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弐の4 市場で買い付け八百屋か魚屋

〈きのう商品をお持ち帰りにならなかったお買い物ね、カードでお支払いされてるから、カードに返金できないんだよ。現金で返金するから、これから持ってく〉

 あれ?

 店長ヤスダの言で、二重の疑問がおれの頭の中に湧いた。

 決済が成立している、つまり、おれは支払いをしたことになっているのだろうか。

 もう一つ。

 もし決済が成立しているのなら、クレジットカード会社との間でその決済を取り消すのは契約上、容易なはずだ。現金で返す方が難しい。「ショッピング枠の現金化」という、カード会社の規約に違反する民事上の問題と、出資関連法規に違反する刑事上の問題に抵触する可能性さえ否定できない。

 しかし、返すと言うんだから、返してもらおうと思った。店長ヤスダの容姿を見てやろうという思いもあった。

〈それでね、詳しい住所を教えてくんないかな〉

「きのう、言ったじゃないですか」

〈念のためだよ〉

八〇五(はちまるご)号室ですよ」

〈なん号棟の?〉

「きのう、教えたじゃないですか」

〈念のためだよ。念のため〉

 この辺りまで聴いて、おれは得心した。

 記録に残せと言ったおれに、残す残すと乱暴に答えた店長ヤスダは、おれの住所を控えていない。電話番号もだ。おれは携帯電話の番号を告げたはずなのに、固定電話にかかってきている。前日のおれの発信者番号通知が、店の固定電話のナンバーディスプレイに残っていたのだ。

「二号棟です」

〈奈良北団地だよね?〉

「そうですよ」

 付近にはほかに大規模な集合住宅はない。


 前日調べ上げた株式会社三和の法人登記情報を紙にプリントアウトし、折りたたんで封筒に入れて、おれは店長ヤスダの到着を待った。


「ども。三和奈良北店のヤスダでございます」

 店名ロゴ入りジャンパー着用でうちに現れたのは、四十代に見える小柄な男一人だ。

「きのうはうちの従業員がたいへん失礼なことをしでかしてしまいまして。今後、よく教育、指導しますから」

 そう言って、頭を深く下げる。

 前日の電話でのような荒々しさは見受けられない。先ほどの電話での話しぶりと比べても、柔和な口調に聴こえる。やや神妙にも感じる。

 しかし、ホワイトカラーのビジネスマンとは印象が違うというか、様相が異なる。市場に買い付けにいって店に立ち客の相手もする八百屋か魚屋のような威勢だ。ガラガラにしゃがれた声のせいもあって、よけいにそう感じさせるのかもしれない。

「六百八十一円、入ってます。お確かめください」

 ヤスダが両手で差し出した封筒を、おれも両手で受け取った。左手に持っていたノートは脇に挟み、右手のペンは、下駄箱の上に置いた。

 中を確認した。硬貨がじゃらじゃら入っている。手のひらの上に出してみた。前の日に計五点の買い物をしたことを記すレシートと一緒に、硬貨が滑り出てきた。

「分かりましたよ。確認しましたよ」

 金額までは確認していない。大した額じゃないから、どうだっていい。

「そうですか。良かった」

 出掛ける時に所携し忘れないよういつも部屋のかぎや財布などと並べ下駄箱の上に置いてある革製の名刺入れからおれは、本名と、肩書きを示すため《取材・著述》、その下に《reportage》といずれも横書きで記す名刺を一枚取り出し、ヤスダに差し出した。

「ヤスダさんの名刺、いただける?」

 ジャンパーの左右のポケットを両手でぽんぽんとたたき、ヤスダは言った。

「持ってきてないんです」

「ああ、そう。じゃ、仕方ないね。あのねえ、ヤスダさん。おなたの会社のあなたの店の従業員は、だれの責任でだれが採用してるの? 雇用してるの?」

「従業員によってそれぞれ異なります」

「そりゃ、そうかもしれないね。例えばきのうのほづみなにがしはどう? もし個人について回答できないんなら、レジを打ってる店員については、おおむねどういう傾向なのか答えられる?」

「店で募集して、店で面接して、本社に『この人物を採用していいか』とうかがいを立てて、店の責任で仕事をやらせます」

「ほづみさんもそう?」

「そうです」

「きのうはなぜあんなことになったの?」

「それは恵方巻きだから…」

 もうこれ以上つついても、まともな回答は得られないであろうと判断した。無知で無能なヤスダが、哀れにさえ思えてきた。

 だから、かごをほづみに投げつけたとか、けがでもしたら暴行罪になるという主張とかを突くのはやめた。商品の入った段ボールを蹴って移動させる店員や、密封されていない惣菜の山をハンディー機材でざくざく扱う店員の問題も、蒸し返さないことにした。

「ヤスダさん。せっかく準備したから、これ、渡しときますよ。中を確認してください」

 硬貨とレシートの入った封筒をヤスダがおれに渡したのと同じように、おれは、同じような封筒を渡した。

 ヤスダは中身を取り出し見入る。

「なにが入っていましたか?」

「なにやらうちの会社に関する情報が書かれてます」

 法人登記簿をヤスダは知らないのかもしれない。見たこともないのかもしれない。

「なぜぼくがこのような書面を引き出さなきゃならないか、刷り出さなきゃならないか、持ち帰ってよく考えてください。ご自身で分からなければ、会社の誰かに、それを見せて聴いてみてください。名刺も一緒に見せてください」

 はい、そうしますと言って、ヤスダは帰っていった。


 前日の時点でヤスダは、おれの住所地や電話番号を控えていなかった。翌日になってうちに来たのは、本社の意向に基づくものだろう。

 ーーどんな野郎か、顔を見てこい。どんな暮らしをしているのか確認してこいーー

 おおかたそんな指令を受け、渋々それに従ったのだ。


 ヤスダの報告が本社に到達する前に、もし到達してしまったとしても、それへの対応策を会社が練り上げる前にと、おれは改めて本社に照準を定めた。

 法人登記情報をプリントアウトした紙をヤスダに渡したのだから、おれの動きは読めるはずだ。読めないのだとしたら、会社がとろい。紙の件が会社に伝わらないとしたら、重大な情報を放置した、おれの忠告を無視したヤスダが悪い。


 店長ヤスダは放免したが、店や店舗従業員、会社に対しておれは、手綱を緩めない。ヤスダがうちに来る前から決めていた。うちに来たヤスダの説明がしどろもどろだから、戦闘意欲が増した。取材意欲が促された。


《スーパー三和奈良北店のことで、お尋ねしたい案件があります。ご連絡ください》


 本文はそれだけの文書を、町田市金森四丁目の本社・小山真社長、さらに、登記簿で明らかになっている、町田市森野二丁目の小山社長邸、その近隣に居住するとみられる役員・小山壮之、同市森野五丁目の同・小山克己にそれぞれ宛てて郵送した。

 反応があったのは、郵便が届いて間もなくとみられる二月八日のことだ。


(「弐の5 アリバイ作りのワン切り、ワン切り」に続く)

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