弐の1 売り場は砂場かサッカー場か
初めて買い物にいった時から、おかしな店だと思っていた。客層が悪く、よって従業員も劣悪だ。その相乗効果でこれらは悪化の一途だと、十年以上観察を続け、おれは確信している。
横浜市青葉区奈良町の現住所に、おれは東日本大震災があった二〇一一(平成二十三)年夏、東京・多摩地域から引っ越してきた。当時から、その店「スーパー三和」は、今の場所で営業していた。
おれの住む「奈良北団地」は、旧・日本住宅公団が建設し一九七一(昭和四十六)年に供用開始した、典型的な公団住宅だ。
戦後の復興と朝鮮特需を呼び水とする高度経済成長で、職を求め東京などに人口が大量流入。都市部では住宅不足が深刻化した。そのころの活字・映像作品や漫画には、たびたび居候が登場する。藤子不二雄の『オバケのQ太郎』も『忍者ハットリくん』も『ドラえもん』も、主人公のオバケが、忍者が、ネコ型ロボットが、読者の感情移入対象である登場人物、正ちゃん、のび太、ケン一氏の家に住み着く。
名優、石立鉄男(一九四二-二〇〇七)主演のテレビドラマでも、メインかサブの登場人物が、なんらかの事情で居候生活を送り、そこでの人間模様がストーリーの主軸だ。ただ、子役時代の杉田かおる(一九六四-)と競演し今も語り継がれる『パパと呼ばないで』(一九七二-七三)のころは、実際には首都圏の住宅不足はずいぶん解消しており、よって居候はあまり存在せず、設定にやや無理があった。
建設当初は、高倍率の抽選という関門により入居が著しく困難で庶民の憧れの対象だった団地も、子が生まれ成長するなど入居者の家族構成の移り変わりで、マンションを買う、一軒家を建てるなどし、徐々に人が離れていった。それに取り残された層が今も住み、また、子が独立したなどのさまざまな理由で団地に戻り、あるいは初めて団地を住み処とする。
だから、昭和の時代からある団地はどこも、住民の高齢化が進んでいる。小高い丘を切り開いて建設した大規模な奈良北団地は、民間ディベロッパーによる戸建て住宅も周辺に並行して開発されたが、住民は同様に高齢化する。
そして、「失われた三十年」と形容される不況の背景もあり、彼ら高齢住民は、買い物をしない。消費動向が鈍い。団地住民を当て込んだ近隣の商店は、櫛の歯が欠けるように廃業していく。
古い住宅地図をひもとくと、団地敷地内に、産科医院のあったことが分かる。若い夫婦が多く住んでいたことの証左だ。
「スーパー三和」が団地敷地に隣接するそこで営業を始めたのは、おれが越してくる七年前の二〇〇四(平成十六)年のことらしい。その前にも同じ場所、同じ建物で似たようなスーパーが営業していたというが、閉店している。
道路を挟んで反対側に大規模なショッピングセンターも存在したというが、建物の老朽化で取り壊され、バス停「センター前」にその名残りがある。
ショッピングセンター同様、団地と共に歩んできた「スーパー三和」の建物はだから、取り壊してもおかしくない状態のあばら家だ。
売り場とバックヤード、事務所はワンフロアで、屋上に駐車場がある。直角に交わらない道路に囲まれた敷地は不整形。その敷地の渕ぎりぎりまで外壁が迫る店舗も、だから不整形。店舗の間取りは、いびつな五角形。
買い物客はほぼ、団地やその周辺で暮らす高齢者。貧しい彼らは、店舗従業員の横暴に気づかない。気づいても、声を上げられない。上げる術を知らない。
昼間、買い物にいったら、エプロン状の制服を着た店舗従業員の男が、陳列棚に商品を補充しているようだった。ところがその男は、倉庫があるらしいバックヤードから途中まで台車で段ボールを運んできて、それを台車から降ろすと、通路上を、足で蹴って陳列棚の前まで移動させた。
段ボール表面の印刷内容や陳列棚の場所から、中身は袋入りスナック菓子のようだ。重くない。足で蹴って移動させられる。
男はなにかで手がふさがっている風ではない。ただ、蹴りたいから蹴っているのだ。手で持って運ぶとか、陳列棚まで台車を乗り入れるとかの正常な運搬方法は、彼にとって楽しくないのだ。なにかに不満があるとか、無作法を客に見せつけることで不満を解消させようとか解決させようとかの動機、原因もきっと、存在するまい。
別の日のことだ。閉店が近い時間帯だったと思う。透明プラスチック製パックに詰め輪ゴムで留めただけの惣菜に、やはり男の従業員が、割引ラベルを貼る作業をしていた。正規の値をバーコードで読み取りし、それに応じたラベルが刷りだされる、卓球のラケットやしゃもじのように握り手の部分が細く先が広い、緩やかな「T字」形状のハンディー機材で、その男は、惣菜パックの山をざくざく切り崩し、同じようにざくざく山を作っていく。ちょうど、砂場でスコップを使い遊ぶ幼児のような仕草だ。
問題があるのは、店側だけではない。買い物客は、使ったカートを元に戻さない。通路に残したまま。そして、それを現認した店舗従業員も、カート置き場に戻そうとしない。段ボールを蹴ったり惣菜の山をざくざく崩したりは楽しいが、カートを元に戻すのは楽しくない。
レジで会計を済ませた先に、買った商品をレジ袋や持ち込みのエコバッグに客自らが詰め込む、「作荷台」の字を当てるのだというサッカー台に、後ろ向きに立って曲げた肘を立て、同じような風体の買い物仲間との会話に花を咲かせる女性客がいた。こちらを向いているのだから、会計を済ませた商品が入ったかごを両手に持つおれの姿は目に入っているはず。それでも、そこを占領したまま、どかない。
「すいません、待ってるんですよ」
声を掛けてもどかない。
「おい、待ってるんだよ」
やはりどかない。
「待ってるって言ってるでしょっ!」
おれの真後ろに立っていたらしい、占領客よりは若そうな女性の怒号が響いた。
「おお~、怖い」
会話を邪魔された占領客二人はそろって、おれをにらみながら台を離れる。空のかごは片付けず台の上に放置したままだ。
後方女性の姿を確認してそのことで目が合ったりなんらかの合図を送られたりすると、占領客がにらんだ通りおれたちも家族など仲間だと思われ、その女性に迷惑が掛かると思い、おれは振り返らなかったから、どういう女性だったのか今も分からない。
全国の商店でレジ袋が有料化してからのことだと思う。初老の男性客が、店舗前で従業員に呼び止められているのをおれは現認した。
「かごは店外持ち出し禁止です」
「いいよう~」
なにかを遠慮するかのような口調で、店内用のかごに会計済みの商品を入れ帰宅中らしい男性客は応じる。
「お持ち帰りはご遠慮ください」
「いいよう~」
中年の女性従業員は、あきらめた。男性客はそのまま、店名ロゴ入りのかごを抱え帰っていった。
もちろんレジでも、トラブルは頻発する。会計待ち客が長蛇の列を作っているのに、レジ打ち店員と、支払いを終えた顔なじみ客の世間話は終わらない。
「お待ちのお客さまあ」
レジ打ち店員は、列の客に気を遣うふりをして見せる。
「まだよっ。これからが大事なところなんだから」
顔なじみ客はレジ打ち店員を独占し離さない。レジ打ち店員はそれにあらがえない。おれたち列の客は、黙って別のレジに移り列の尻に付く。
貧しく常識に欠けた、というか、常識の皆無な客が集う、低賃金で雇われた無能でやはり常識に欠けた従業員が働く店なのだから、仕方ない。「商品入り段ボール蹴って移動」従業員も、「惣菜ざくざく砂遊び」従業員も、客であるおれの目の前でやっているのだから、それが悪いことだと思っていない。よしんば思っていても、それを客に現認されてもなんら構わない。だって、客自身が貧しく非常識なのだから。そういう前提のもと低賃金で雇われているのだから。
こんなエリアは早く抜け出そう。そう心に誓って幾年月。個人事業主ゆえ収入が安定しないおれは、家計の事情から、なかなか脱出が実現しない。貧民窟から逃れられない。
県警青葉署の捜査員に、裁判所が発付する令状持参で強制力を伴い踏み込まれた事件は、この店でよく接しよく目にする、日常的に発生し嫌な思いをし、あるいは被害に見舞われる、決して珍しくないエピソードが引き金だった。
(「弐の2 あごを突き出す醜い女」に続く)