注意を促すが、その対象はおそらくおれではなく、彼の上司である白髪の巡査部長だ。

「芸能人のサングラスも、考え方の根幹は同じだと思うですよね。日本だと、タモリとか、ミュージシャンの井上陽水(いのうえようすい)とか。メディアでは素顔をさらさない。大勢の観客がいるステージ上でもそう」


 留置管理課の二人を楽しませた、取材手法であるおれの髪、ひげに対する考え方は、おれの意図とはまったく異なる意味合いで、刑事課強行犯係が関心を示していたと後に分かる。

 事件の鍵を、言いがかりとしかとられようのないほど、ほんの少しだけ握っていた。


 運動らしい運動ができるほど広くもない運動場だが、留置管理課員とちょっとした世間話をするのには都合が良かった。居室にいて柵越しでは、彼らとの世間話もままならない。

 それでも柵越しの世間話を試みる、おれのその後の人生を大きく変えることになるおかしな囚人仲間のことは、章を改め、じっくりしっかり記していく。


(拾参の3 起訴後に来ていただけるもんだと」に続く)

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