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拾の6 中学校ソフトテニス部の上下関係

「夕食が届いてるんですけど、ここで食べてください」

 取調室で、巡査長、古賀が言う。

「食欲、ないんだよね」

 いつ最後に食べたか覚えていない。おそらく、未明に寝入る前だ。

「この後、留置施設に入ったら、もうきょうはなにも食べられませんよ」

「残していい?」

「構いません」

 仕出し弁当屋のプラスチック製の平たい箱と箸を、古賀は持ってきた。

「どうぞ」

 ふたを開けると、まずそうなハンバーグ状の物と米飯のような物が入っていた。まずそうなにおいがする。

「これ、留置場内と同じメニューだよね? あしたからも、こんな感じ?」

「そうですよ」

 古賀は涼しい顔だ。

 箸をつけてみた。やはりまずい。悪者を懲らしめるため、わざとまずく作っているのではないかと疑うのに十分な代物だ。

「臭い飯」と言われる刑務所の方がましだった。

 刑務所は衣食住と職が塀の中で自己完結するから、囚人の飯も、所内でその担当の囚人が調理する。担当の囚人が配膳し、担当の囚人が食器を片付ける。

 留置場用の初メシを、メインディッシュのハンバーグと米飯は完食。なんだか分からない副菜には、箸を付けたものの残した。

「おいしかったよ。ごちそうさま」

 古賀にうそをついた。


 ほぼ空になった箱型の器と箸を持って取調室から古賀で出ていくのに代わり、おれの自宅までおれの身柄を捕りにきた三人のうちの一人、巡査長、田中が入ってきた。

「これから森さんの取り調べは、わたしが担当させていただくことになりました」

 田中は言う。

「ああ、そう。よろしくね。お手柔らかにね」

「まず、さっき作成した弁解録取書に、署名と捺印をしていただきます」

 捺印といっても印鑑など持ち合わせていないから、指印だ。

「間違いがないか、確認してください」

 A4縦置き横書きで最上段に《供述調査》のタイトルが鎮座する罫線入り用紙二枚に、活字が打たれている。「文書」とおれが口頭で訂正した個所は、直っておらず《文章》のまま。田中にはおれの意図が伝わらず、説明が理解できなかったようだ。重箱の隅をつついてもしょうがないので、受け流すことにした。

「田中さんさあ」

「はい」

「巡査長の階級なのにこの書面じゃ《巡査》になってるのは、巡査長は正式な階級名じゃなく、あくまでも『巡査長巡査』だからってこと?」

「そうですよ。よく知ってますね」

 四十年にわたり少年誌で連載が続いた漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』主人公がそうであったように、巡査長には昇任試験の洗礼を受けず巡査から上がれる。テレビドラマ『踊る大捜査線』でいかりや長介(一九三一-二〇〇四)が演じた老練のように、かつては、その階級で定年退職を迎える警察官も少なくなかった。

 警察官と同じ階級社会の消防吏員も、警察だと巡査に該当する消防士と、巡査部長に該当する消防士長の間に消防副士長が置かれ、警察の巡査長同様、試験を経ずに昇任する。

「それとさ」

「はい」

「職名はなんで《司法警察員》なの? 《司法巡査》じゃないの?」


 警察機関に所属し勤務する、行政職員を除く、階級を持つ警察官は全員、「司法警察職員」だ。このうち、巡査部長以上の者を、「司法警察員」と称する。「職」が付くか付かないかの違いで混同されがちだが、警察組織は名称を改めない。一般人から混同されがちな方が彼らにとって仕事をやりやすいからだ。自身の仕事のやりやすさからあえて名称を分かりにくくしている例はほかにも多数あり、章を改め詳述する。

 そして、巡査部長未満、つまり巡査長と巡査は本来、司法警察職員だが司法警察員ではない。


「うちらの組織上の都合で、いろいろあるんですよ」

「田中さんは刑事部門の専務員だから、こういう調書をたびたび作成する。そういう機会が多いもんで、巡査長巡査の階級のまま司法警察員の指定を受けてるってことだな」

「なんだ。知ってるのなら、わざわざ聴かないでくださいよ」

「念のためやんか。念のため」

 おれの家族歴に関する内容が記されているらしい書面をひらひらさせて見せた巡査部長、松本のまねをしてみた。


 裁判所の公判で証拠として提出するなどの目的で、事件関係者から聴き取った内容を文書化する供述調書のうち、田中たち司法警察員によるものを「司法警察員面前調書」と呼ぶ。おれたちを含め関係者の間では、「員面(いんめん)調書」と略す。事件が検察庁に送られるなどし検察官によるものを、「検察官面前調書」、略して「検面(けんめん)調書」だ。

 司法巡査による「巡面(じゅんめん)調書」も存在するが、公判などでは証拠能力が低いとされがち。

 これら調書は基本的に、聴取の対象者を一人称として作文する。捜査官の主観を入れないという建前だが、聴取対象者がしゃべってもいないことを《(わたし)は》から始まる文章で作成されるので、冤罪が生じやすい。


 ズボンのポケットから出し二つ折り状態をぱかっと開けすぐに閉じるバッジや、供述調書といった書面から、彼ら強行犯係捜査員の階級、姓だけでなく、フルネームが確認できる。

 田中の下に続く名は、読み方によってはロシア料理の名称に似るから、これより本作では「ピロシキ田中」と呼ぶことにする。松本は、ボクシング漫画主人公と同じだから、「ジョー松本」。警部補、石場は、生前から憎悪の対象だった母方祖父と漢字もおそらく読みも同じだから、「グランパ石場」。


 中学生のころ学校の課外活動でテニス部に入っていた。時代や地域性から、ソフトテニス、当時の呼び方で軟式テニスだ。

 体育会系でありながら、先輩、後輩の関係が空気の抜けたボールよりも緩く、一学年上の先輩部員をおれたち一学年下は、ニックネームに「さん」付けで呼ぶことが許された。

 ジャガイモかサツマイモのような顔貌(かおつき)の先輩は、「イモ(ろう)さん」。郎だけ本名に依存しており、先輩同士では、テニス部外からも含め「イモ郎」だった。

 西(にし)先輩は、当時たびたびテレビアニメが再放送されていた漫画『いなかっぺ大将』に登場する嫌味な関西人から、「(はじめ)さん」。本名はそれとは一致しない。

 佐竹(さたけ)先輩は、往年の歌手、バーブ佐竹(一九三五-二〇〇三)のバーブから音引き(ー)を取って「バブさん」。おれや先輩たちはバーブ佐竹をよく知らない世代だから、教師が「バーブ佐竹」とたわむれで呼んだのが定着したのだろう。

 そして、三年生に進級するタイミング、つまりおれたちが二年生に上がる際に退部したせいもあり印象が薄い古賀先輩は、姓の読みを逆にしただけの「ガコさん」。

 だから、おれのDNAを採取した、仕出し弁当を持ってきた巡査長、古賀のことは、「ガコ古賀」と呼ぶ。


(「拾の7 憎まれっ子の交際術」に続く)

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