拾弐の2 企てられた喧噪
おれと同じように上下とも灰色の、左胸と左ももに《官》の大きなスプレー文字が入った服を着せられた男と、電車ごっこのまま冷房の効いたマイクロバスを降ろされ、エンジン排気ガスにまみれた地下駐車場の熱風を浴びせられ、建物内に連行される。
エレベーターに乗って壁を向かされ、かごが昇っているのか降りているのか分からないまますぐに目的の階に着き、かごを降ろされる。
降りた先の扉の向こうには警察官の詰め所がある。そこを過ぎて、さらに扉を抜ける。ここが電車ごっこの終着駅だ。運転士のおれと、どこの誰とも知れない車掌の連結が切り離される。
そう長くない廊下があって、片側に、おりが並ぶ。「待ち合い」とか「待機室」とか呼ばれる部屋だ。
両手錠のまま壁に手を突かされ、青葉署でお茶目な巡査長から初日の晩に二回受けたのと同じような身体検査を受ける。
そして、腰縄だけ外され、警察の留置施設と同じように前面が柵になっているおりに入れられる。
おりは幅四メートル、奥行き六メートルほどで、奥の端にトイレがある。トイレがある側の壁に背を密着させた木製ベンチが一本、対向する壁に二本、備え付けられ、最大十五人ほどが座れるが、おれが入った際に囚人はその半分もいなかったし、増えなかった。
大便後に尻を吹くペーパーはトイレには常備されておらず、柵越しに廊下の警察官に持ってきてもらう。ロール式ではなく束状のちり紙。
警察の留置施設に比べれば一度に多人数を収容する可能性があるからだろう、トイレはドアを閉めれば中が見えない。そこで大量のペーパーを口腔内に詰め自殺を図るのを未然防止するため、ペーパーを常備しないのだ。
それでも、二〇二五(令和七)年四月、殺人未遂の容疑で逮捕、身柄ごと送検され検察官の取り調べを受けるため福岡地方検察庁の「待ち合い」で待機させられていた容疑者が、トイレ内で衣服を使い首つり自殺を遂げている。
大便の際には、願い出れば両手錠の片方を外してもらえる。その際や、検察官の呼び出しなどでおりを出る際に、手錠番号を口頭で申告する。耳に入った限りではいずれも、おれの手錠番号同様、神奈川県内の警察署名と、なんらかの英数字で構成されている。
前述した通り、おれに対するふざけた逮捕令状を発付した間抜けな裁判所は、青葉署刑事課強行犯係警部補、グランパ石場によれば、全国に四百三十八カ所、神奈川県内に十一カ所ある簡易裁判所のうち、横浜市神奈川区に立地する神奈川簡易裁判所だという。
同区には、県警神奈川署が立地する。神奈川署の留置施設で管理する手錠は、青葉署などと同様、《神奈川》の刻印なのか知りたい。留置施設以外で警察官が貸与され装備する手錠に刻印されているはずの《神奈川》とどう識別するのかが疑問だからだ。
しかし、神奈川署に留置される者がおれの周囲にいなかったのか、神奈川署では神奈川県警との混同を防ぐため別の刻印が打たれ、それを誰かが読み上げてもおれが気づかないかで、回答は得られなかった。
県名と県都名が異なり、その県都に存在する県名と同じ行政区はほかに、兵庫県神戸市兵庫区がある。このエリアも、兵庫県警兵庫署が管轄し、神奈川県警神奈川署と同様の混乱を招きがち。
しかし、神戸市兵庫区は、裁判所は神戸地方裁判所ならびに神戸家庭裁判所と神戸簡易裁判所の、検察庁は、神戸地方検察庁と神戸区検察庁の管轄で、「兵庫」の名が付く裁判所も検察庁も存在しないから、実存する神奈川簡易裁判所、神奈川区検察庁のような問題は起きない。
おれの仕事場兼自宅で逮捕令状を執行する際、グランパ石場は、彼が「令状」だとする用紙の上下左右部分を隠し、《神奈川》と表記される活字だけを見せた。令状を発付したのは、神奈川簡易裁判所ではないのではないか、とおれはずっと疑っている。
――神奈川? 横浜市神奈川区にある簡易裁判所ってことか?――
――そうだ。もういいな。分かったな――
グランパ石場とはこんなやり取りで、彼は裁判所名を口に出していないという背景もある。
昼飯には、菓子パン三つと森永の小さな紙パックの牛乳が配られた。青葉署の留置施設のように、ぬるま湯ではないだけましだ。
菓子パンは、あん入り、イチゴジャム入り、クリーム入り。甘過ぎて気持ち悪いので、二個だけしか食べられなかった。
柵の外の廊下には、制服の警察官と、まれに私服警察官が常に行ったり来たりしている。私服勤務員は、二つ折りの「警察手帳」を逆さ折りにしてバッジ面を前面に露出させ、シャツの胸ポケットに挟むか、ズボンのベルトに挟む。胸ポケットに挟む場合、ストラップを輪っかにして首に掛ける。ズボンのベルトの場合、ズボンのベルトにストラップを巻き付ける。いずれも落下防止のためだ。
ごくまれに、ネックストラップ状にして首だけに掛け、ぷらぷらぶら下げているのもいる。
「青葉、五十九番」
昼過ぎに、ようやく呼び出しがかかった。
手錠番号を申告し、解錠された柵から出て、廊下の壁に手を突き身体検査を受け、腰縄を打たれる。
制服警察官二人に伴われ、彼らの詰め所を通ってエレベーターホールに行き、壁を向くように言われかごを待ち、かごが来てそれに乗ってからも壁を向かされる。
駐車場からの移動より長い時間、かごに乗っていた。地下がそれほど深いとは思えないから、高層階に向かっているのだろう。
かごを降りて迷路のような廊下を進み、数字ばかりとごくまれに人名らしい文字表示のある無数のドアのうちの一つを、警察官の一人がノックする。
「はい、どうぞ」
中から若い女声が聴こえ、まず警察官が入り、その後、手錠腰縄のおれ、腰縄の端を腕に巻き付け握っているらしい警察官が入る。
室内奥には企業の役員にあてがわれるような大きなデスクがあり、若く美しい女性がこちら向きに座っている。彼女が取り調べ担当の検事だ。
「お願いします」
医療機関で医師の診察を受ける際、初診でも再診でも、簡潔にそうあいさつする。それと同じように、頭を軽く下げあいさつした。
二日前の晩のように、『蒲田行進曲』のヤスのまね事はしなかった。手錠腰縄の状態であることを、検事である相手に説明する必要もわびるいわれもないからだ。
「掛けてください」
女性検事に向かう粗末なデスクとパイプいすがあり、青葉署の取調室と同様、警察官が、手錠で腰縄とパイプをつないだ。付き添いの警察官二人は、室内パーテーション越しの、やはり粗末ないすで待機する。
おれの右前、女性検事の左前に当たる位置に、おれたちとは九〇度の向きでデスクを向ける三十代前半に見える男性が座る。検察事務官だ。
女性検事による人定質問から始まる。前科前歴を含め、おれは回答する。その後に、女性検事は黙秘権について告知する。警察と同じ順番。つまり、人定質問に黙秘権は認められていない。
「容疑事実を述べます。あなたは、かねてより株式会社三和の営業を妨害しようと企て、令和五年二月三日、同社が運営するスーパー三和奈良北店に買い物客を装い侵入し、買い物かごを手で払い商品と買い物かごを床に落下させこれらを散乱させるなどした上、レジ台を蹴り、もって同店を喧噪に陥れ、営業困難にならしめた。なにか間違っているところはありますか」
驚かされた。
「検事さん。容疑事実をもう一度読み上げてもらえますか」
「いいですよ」
女性検事はおれに向けていた視線を、再度、手元の書類に移す。
「かねてより株式会社三和の営業を妨害しようと企て、令和五年二月三日、同社が運営するスーパー三和奈良北店に買い物客を装い侵入し、買い物かごを手で払い商品と買い物かごを床に落下させこれらを散乱させるなどした上、レジ台を蹴り、もって同店を喧噪に陥れ、営業困難にならしめた」
「分かりました。『企て』とおっしゃいましたか」
「はい。言いました」
「そんなことを企てたことなど、ぼくはありません」
「ほかには、なにかありますか」
「『喧噪に陥れ』とおっしゃいましたか」
「言いましたね」
「喧噪に陥ったかどうか、店内のその後のことは見てないから分かりません。ですから、営業困難になったのかどうかも知りません」
青葉署では「騒乱」と言っていた。検察では「喧噪」に書き換わっている。しかも、「企てた」ことになっている。
「ほかには」
「商品と買い物かごが床に落下したっていう場面についても、見てないから知りません」
(「拾弐の3 名札を見たのか」に続く)




