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弐の2 あごを突き出す醜い女

 二月の節分の日のことだ。空腹で正午ごろ目覚めたおれは、食料の買い出しのため、いつもの「スーパー三和」に向かった。

 団地敷地から出てすぐの交差点の横断歩道を渡った先に、店舗はある。

 まとめ買いすると急な用事で外出していつ帰宅できるか分からないことが常のおれは、生ものを傷めてしまうので、一度か二度で食べきる分しか買わない。その日も大した考えはなく、軽食数点と飲み物数点を陳列棚から取り、入店時に手にした備え付けのかごに放り込み、レジに向かった。

 列のできていない、すいているレジカウンターに、会計前の品をかごごと置いた。頭の中には、その後の仕事の段取りがあったはずだ。周囲に注意を寄せていないから、レジ打ちの店員がどんな容姿でどんな挙動をしていたか、最初は見ていない。

 ところがその中年女性店員は、なにも言わずカウンターで囲まれたレジスペースから出ていって、長時間、戻ってこない。どこに行ったか分からない。視界から消えたから、会計を待つおれの後ろ側に回り込んだようだ。


 どれだけ待ったか、分からない。女性店員が戻ってきた。しかし、やはりなにも言わず、品の値札を機材で読み取るレジ打ち作業を再開する。再開しても、すぐ止める。

 そして、傍らの固定電話の受話器を上げ、どこかのだれかとなにかの話しをする。

「なにやってるんですか?」

 電話の相手とは話をするのに、受話器を置いた後も、おれの問いに女性店員は答えない。さらに、レジを打ったり中断したりを繰り返す。

「どうなってんのよ?」

 口調が厳しくなっていくのが、自分でも分かる。

「おい、ちょっと」

 わずかな数の商品のレジ打ちは、何度も中断を挟むからまったく進まない。

「これ、これ」

 かごを示し作業継続を催促するおれになんの説明もしない女性は、レジ打ちを終えぬまま、おれに視線を寄越さぬまま、再び固定電話の受話器を上げた。

「こらっ」

 おれは会計途中で品が入ったままのかごを片手ですくい上げ、レジ打ちの進展を強く求めた。

「なにするんですかっ!」

 受話器を手に女性店員は鬼の形相で振り返り、初めておれの目を見た。初めておれに対し言葉を発した。

「いったい、なんなんだよ」

 おれは説明を求めた。異常事態だからだ。

「どういうつもりですかっ!」

 鼻息荒く女性店員が憤慨する。受話器を手にしたままだ。

「あんたこそ、どういうつもりなんだ。レジを打つつもりがあるのか、ないのか。レジ打ちを続けるつもりがあるのか、ないのか。あるとしたら、それはいつ再開していつ完了するんだ? おれはいつまで待てばいいんだ? ないんだとしたら、おれはどこに並び直せばいいんだ?」

「そんなこと知りません」

「知らない? あんた、『ほづみ』さんでいいんだな?」

 エプロン状制服の胸に、名刺大の名札がある。パソコンで製作したらしい太いフォントの印字で、白い紙に黒くそう書かれている。汎用名刺をぴったり入れられる規格サイズのプレートに、店が作成した個人ごとの紙を挿入しているのであろう。

「そうですよ」

 女性店員ほづみは、自身の正当性を主張するかのように、自信満々の表情でネームプレートの載った胸を張って見せる。その時にはすでに受話器を電話本体に再び戻していた。

「おう、覚えたからな。おれの名前も覚えとけ。木が三本で『(もり)』。いいな?」

「ええ、覚えましたとも」

 レジ打ち最中はなん度呼びかけても一言もしゃべらないのに、一転して強気だ。冗舌だ。発声にとげがある。荒々しい。「ええ」の部分は、新型コロナ感染症対策であろうマスク越しのあごを突き出ししゃくるようにして強調する。それに続く「覚えましたとも」も、しゃくったマスク越しあごの収まり場所がないようで、首ごと左右に振って見せる。著しく醜い。

 こんな人間がいるこんな場所に、長居はごめんだ。おれは、レジをすり抜け、店舗出入口に歩を進めた。

「ちょっと! これ、どうするんですか?」

 おれが買おうとした、レジ打ち途中のかごの中身のことを言っているのであろう。

「知るかっ」

 こんな人間には関わり合いたくない。

「あ~あ。都合が悪くなったもんだから逃げるのね。自分が間違ってるとーー」

 醜い女の好戦的な口調をそこまで聴いて、おれは振り返り、一、二歩戻ってレジの囲いの隅を足で蹴った。

「ーーやかましいんじゃ、ボケ」

 捨てぜりふを残し、再び体の向きを出入口側に変えた。

「蹴ることはないでしょう!」

 非難するような怒声を後方に聴いた。


 空腹なんてどうでもよくなった。しかし、店舗で従業員に訴えても、なんら通じないであろう。解決しないであろう。積年にわたり見てきた彼ら彼女らの悪行や無能ぶりから、そのことは明らかだ。

 おれは店に行ったルートをそのまま逆に歩き、本来なら買った商品を入れるための空っぽのリュックを右肩だけで背負ったまま帰宅した。インターネットで検索し、「スーパー三和」のあらましを調べようと試みた。


 最寄りの店舗は「奈良北店」の名称が付くから、別にも店舗が存在することは明らかだ。店舗看板や店内に誇らしげに掲示される「sanwa」のロゴは、よそでも目にしたことがある。

 いつ、どこで見たのかは、記憶にない。実際の店舗などで見たのか、チラシなど広告の類で見たのか。

 都内と神奈川県内を中心に、約八十の店舗を運営することが分かった。本社ならびに登記簿上の本店所在地は、神奈川県との境の東京都町田市だ。

 インターネットで検索できる情報を一通り調べてから、おれは、公式サイトに記される問い合わせ窓口というフリーダイヤル《0120-375-230》を、自宅兼仕事場として使う部屋のデスク上にある固定電話でプッシュした。


 電話に出た若い印象の女性は、おそらくこの会社の従業員ではない。官民事業所の多くが、顧客対応を外部委託している。電話を受けているのも、この会社の施設内ではあるまい。受託業者の関連施設だろう。

 なんらかの苦情を訴えてもきっと、〈担当部署に上申し改善に努めます〉といった通り一遍の回答しか得られない。それで満足する消費者が少なくないのだろう。それで業務が成立しているのだろう。客がなんらかの不満を寄せても会社内部の実情は外部に漏らせないし、だからこそ事業所は、実情を知らない外部スタッフに対応を任せているのだ。

 つまり、これら問い合わせ窓口や窓口スタッフは、クレーマーを本社に近づけないための重要な防波堤として、城を守る堀として、主君に忠実な門番として機能している。

 門前で玉砕せぬよう、おれは、こう申し向けた。

「横浜市内で作家をしております、森と申します。報道対応を担当する部署はどこか、教えていただきたい」

 相手はこう答えた。

〈総務部が対応します。042-746-3038におかけ直しください〉

「市外局番が042? 町田市ってことですか?」

〈そうです。本社総務部です〉

 受話器を置き、おれは、教わったばかりの「株式会社三和」総務部に架電した。


(「弐の3 けがでもしたら暴行罪か」に続く)

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