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弐の3 けがでもしたら暴行罪か

 電話には、株式会社三和の正規従業員らしい、声質から判断すれば女性が出た。

「横浜市内で作家をしております。森と申します」

 初めて接する相手に対する普段と同じ自己紹介をした。先ほどの問い合わせ窓口も同様だ。

「貴社が運営する『スーパー三和』奈良北店にまつわり、お尋ねしたいことがあります」

〈どこでここの電話番号をお知りになったんですかっ?〉

 オクノと名乗る総務部所属だというその女性は、驚いた口調だ。

「フリーダイヤルでつながる問い合わせ窓口に聴きましたよ」

 間を置かず電話をしたから、問い合わせ窓口より総務部への連絡は届いていまい。そして、取材源の秘匿うんぬんが問題になるレベルの話ではないので、事実の通りを答えた。

〈奈良北店のことでどのような?〉

「すぐ近くに住んでて、日常的に利用してます。今に始まったことじゃないんですけどね、店舗従業員の言動が目に余る。まず、今しがたあったことについてお話しします」

 ほづみの名札を付けたレジ係が、レジ打ちの途中でなんの説明もせず囲いを出たり入ったり、同様になんの説明もせず固定電話の受話器を上げどこかと通話したりの一件をぶちまけた。

「続けて、よく見る、ごく普通の光景です」

 陳列棚への搬入で商品が入っている段ボールを店舗従業員が蹴って移動させたり、密封されていない出来合いの惣菜を、ハンディー機材をシャベルかスコップを使った砂場遊びにようにザクザク山を削ったり移動させ新たに山を造ったりの問題を並べ立てた。

〈……〉

「消費者が、つまりあの店に客として通う近隣住民が貧乏人ばかりだから、それに適した従業員を配置している、という解釈でいいですか?」

〈……〉

「店舗従業員は、どこが採用して雇用して、どこが給料を払っていますか?」

〈……〉

「どこが人事上の、業務内容上の責任を負いますか? あなた方、本社ですか? 店舗ごとですか?」

〈……〉

 事実関係が確認できないから対応できない、対応できるかどうかも分からない、事実関係が確認できたとしても、対応の可否について現段階では回答できない。そんなようなことを、オクノは言う。

 官民事業所を通してよくある反応だ。

 クレーム処理の最前線であるはずの問い合わせ窓口をおれが容易に突破するとは、本社総務部オクノは想定できなかった。問い合わせ窓口の従業員は、おれが言った報道取材の意味を図りかねた、あるいは逆に、正確に理解できたからこそ、問い合わせ窓口では対応不能と判断した。

 レジ係ほづみの問題に関しオクノは、コメントを避ける。しかし、密封されていない惣菜の手荒い扱い方については、〈もしそれが事実だとしたら〉という仮定付きで、衛生上の問題がある、というようなことを言った。商品入り段ボールを蹴って移動させる方法についても、含んでいたかもしれない。この「衛生上の問題」という表現に、おれはこの後も振り回されることになる。


 いずれにしろ本社総務部は当てにならないことが分かった。

 株式会社三和側がなんらかの手立てを講じる前に、店にアタックすることにした。問い合わせ窓口への架電から時間を置かず本社総務部に架電したのと同じ理由だ。相手に考える隙を与えない。取材の一手法だ。

 インターネットの公式サイトで調べた奈良北店の番号《961-9140》をプッシュした。同じ横浜市内だから、市外局番《045》は付さない。

「先ほどそちらの店でひどい目に遭わされた者です。店舗責任者か、それに代わる方にお取次ぎ願いたい」

 店長のヤスダと名乗る、声の印象からは中年の男が電話口に出てきた。

〈あれは、恵方巻(えほうま)きだからさ〉

 節分の行事で、その年の「恵方」を向き、切り分けられていない太巻きずしを丸かぶりすると縁起が良いとされる、関西発祥の風習のことを言っているであろう。バブル経済真っ盛りの一九九〇(平成二)年ごろ、大手コンビニエンスストアチェーン「セブン-イレブン」が販売促進キャンペーンとして企画展開し、全国に広まった。現在では従来からある〈鬼は外、福は内〉の掛け声の「豆まき」より普及しているとされる。恵方は古代中国の陰陽道に基づく「十干」によって決まり、その年は「南南東のやや南」だった。

 しかし、恵方巻きの行事とレジ打ちほづみの乱暴の関連が、おれには理解できない。

「恵方巻きとどういう関係があんの?」

〈だから、恵方巻きだからって言ってるだろ!〉

 店長ヤスダも口調が乱暴だ。

〈そんなことより――〉

 ヤスダは続ける。

〈――あんた、レジのかごをうちの店員に投げつけたんだってな。けがでもしたら、ボーコー罪になるところだ!〉

 この短いヤスダコメントには、二つの誤りがある。おれはかごをレジ打ちほづみにもだれにも投げつけていない。

 また、ボーコー罪というのは刑法二〇八条で規定される暴行罪のことを言っているのであろうが、その適用に、けがの有無は影響しない。けがをしたからと言うのであればそれはむしろ、刑法二〇四条の傷害罪を検討するべきだ。刑事事件の現場では、被害者が負傷していないから傷害罪を見送り暴行罪で立件するという手法がよく取られる。

「投げつけてなんかないよ。ああいうのは、例えば『(はじ)いた』って表現するんだよ」

 そう講釈を垂れながらおれは、全国各地の方言について考えをめぐらせた。

 物を捨てることを、近畿エリアでは「ほかす」と言う。同様に北海道では、「なげる」という。漢字ではそれぞれ、「放かす」「投げる」だろう。

 方言でも外国語でも、言語としての発生の根拠が異なれば、あるいは同じであっても歳月を経て使うシチェーションがそれぞれの場所でそれぞれ移り変われば、その意味合いを一〇〇%一致させ翻訳することはできない。ただ、いや、だから、店長ヤスダが言う「投げつけた」は、方言など彼が所属するなんらかのコミュニティーに依存する表現方法なのかもしれない。

 そうであるのならそれで仕方ない。そして、店長ヤスダは、そのことに拘泥しない。むしろ、全国共通の法体系で規定される「暴行罪」にこだわる。

〈けがでもしたら、暴行罪なんだよ〉

「負傷の有無は、暴行の構成要件に該当しないよ。だから、けがをしたからって暴行罪は成立しない」

〈はっ。あんた、法律を知らないねえ。け・が・で・も・し・た・ら、ぼ・う・こ・う・ざ・い、なんだよ〉

 本社総務部より幾倍も増して、始末に負えない。おれは、店との折衝をあきらめた。

「ぼくの名前と住所と電話番号を言います。記録に残しておいてください」

〈お~、残す、残す。言え〉

 そんな不毛なやり取りで、通話を終えた。


 本社総務部も店舗も話にならないから、おれは、会社代表者にアタックすることにした。インターネット経由で、法務省の地方法務局が管理する、株式会社三和の法人登記簿にアクセスした。

 代表取締役・小山真が、町田市内に居住していることが分かった。同じ小山姓の複数の役員が、町田市内の小山真宅近隣に居を構える。典型的な同族経営(ファミリービジネス)だ。

 すでに夕刻になっており、会社は就業している時間帯だ。季節柄、日の入りは早い。


 予期せず自宅兼事務所の固定電話が鳴ったのは、翌日午前中のことだった。

〈三和奈良北店のヤスダです〉

 電話の相手は、そう名乗った。前の日の店長と同じ声だ。


(「弐の4 市場で買い付け八百屋か魚屋」に続く)

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