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拾壱の3 蒲田行進曲

「居室に案内する。そのまま布団も入れるから、まず布団室に行く」

 お茶目な巡査長に連れられ倉庫のような場所に入っていって、指示通り、汚いぼろ布の塊のような布団ワンセットを取り出し両手に抱え、やはり巡査長に従い歩く。その先に白髪の巡査部長が待ち構えていて、柵状の扉が開いている。扉の向こうが、おれの居室。昭和の時代の俗語でいう「ブタ箱」だ。先住のブタはいなかった。

 雑居房で最多時十人ほどが同じ部屋に詰め込まれた刑務所では、房を出入りする際、称呼番号とそれに続いて「出ます」「入ります」と宣言し、刑務官に聴かせなければならなかった。脱走など未然防止のためだ。

 青葉署留置施設のこの居室には、おれしか入らない。管理は容易なはずで、留置番号を言う必要もなかろう。

「入ります」

 そう言って、サンダルを脱いで床が一段高い居室に入っていった。

 畳を模したビニールの床材にワンセットを置き、礼節があるところを見せようと、居室に向け脱いだままのサンダルを逆の外向けに直しそろえた。紺色で粗末なゴム製サンダルの足の甲に当たる、鼻緒のない二点式バンドのブリッジ表面には《59》とおれの留置番号が黒マジックインキで手書きされた粘着テープが、左右ともに貼られている。

「柵から離れて」

 巡査長に言われ、居室内を後ずさりする。

「施錠お」

 大声で巡査部長がなにかを操作し、扉が閉まる。金属のきしむ大きな音がする。

 扉もそれがある面全体も鉄製の柵だが、新型コロナウイルス感染症対策であろう。頭より上と足元を除く部分に、透明の厚手ビニールが張られている。

 抱えていたワンセットを床に置いて仕分けると、敷布団のような物一枚、タオルケットのような物二枚、枕のような物、封筒状のシーツのような物だった。

 柵の外にまだいる巡査部長に、尋ねてみる。

「この袋の中に、敷布団を入れるんですか」

「入れなくていい。敷布団の上に敷くだけで」

 巡査部長の言う通り、ぼろ布の塊で寝床を作る。

「きょうはこれでおしまい。トイレは奥ね。水が飲みたくなったらわれわれを呼んで。じゃあ、お休み」

「ちょっと。ちょっと待ってください」

 柵の向こう側を去ろうとする巡査部長を、呼び止めた。

「薬はどうなってるんですか」

「薬?」

「睡眠導入剤ですよ」

「そんな申し送りは受けてない」

 危惧した通りだ。

「刑事部門から申し送りを受けていないってことですか」

「うん。どこからも」

「だからしつこく言ったんですよ。ここに連れて来られる車の中でも、取調室でも。気にしなくていいとか分かってるとか言ってて、まったく分かってないじゃないですか」

「刑事のことは、わたしたちは知らない」

「知らないってことをぼくは十分、知ってますよ。だから言ったんです。『留置場はあんたら刑事部門じゃないだろう、警務部門なんだろう』って口酸っぱく。何度も何度もしつこく。それでやっぱり、部門が異なるからって、必要な常備薬が用意されてないってことですか」

「一晩くらい、薬がなくても死にゃせんだろ」

「薬がなければ一睡もできないんです。あしたっからの調べに応じられないんです。応じさせないための策略ですか」

「……」

「あんた方のストーリーに合わせた調書を作文して、意識朦朧(もうろう)の被疑者の指にインクを塗りたくって、指に書面を押し付け偽造ですか」

「……」

「刑事部門、警務部門の共同作業で違法捜査を繰り広げ、員面調書をでっち上げ、冤罪を作出ですか」

 大声を張り上げ主張した。そうでもしなければ、話が通らない。

「…ちょっと待ってろ」

 巡査部長は姿を消した。巡査長はずっと姿が見えない。


「その薬を処方してるかかりつけ医はどこだ」

 戻ってきた巡査部長が言う。

「青葉区内のX医院」

「ちょっと待ってろ」

 同じようなことを言って、巡査部長は再び姿を消す。


「もう診察時間は終わってる。電話はつながらない」

 当たり前のことを巡査部長は言う。

「だから強行犯係の松本って巡査部長に言ったんだよ。彼のはめてる腕時計がその時点で五時を回ってた。診察時間が終わってしまう、薬は大丈夫なのかって」

「ちょっと待ってろ」

 巡査部長は行ったり来たりだ。


「電話がつながった心療内科が一軒ある。××町の心療内科で××クリニック。知ってるか?」

「知りません」

「そこが応じてくれるって言ってる。診てもらうか?」

「診てもらえるのなら、どこでも構いません。××町って、横浜ですか、都内ですか」

「横浜。青葉区内だ。××クリニック、あんたがそこが嫌だって言うなら、もっとほかを探す」

「嫌なんて言いませんよ」

「以前にトラブルになった医療機関だと嫌だっていう人間もいるからな」

「ぼくはそんな人間じゃありません。しょっちゅうトラブルを起こしてもいません。それで、そこの医師(ドクター)がここに来てくれるんですか」

「いや、われわれが連れて行く。それでいいか」

「お願いします」


 居室を出され、手錠腰縄を打たれ、お茶目な巡査長に伴われ留置施設の重そうな扉を二つくぐった。巡査長は、私服らしい薄手のブルゾンを羽織っている。警察活動だと外で見られるのを極力回避するために違いない。

 扉の外では、作業着のような地味な服装の人相の悪い男が待っている。二人に伴われ、暗い階段を降りた。

 白髪の巡査部長は出てこない。二人そろって留置施設の持ち場を離れるわけにはいかないのだろう。

 階段を降りた先にワゴン車がエンジンを稼働させたまま止まっていて、スライドドアが開いている。双子かと見まがうような人相の悪い男が同じような作業着姿で運転席にいる。双子は最前列の運転席と助手席に、おれはお茶目な巡査長の指示で、二人で最後尾の三列目のシートに座った。

 辺りは暗い。三列目シートから、運転席脇のナビゲーションシステム液晶画面の表示は遠くて見えない。署敷地内を出て走りだした車がどこに向かっているのか分からない。東方向、つまり東京湾(うみ)側に向け走っているようだ。


 住宅街らしいエリアで車は駐車場に入る。車体が大きいためか、人相の悪い双子の片割れの運転技術の問題か、何度もハンドルを切り返し、手錠腰縄のまま車を降ろされた。車体は結局、白線スペースに収まらず、斜めに止まっている。

 腰縄の先を握るお茶目な巡査長、人相の悪い双子の計三人に囲まれ、そう高くないビルに入りエレベーターに乗り込む。

「壁を向いてろ」

 巡査長に指示される。エレベーターが昇っているのか降りているのか分からないあっという間に目的の階に到着した。

 エレベーターの外は暗い。クリニックの受付らしいカウンターに、人はいない。双子の片割れが先に奥に入って、残りのおれたち三人を招き入れる。そこは診察室で、頭頂部の薄い壮年の男性医師が白衣でデスクに着いていた。


「こんな状況なもんで、こういう格好で申し訳ありません」


 手錠をかまされている両手を自身の顔の前まで上げ医師に示そうとしたが、腰縄とつながっていて、胸辺りまでしか上がらない。

「ああ、はいはい。そこに座って」

 医師はうなずいて応じる。


 つかこうへい(一九四八-二〇一〇)の戯曲で映画化された『蒲田行進曲』(一九八二)は、松坂慶子(一九五二-)演じる小夏を身ごもらせた風間杜夫(一九四九-)演じる銀四郎が、彼を慕う平田満(一九五三-)演じるヤスに、小夏を押し付ける。


〈コレが、コレなもんで〉


 自分の子ではないと本人だけでなく周囲にも知られていながら、ヤスは、小指を立てるジェスチャーで女房を、腹が膨れていることを示すそれで、懐妊中であることをアピールする。

 不当逮捕された上、かかりつけ医による常備薬の処方も許されずこんなことになってしまっているのだという胸の内を、壮年の精神科医は分かってくれたはずだ。


(「拾壱の4 お盆が近いから」に続く)

※ 記憶違いを訂正するため、《アクリル板》を、《厚手ビニール》に書き替えました。

※※ 同じく、《掛け布団》を《タオルケット/二枚》に書き替えました。

(2025.7.15 追記)

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