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玖の3 なにをそんなに困っているのか

「このたびは、森さまに大変、不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした」

 二つ直列で並べた会議用長テーブルの向こう側で、URコミュニティ神田ら三人が立ち上がり、そろって頭を下げる。

「不快どころの騒ぎじゃないから。そういうレベルの問題じゃないから」

 管理主任、田代の虚偽通報で、制服警察官に撃たれるところだったのだと言っても一笑に付されることは、後に証明される。

「話をスムーズに進める、進めていただくために、メモを用意しました。お尋ねしたい大まかな内容です」

 自分の手元用とは別に三部用意したメモを、神田に手渡した。神田は両サイドの二人に、それぞれ一部ずつ配る。

「最初の、配電盤、ブレーカー問題からお尋ねします」

 手元のメモを見なくても、内容はあらかた頭に入っている。

「なぜぼくは、ああいう目に遭わされるのでしょう。ああいう目というのは、そこに書いてある通り。あなた方がご存じの通りです」

 技術サポート課課長が、発言してよいかと神田課長に尋ねるような視線を向け、神田課長がうなずく。

「われわれ電気関係の職員が一切、関わらないまま、あんなことになってしまいました。われわれの体制の問題です」

 確かに団地管理サービス事務所の高瀬は、おれにブレーカーの点検を命じさせたのは、電気の担当ではないと言っていた。

「ブレーカーは問題ない、配電盤の問題だってなんど言っても、高瀬さんは納得しません。どうすれば納得していただけたのでしょうか」

「ブレーカーを上げても通電しないのだ、とか」

「もちろんそれは言いました。ですが、ブレーカーはレバーが複数あるのだとか、上げてからスイッチを入れてみたのかとか、すべてがぼくの間違いだという前提で、点検も修理も拒みます。なぜなんでしょう」

「そこまでは本人でないと分かりません」

「高瀬さんがこの職に就くまでブレーカーを知らなかったから、ぼくらも知らないものだと誤認した、とぼくは受け止めてるんですけど、そういういう解釈でいいですか?」

「それも分かりません」

「本人はなんと言ってるんですか?」

「聴いてません」

 この課長の言い草は、後々まで尾を引く。しかし、この時のおれは、尾を引くと予見できていなかった。

「神田さんも遠藤さんも、聴いてないということでいいですか?」

 その通りだと神田も遠藤も答える。

「どうすれば、ぼくはあんなトラブルに巻き込まれずに済んだんでしょう」

「今後、電気関係のことはわれわれの、名刺のところに直接、電話をください」

「あなた方が誰一人として捕まらなかったら? 今回も、あなた方にアクセスできなかった高瀬さんが、どこの誰だか『忘れた』人物から、『ブレーカーが落ちてることもあるよ』って言われて、それにしがみついてそこから一歩も離れられないことが要因ですよ」

「別の『住まいセンター』でも構いません。その名刺の部署名は、どこにでもあります。そこに伝言を残してください」

 自身の部署はトラブルに関知しなかったというエクスキューズがあるからだろう。技術サポート課課長にとっては、しょせん他人(ひと)ごと。高みの見物だ。


「高瀬さん問題は、また後で聴きます。田代さん問題も、後でまとめて聴きます。時系列に沿って、その箇条書きだと真ん中辺りにある松縄さん問題。ぼくが困ることってなんですか?」

 神田が大きく鼻で息を吸い込んだ。そして、自信満々の表情で口を開いた。

「森さまは、なにがお困りなんでしょう?」

 おれの聴き方、メモの書き方がまずいのだろうと反省した。だから、言い換えた。

「松縄さんがおっしゃる、『そういうことばかりしていると困ることになる』というのは、具体的に、どのような困ることを指しますか?」

「ですから森さまは、なににお困りなんですか?」

「神田さん。松縄さんに言われたことを、今ぼくは復唱してんのよ。『困ること』ってなに?」

「わたしも復唱しますよ。森さまが『困ること』って、なんですか?」

「そうじゃないだろ。ぼくが松縄なにがし本人に、今、神田さんに聴いてるのと同じように尋ねたら、『困ることになったらお困りでしょう』って、さらに思わせぶりな脅しを掛けてくるんだよ。松縄なにがしの最初の『困ること』と、次の『困ることになったらお困りでしょう』の、それぞれの内容を答えて」

「森さまは、いったいなににお困りなんですか? お困りのことをおっしゃっていただければ、わたしたちはできる限りのことをさせていただきます。それがわたしたちの仕事です」

 電話の松縄同様、神田は会話に不自然な抑揚を伴う。「でき」にアクセントを付ける。

 無能な上司が同じように無能な部下を叱責し、または低能な教師が同じように低能な生徒を指導し、あるいは親ガチャの親が同情すべき不幸な子を誤った方法で養育まがいをし、そのことに自己陶酔しているような口調だ。脳内ドーパミンがどばどば分泌されているのが、頭がい骨の外からも見て取れる。

「先に『お困り』とか『困る』とか言い出したのは松縄さんだってことは、神田さん、ご認識ですよね?」

「森さまはなにをそんなにお困りなんですか」

「神田さん。ぼくの質問に答えて。『困る』うんぬんのワードを先に持ち出したのは、松縄さんですか、ぼくですか」

「森さまがなににお困りなのかおっしゃっていただかないと、答えようがありません」

「あ~分かった。松縄さんに『困ることになる』『困ることになったらお困りでしょう』と言われたことで困ってる」

「ですから、そのことで森さまは、なぜお困りなんですか。さっぱり分かりません」

「質問の仕方を変えます。松縄さんは、『困ることになる』とか『困ることになったらお困りでしょう』とか、言ってますか、言ってませんか?」

「それは別問題ですから、答えようがありません」

 シリンダー錠交換の時とまったく同じ言い草だ。神田は実は、自信満々なのではない。窮地に追い込まれて、回答のしようがないのだ。回答のしようがないと、しらを切るのだ。脳みそが足りないふりを決め込むのだ。


「松縄なにがし問題の続きは、後回しにします。田代管理主任問題に移ります」

 そうでもしないと、時間がもったいない。神田の言い草を聴いていると、空虚なやり取りで時間稼ぎをして尻切れを狙っているのではないかと疑う。

「時系列で聴きます。なぜ、扉から出てきていきなり『おいこら、おまえ』呼ばわりなんですか?」

 日本総合住生活神奈川西支店副支店長、遠藤が、縦置きでカレンダーのように天()じの用紙の束をぱらぱらめくる。

「森さまが、事務所内のいすを蹴ったからだと聴いております」

「それ、順序が逆。警察を呼ぶって脅しのようなことを田代氏が言うから、『呼べよ、ほらほら』ってぼくは挑発して見せたの」

「報告書では、こうなっております」

「ぼくが最初にいすを蹴ったと?」

「はい」


(「玖の4 調査項目にない」に続く)

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