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玖の1 人質が殺される

〈お盛んだな、森ちゃんは相変わらず〉

 神奈川県警内部にいる個人的な付き合いのある知人に、おそらく褒められた。


 報道機関に限らずマスコミ業界は、年齢と社歴、職務経験が必ずしも相関せずしばしば逆転するから、社外の相手とはお互い姓に「ちゃん」の敬称でごまかすのが常だ。記者同士のその敬称を、取材対象である主に警察幹部がまねしておれたちに対し使う。だから、同業者からも取材対象からも「森ちゃん」と呼ばれると、仲間に入れてもらえたという、たいがいが錯覚に陥る。

 また逆に、おれたちは取材対象のことを同じようには呼べない。


「URのこと、分かったか?」

〈歯抜けだが、ある程度はな。まず六月五日の田代って管理主任の件〉

「うん」

〈こいつは曲者だぞ。県警本部(うち)地域部通信指令課(つうしんしれい)との間で、少なくとも二往復、通話してる〉

 一一〇番がつながると、かけた側がなにも言わず切っても、受けた側つまり警察がコールバックする。なにか言って、それが正常な内容でも、電話を切った後に、コールバックする。表向きは、「今、パトカーが向かっている」などの連絡のためだが、実際は、通報内容に虚偽や矛盾がないか確認する目的だ。

 少なくとも二往復しているということは、田代が二回は発信していることになる。

「それぞれの通報の内容は分かるか?」

〈うん。一本目は、事務所内で男が、つまり森ちゃんのことな、暴れてる。それから、二本目なのか三本目以降なのか、ちょっと裏が取れてないんだが――〉

「――いいよ。危ない橋は渡るな」

〈危険物を持ってる。凶器を持ってる。女子職員が二人取り残されてる。森ちゃんは、事務所に立てこもってる。女子職員を殺すと言ってる。もう危害を加えられたかもしれない。二人のうち一人もしくは二人とも、生きてないかもしれない〉

「警察が誘導してしゃべらせたのか」

〈そうじゃない。田代がすらすらしゃべってる〉

「危険物って、凶器ってなんだ?」

〈通信指令もそれは尋ねてる。田代は、自分は避難してきたから分からない。自分だけ脱出に成功して、部下二人を見殺しにして、惨殺されることになって、遺族に申し訳ないって絶叫してる〉

「絶叫? 録音を聴いたか?」

〈聴いてない。人づてだ。しかし、通信指令にかかわる複数の人間が同じことを言ってる。驚いたか?〉

「いいや。そんなとこだろうとは思ってた」

 長野県内で散弾銃のスラッグ弾に撃ち抜かれるなどして警察官二人を含む四人が殺害された事件があったばかりだからと、四人臨場した制服警察官のうちの一人が言っていた。身体捜検も、尋常ではなかった。

〈それからな、森ちゃんが見たっていう青い座布団〉

「うん」

〈その後もずっと、現場にあったか?〉

 制服警察官が四人ともそろった時間帯は存在した。田代に事務所内から名刺を持ってこさせた際だ。その時の光景をなんとか思い出そうと試みる。四人そろった現場の写真は撮っていない。

「一人が腹の前に抱えて事務所に突入してきた時しか見てない。四人そろってた時は、座布団はなかったはずだ」

〈だろうな。座布団とは別の資機材もパトから降ろしてる〉

「別の資機材?」

〈ハンディ(シールド)やらヘルメットやら防弾用の装備品だ。森ちゃんの持ち物になにも問題がないって分かって、すぐ車内に戻してる。人目に付くと大ごとだからな〉

「おれの目に入っても大ごとだぞ」

〈四人は、森ちゃんの素性(じんてい)を把握しないまま臨場してる〉

「だろうな。目の前で拳銃ホルスターのロックを操作したもんな。それについては?」

〈すまん、分からんかった。将来的にも分からんと思う。撃ってないし、抜いてもないはずだからな〉

「田代のじじいはおれの人定は」

〈通報時に把握してたかどうか、分からん。これも、将来的にも分からんだろう〉

「把握してたとしても、そうとは認めんだろうな。あくまでも凶悪犯罪者がなんだか分からない危険物やら凶器やらを持ち込んで事務所で暴れてか弱い乙女二人を人質に取って立てこもったって筋書きだな」

〈UR側はそうだろう。うちの四人の最優先任務は、人質の安否確認だった。四人は先遣隊で、後続の部隊を続々、展開させる手はずが整ってた〉

 財布を探しに部屋との間を往復した何度目かに事務所に戻った際、事務所は空になっていた。人質は先遣隊によって、あるいはおれには姿を見せない後続部隊によって無事、救出されたのだ。

〈森ちゃん、現場にいて、サイレンの音を聴いたか?〉

 これも記憶の手繰るが、思い出せない。

「聴いた記憶はない。財布が見つからないから現場の事務所と自分の部屋を行き来してるんだが、その最中にも聴いてないと思う」

〈消防は?〉

「消防って、救急車?」

〈救助工作車やらポンプ車やら込みで思い出してくれ〉

「パトも、ピーポーもウーンも聴いてない。市の消防局も出たってことか?」

〈出たかどうか、うちじゃ分からん。消防に聴いてくれ。ただ、うちから連絡はしてる。もはや生きていないかもしれないか弱い女性を、森ちゃんの立てこもってる事務所を破壊してでも救助して、森ちゃんのスラッグ弾で撃ち抜かれてても収容する想定で。パトはな、無吹鳴(サイレンオフ)現場到着(げんちゃく)してる。立てこもり男を刺激しないためだ。サイレンの音を聴くと、スラッグ弾を発砲するかもしれんから。興奮して、人質を殺害するかもしれんからな〉

 なんという失態。

 制服警官四人と田代と別れてからおれは、自由な身柄だというのに、付近を検索しなかった。パトカーの影も見ていない。視認すれば、自動車警ら隊の車両かどうかも見当が付いたはずなのに。消防の車両が来ていないかも確認できたのに。県警の後続部隊を拝めたかもしれないのに。

 事件記者としての感性がさび付いている。

「消防の車両は、スラッグ弾で狙われないポイントで待機かもしれんな。近隣消防署で、別案件には禁足で『いざ鎌倉』状態だったのかもな」

〈うん。その日の件で、今んとこ分かってるのはこれくらい。次に、六月六日の件いっていいか?〉

「頼む」

〈通報の記録が見つからない〉

「一一〇番じゃなかったってことか?」

〈その可能性が高い。伊藤社長宅からじゃなく、東京の本社からかもしれん〉

「それはどっちでも、大した問題じゃなかろ? スクーターの交番勤務員が緊張感もなくふらふら臨場した程度だから」

〈おれも大した問題じゃないと思ってる。ほんでな、森ちゃん〉

「うん」

〈なぜ、白昼に狙った? 社長が在宅してないって予想できるだろ?〉

「寄って社長宅だって確認してから神田錦町の本社に向かおうとしたんだよ。社長の留守を守る家人と接触した形跡があれば、本社もむげには拒絶できんだろう、追い返されんだろうっていう脅しというか、保険の意味合いもあった」

〈そうか。青葉署はな、森ちゃんが当直時間帯を避けたって邪推してる〉

「なんで避ける必要が?」

〈昼間は署長、副署長、次長がいるから、森ちゃんを引っ張るのを阻止する力が働く。当直体制に入ると、事情を知らない当直責任者の判断で引っ張る可能性が高まる。森ちゃんは、身柄を捕られぬよう用心して昼間に動いたんだろうって〉

「そこまで邪推するもんかね」

〈森ちゃんを引っ張ると面倒なことになるって、前日の一件で青葉署は学習したんだろう。署長、副署長、次長は実際、森ちゃんを穏便に現場から離れさせるって判断だった〉

「前日の一件と、青葉署はどの段階で結び付けた?」

〈UR側はなにも言ってない。言うと田代の不始末が露呈するからな。だけどな、森ちゃん〉

「うん」

〈常にマークされてるってことは、分かってるよな?〉

「分かってるよ。それがどの程度まで浸透してるのか、四十七都道府県に対しても測れてない」

〈森ちゃんが想像してるよりずっと広く、ずっと深くだよ。だけど、検索の仕方でヒットしないこともある。前日の人質立てこもり通報じゃ、現場管轄の青葉署含め県内全署の生活安全課(せいあん)に、森ちゃんとその周辺の猟銃許可状況の照会が掛かってる〉

「なるほどな。いずれかの段階で青葉署は、『こいつか』ってとこだろ? 翌日の社長宅襲撃は、『またあいつか』ってさ」

〈そうだぞ。前日のスラッグ弾立てこもり通報と出動がなかったら、順当にパトがお迎えに上がって、署に任意同行ってとこだった〉

「そっちの方が面白い展開なのにな」

〈か弱い乙女を二人も人質に立てこもるもんだから、森ちゃんの思い描いた通りにはならない。残念だな〉


 関連で新しい情報があったら教えてくれと依頼し、そいつとの通信を終えた。


 JS日本総合住生活の伊藤治社長邸宅を訪問した三日後、金曜となる六月九日に、藤沢市のUR神奈川西住まいセンターから電話を受けた。

〈カンダと申します〉

 その年の三月に鍵の交換問題で筋の通らない日本語としての会話も成立しない主張を展開した、「お客様相談課」課長の神田だ。


(「玖の2 言っていないと思う」に続く)

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