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拾弐の4 利き足はどっち

「かごを手で払った後、どうしましたか」

 若い美人女性検事による聴取が続く。

「買い物の支払いをしてないはずなんでけど、翌日になって、店長が返金するって言って現金を持ってきてますから、支払ってるってことですね」

「支払いは現金ですか」

「支払っているとすれば、クレジットカード」

「レジの機械は、タッチパネル式ですか」

「今どうなっているのか知りませんが、当時は、差し込み口に挿入して、何秒か待って決済完了の合図の音が出て、自分で抜き取る旧式の機械でした」

「クレジットカードは、どこから出しましたか」

「出したのだとしたら、普段、使ってる財布」

 青葉署の白髪の巡査部長が言うところのクリップ付き財布だ。

「財布から出した後、そのまま差し込み口に挿入しましたか」

「さっきお話しした通りで、差し込み口に挿入した記憶がないんです。抜いた記憶も」

「財布から出して、カードをどうにかしませんでしたか」

「覚えていません」

「カードでなくて構いません。なにかしていませんか」

 執拗(しつよう)に聴いてくるということは、おれになにかを言わせようとしている、つまり、女性検事にとって関心があり、事件を左右する要素を含んでいるということだ。


 名刺を差し出したかもしれないーー。

 しかし、取り調べの場での不用意な発言には注意しなければならない。それが独り歩きし、事件の様相が変わってしまう。


「覚えていません。財布からカードはおそらく出してます。支払いのためです。しかし、差し込み口に挿入した記憶がない。だけど、支払われてるって店長は言ってる」

「分かりました。次にレジ台を蹴ったところに飛びます。先ほどのお話し通り、蹴ったことは間違いないですね」

「蹴りました。でも、あそこを『レジ台』って表現するのには抵抗があります。これは警察でも弁解録取書の際に主張したんですけどね」

「レジ台でなければ、なんですか」

「ぼくは流通や小売りの業に携わったことがないから専門用語(テクニカルターム)は分かりませんが、スーパーマーケットのレジ打ち店員はたいがい、片仮名の『コ』の字の三方で囲まれています。『コ』の字の縦の線に、商品をかごごと載せるカウンター状のスペースがあります」

「……」

「ぼくが蹴ったのは、『コ』の字の横棒の先。店舗の間取りによって左右が異なりますが、今回のケースでいえば、上の横棒の端。一画として書きだす点の部分」

「……」

「検事さんの今、お座りになっているデスク。ぼくのいるここからは見えませんが、その大きさや座っている位置から、両袖が引き出しスペースになっているんじゃないでしょうか」

「……」

「検事さんのデスク天板に大きなくぼみを入れて、そのくぼみの内側に、レジ係店員がいるような配置。ぼくが蹴ったのは、検事さんのデスクでいうと、左引き出しの部分です」

「……」

「『コ』の字全体をレジ台というのなら、それで間違いありません。ですが、レジ台を蹴ったと言ってしまうと、『コ』の字の縦部分、商品を載せるカウンターを蹴ったのだという印象を与えてしまいます」

 調書は文字で記される。文字として書き起こせる表現で供述しないと、調書に残せない。そして同時に、間違った表現は、間違ったまま次の刑事手続きに進んでしまう。

 蹴った位置について、女性検事はなにも語らない。おれの供述を、聴き返すことさえしない。その理由は後に、何日も経ってから分かる。

「分かりました。蹴った回数は」

「一回」

「右足でですか、左足でですか」

「覚えてません」

「利き足はどちらですか」

「手は右ですが、利き足なんて考えたこともない。そうだなあ、例えば地上に静止してるボールを蹴る場合、左足を軸にして、右足で、ですかね」

「今回の事件でも右足ですか」

「店を出ようとして振り向きざまに蹴ってますから、後ろ足で蹴ってるとしたら、『コ』の字の構造上、左での可能性もあります」

「両足で蹴った可能性は」

「検事さん」

「はい」

「ぼくの年齢、ご存じでしょ」

「……」

「蹴ったのは一回だけ。左右両足を使って跳び蹴りなんて、できません。そんな元気もありませんよ」

「…店を出て、それからどうしましたか」

「そのまま帰宅して、インターネットを通じて運営する会社について調べて、顧客対応窓口に電話をしました」

「同じ日にですか」

「同じ日です」

「それでなにか解決できましたか」

「まったく解決しません」

「次になにをしましたか」

「店にも電話をしてます」

「なにか解決できましたか」

「解決しないどころか、店長がおかしなことを言いだし、よけいに混乱しました」

「次には」

「その日はそれでおしまいだったと思います」

「翌日に、店長が返金を持って訪れたんですね」

「そうです」

「店長が来た日には、ほかになにかありましたか」

「その日だったか日にちが経ってたか記憶が定かではありませんが、経っていたとしてもそう間は空いていません、本社宛てに文書を作成して郵送しました」

「どんな内容か覚えていますか」

「レジ係の不始末と、それに拍車を駆ける店長の言動について、本社としての見解を問う内容だと記憶してます」

 売り物の入った段ボールを足で蹴って移動させたり、密封されていない惣菜を砂場遊びのように電子機材でざくざく扱ったりの問題を、最初の文書に記したかどうか覚えていない。だから、それについては女性検事にはなにも言っていない。

「その文書への反応は、ありましたか」

「電話を三度受けていますが、三度とも取れず、コールバックすると三和本社の経理部門につながるんですが、誰がかけたのか分からないという対応。それから、しばらく経って、三月に入ってからだと思うんですが、店舗運営部の矢島を名乗る人物から、それへの反応らしい郵便を受け取りました」

「どんな内容の郵便ですか」

「『聴きたいことがあるらしいけどなに?』的な内容で。切手貼付の返信用封筒も入っていました」

「郵便物は、三和の本社から差し出されていましたか」

「分かりません。店舗運営部というのが、果たして本社に置かれているのかどうか。ただ、返信用封筒のすでに記されている宛て先は、本社ではありませんでした」

「どこになっていましたか」

相模原(さがみはら)だと記憶してます」

「神奈川県相模原市ですか」

「そう認識しています」

「そこにはなにがあるんですか」

「行ったことがないから分かりません。インターネットの地図(マップ)で番地からたどると、なにかの倉庫街のようで、スーパーマーケットの店舗が立地するような場所ではありません。おそらく、三和のなんらかの関連事業所でしょう」

「返信しましたか」

「しました。レジ係の店長の問題だけでなく、これまで店舗で遭遇した目に余る従業員の悪行の一部をしたためて」

「分かりました。きょうは、ここまでにします」

「あれ? まだまだ続きがあるんですよ」

「別の機会に聴き取ります。それでは、これから調書を作成します」

 女性検事が眼で合図を送り、男性事務官が、パソコンのキーボードをがちゃがちゃいじりだした。


(「拾弐の5 資材の資、器材の器」に続く)

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