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拾の7 憎まれっ子の交際術

 巡査長、ピロシキ田中が作成した《文章》の弁解録取書に、差し出されたボールペンで署名し、差し出された黒っぽいスタンプ台のようなものに指示通り右手人差し指を着け、指印を押した。

「森さん、個人的にも警察官と付き合いがあるんですよね」

「記者として会社勤めしてたころの半分は刑事事件を担当したからさ。あるよ」

 神奈川県警の警察官ともあるかとは、ピロシキ田中は尋ねない。聴かれても、「ない」と応じるしかない。青葉署員ではどうかとも、尋ねられない。

「こいつだけは(ゆる)せないとか、付き合いたくないとかっていう警察官も、いました?」

「いろんな人間が集まる社会だからいるけど、そういう連中とは深く付き合わない。仕事でそこを担当してる間だけ、必要に迫られて仕方なく取材にいって話を聴くけどさ。長い付き合いには発展しないよ」

 ピロシキ田中がなぜそんなことを気にするのか、今になっても分からない。

 その時のおれは、ピロシキ田中に、うそをついた。相手がピロシキ田中でなくても、別の機会だとしても、そういうことを聴かれたら同じように答えるだろう。


 そりが合わない、苦手な相手こそ、その懐に飛び込んでいかなければならないのは、社会人としての心得というか、常識だ。そこから新たなビジネスチャンスが生まれる。そこからしか新たなチャンスは生まれない、と極論してもいい。

 ただ、飛び込んでいけば相手が胸襟を開いてくれるほど、報道記者と、取材対象とくに捜査機関構成員との関係は、単純ではない。大手報道機関の多くが取材記者として採用した新入社員に初任でサツ回り、つまり警察を、そして彼らが扱う事件を担当させる最大の理由は、そこにある。

 警察官は、日常的にうそをつく。うそをつくのが彼らの商売だ、とまでは、おれは言わないし思わない。ただ、うそをつかなければ仕事が成立しない。そういう仕事に追われるうちに、うそをつくことに対する抵抗がなくなる。そして、事件関係者など彼らが対峙する相手も、うそをつくものだと、彼らは信じている。対峙する相手がうそをつくから、彼ら自身がうそをつくのだとも言える。

 うそつき警察官を取材する記者は、相手のうそを見抜かなければならない。同時に、うそにだまされたふりをしなければならない。うそにだまされたふりをしつつ、それをうそと見抜いた前提で行動しなければならない。うそをうそと見抜いた上での行動は、うそをついた本人である警察官の前で敢行する。そのちぐはぐさを、うそつき警察官は是認する。


 大手報道機関が新人記者を支局など地方の出先に配置しサツ回りで育成する人事システムは、昭和四十年代初頭に確立されたという。NHKで高い視聴率を上げたテレビドラマ『事件記者』が放映されたのが一九五八(昭和三十八)ー六六(同四十一)年だから、それと時期が近い。東京、大阪で発祥した大手紙が北海道、九州などの空白地帯を埋め現地で発行開始、全国紙の体裁を整えた時期とも重なる。

 小規模な地方紙などは、陣容の観点から流動的な人事異動が難しく、必ずしも初任で事件取材の洗礼を受けるとは限らない。このことは、在京キー局であっても異動エリアが狭い民間放送局も同様だ。

 また、大手紙でも『日本経済新聞』と、国内二大通信社の一翼『時事通信』の取材記者は、入社直後のキャリアパスがほかの大手紙やNHK、共同通信と逆で、本社など都市部が初任地。だから、サツ回りも警視庁などから始めることになる。もっとも、民放もそういう状況なので、初任だからといって甘えられないし、へまは許されない。ただ、不幸なことにサツ回りを経験しないまま地方に出され、慣れない事件取材に右往左往することもある。

 専門紙の色彩が濃い『日本経済新聞』が本社など都市部で記者修行をスタートさせるのは、紙面に載る情報の多くが企業の集中する東京など発で、よって記者の配置も東京などに偏るという事情からだ。警視庁や検察、裁判所のクラブに記者を出すのは、経済事件、贈収賄事件の取材を念頭に置いている。それら本筋の取材に向け、腕を錆びさせない、取材対象とのルートを絶たないために、捜査機関、司法機関が扱う、紙面に載せる重要度が必ずしも高くない、通信社電に頼ってもよさそうな事件の取材も自社で賄う。

『時事通信』が東京などスタートなのは、民放や小規模地方紙同様、陣容という理由が大きい。

 ただ、メディア全体の構造不況を背景に各社とも従業員の育成や異動の方針を見直してきており、多くの大手報道機関の常識だった「取材記者は地方でサツ回りスタート」は、崩壊の兆しが見える。


 うそをつく捜査幹部とうそをつかれる取材記者の「化かし合い」は、章を改め、具体例を挙げて簡潔に説く。


 さて、苦手な相手の懐に飛び込むのは記者職に限らないし、そのことは、同じ職場の上司や同僚に対しても同じ。被疑者と対峙する捜査員にとっても同様だ。ただ、取材記者にとって、しかも、相手が巨大な警察など組織の人間の場合、いけ好かない相手と付き合うメリットは、記者以外の職業の者と比べ、格段に多い。同様に、相手が捜査機関などである場合以外と比べても、やはり重要度が格段に高い。

 例えば、記者嫌いとされている捜査幹部は、ライバル社の記者も寄せ付けない。そういう難攻不落の取材対象を落とせば、ライバルに一歩先んじられる。

 また、難攻不落の取材対象ほど、重要な情報を保持している。重要な情報を保持しているからこそ、記者を寄せ付けないのだとも言える。

 さらに、これらと関連して、マスコミ嫌いのふりをしている、装っている捜査幹部は少なくない。そうすることで、職場での地位を保全する。記者と仲良しの捜査幹部には、重要な情報はもたらされない。重要な仕事を任せられない。出世にさえ悪影響を及ぼす。

 半面、ライバル社記者も当然、同じことを考えているので、記者嫌いを装ういけ好かない難攻不落の捜査幹部に、同じように取り入っている可能性は否定できない。そして、彼ら記者嫌いを装ういけ好かない難攻不落の捜査幹部は口が堅いから、どこの社のだれが食い込んでいるのか、別の社の記者には分からない。同じ社でも分からないことがある。

 ところが、彼ら記者嫌いでいけ好かない難攻不落の口が堅い捜査幹部は、義理人情に厚いとは、必ずしも言えない。彼らには警察官としての、これは、公務員としてのと言い換えても同じだが、組織の一員としての職務があり、守秘義務を課され、守るべき家族を持つ。それらを犠牲にしてまで、赤の他人の取材記者に飯の種を与える必然性はない。彼らは、平気で手のひらをかえす。

 それは、おれたち取材記者にとっても同じことで、捜査幹部の信頼を裏切ることもある。


 取材相手との付き合いは、ギブ・アンド・テイクだ。なにをすれば、相手は喜ぶか。紙面に載せることでは、決してない。こちらの手持ちの情報を差し出すのだ。交換で情報をもらい受けるのだ。

 そして、彼らは試している。おれたちは試されている。彼らが小出しした情報をどう扱うかについてだ。書かない、上司に報告しない記者ほど、信頼される。より重要な情報をもたらされる。

 捜査幹部の信頼を裏切ることもあると、前述した。永年かけて築いた彼との関係を絶つ結果になっても、そしてそのことで、組織全体を敵に回し、その組織の取材を続けることができなくなっても発表する価値がある、発表しなければならないという土壇場で、おれたちは決断を迫られる。


 これまで縷々(るる)述べてきた捜査機関構成員との付き合いは、今のおれのようなフリーランスの書き手と、記者クラブ加盟の「御用」メディア所属記者との関係でも応用できる。


 記者クラブに加盟できないメディアや個人を中心に、「記者クラブ制度は悪」というような論調が繰り広げられる。あまりにも稚拙な発想だ。記者クラブ員であろうが非加盟であろうが、いくらでも記者クラブを利用できる。クラブ員から情報収集すればいい。

 捜査幹部との付き合い同様、金品の授受などではその関係は成立しないし、継続させられない。こっちの持つ情報と、彼ら例えば記者クラブ員の持つ情報を交換する。等価交換が無理だとしても、いくらでも「貸し」「借り」の関係を温存できる。

 週刊誌記者の多くは、この手法で内部情報を得ている。おれが記者クラブにいたころ、例えば貸し借り関係の実績がある週刊誌記者と情報交換していた。記者クラブを抜ければ、どこかの御用メディアの記者クラブ員と同じように情報交換する。

 だから、記者クラブが壊滅すると、非加盟のおれもちょっとだけ困る。重要な取材ルートが封じられてしまう、絶たれてしまうのだ。


 ピロシキ田中から投げかけられた疑問に話を戻す。

 今も付き合いがある連中には、ОBも含め、初対面のころは、「こいつだけは赦せないとか、付き合いたくないとかっていう」印象だった警察官も、もちろんいる。


(拾壱 オフコースと泉谷しげる「1 ボーイズ・サイズ」に続く)

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