壱の3 くしゃくしゃ令状で折り紙
「携帯電話はこれだけか?」
床に敷いた布団を踏みつけ松本が、青いスマートフォンを充電用ケーブルから引き抜いた。「一号機」とおれが命名したメインの赤い二つ折りのいわゆるガラケーは、ポケットに突っ込んで出掛けたままの状態でハーフパンツ内にあり、最初の身体捜検で取り上げられている。
「回線がつながってんのは、その二台だけ」
「ほかにもあるのか? 古いやつってことか?」
「古くなんかないよ。使ってないから回線を解約した。どこにあるか分からんのだけど、探そうか?」
黒い端末「三号機」の在り処を思い出す前に、松本は「いらん」と言った。
「この服と携帯電話は押収する」と松本。
「じゃ、身柄を捕るから、両手出せ」
石場が言い、松本がどこからか黒い手錠を取り出した。
「ここで執行すんのか?」
「そうだ」
「いったいどこの間抜けな裁判所が、そんなふざけた令状を出してるんだ? ちょっとよく見せてみろ」
「ここだ。よく見ろ」
そう言って石場は、捜索開始の時と同じように、カーキ色ベストのポケットから紙を取り出した。取り出し、おれの部屋にある腰の高さの本棚天板の上で、折り紙を始めた。
「見ろ」
重ねて言う石場は、本棚の上に置いた令状らしき紙の両サイドを自分の両手で隠している。本来ならA4サイズ縦置きのはずだが、上と下も山折りされていて裏に隠れ、端が見えない。
《神奈川》
横書きの活字だけが見える。
「神奈川? 横浜市神奈川区にある簡易裁判所ってことか?」
「そうだ。もういいな。分かったな」
警察は令状を、地方裁判所か、その下部組織である簡易裁判所に請求し発付を受ける。容疑の重さとはあまり関係ない。ただ、地方裁判所にいるのは原則、司法試験の洗礼を受けた法曹で、令状の乱発に慎重な判事もまれに存在する。半面、簡易裁判所には、裁判所職員である書記官上がりの「簡裁判事」が多くいて、彼らは、捜査に荒波を立てるようなことはしない。立場上、できない。
また、地方裁判所のへそ曲がり判事が令状請求に応じなかった場合、簡易裁判所に出直しても、その判断が覆る見通しは薄い。
だから警察は、慎重を期す事件であればそうであるほど、まず簡易裁判所に令状請求する。万が一そこで拒否されても、上部組織である地方裁判所で覆すのは難しくないからだ。
そして、捜索差し押さえ令状だけでは身柄拘束すなわち逮捕はできないが、逮捕令状があれば、関係先での捜索差し押さえが可能。だから、石場が二度提示したくしゃくしゃの紙は、どちらも同じ逮捕令状だったかもしれない。この令状一枚で、先に捜索差し押さえを敢行したのかもしれない。
もしそうだとすると、彼らは最初から、身柄を捕ることが前提だった。任意で署に連れて行くようなまどろっこしいことは、想定していなかった。
「分かった。準備するからちょっと待て」
「待たん。なんの準備が必要なんだ」
松本はうれしそうだ。
「着替える。着替えも準備する」
チェストに向かおうとするおれを、石場と、松本と、サンダルを発見して部屋に上がってきた田中が制止しようとする。
「近づくな」
はいていたハーフパンツの腰の部分を自分の両手でつかんで膝まで下ろしたつもりが、下着のパンツも一緒にずり落ちた。三人は、いっせいに動きを止めた。男同士でも下半身に接触するのには躊躇する、LGBTの時代なんだと、そっち系には縁がないから疎いおれは悟った。
チェストから灰色の半袖シャツ、黒い薄手の夏用薄手スラックスを取り出し、着替えた。茶色い革製ベルトをスラックスに通した。赤いパーカーと、バスタオル数枚を準備した。
「なにをしている?」
「だから、着替えの準備」
「そんなものは入れられない」
警察の留置施設では自弁の私服着用が認められたとしても、顔が隠れ表情をうかがえないフードや、首つりの道具に使われるひもは厳禁だから、パーカーを持ち込めないことは分かっている。大きい、つまり長辺の長いタオルも、首つりの懸念から同様だ。そのことを知っているから、おれは、彼らの反応を確かめるため、パーカーとバスタオルを準備した。
「じゃあ、なにを持てば?」
「現金だけ。財布だけ持て」
「いや、着替えとタオルは持っていく」
「入れる袋は自分で準備しろよ」
バッグに入れようと、入れるのに適当な大きさのそれを探した。
「かばんは持ち込めん。ごみ袋にでも入れろ」
それにおれは従った。
「じゃ、ワッパかますぞ。腕時計を外せ」
「うん。午後一時三十九分な」
「いや、一時四十分だ」
「一分くらいどうだっていいだろ」
身柄を拘束すると刑事訴訟法で定められたストップウオッチの針がスタートしてしまうから、捜査機関は少しでも逮捕令状の執行時刻を遅らせたがる。しかし、わずか一分にこだわるのは、被疑者であるおれに対する嫌がらせ以外のなにものでもない。
「はい、た~いほっ!」
あくまでも楽しそうな松本に、手錠をかまされた。松本と田中が、おれの体の前と後ろから二人かがりで手を回し、腰縄を打った。
そして三人のうちだれかが、ナイロン製の薄汚れた灰色器具を取り出し、おれの腕に巻こうとする。それは、マジックテープで留められる仕組みになっている。
「なにこれ?」
「こんなみっともない手錠姿を、ご近所さまに見せられないだろ?」
松本は言うが、アジの開きの骨のような、漢字で表現すると「目」か「皿」のような形状のその器具はサイズがぶかぶかで、「目」「皿」のフォントは細く、手錠をまったく隠さない。極端にサイズの合わないブラジャーを着けさせられたようなありさまだ。こんなブラジャーを両手首に巻かれた方がみっともない。手錠をかまされていますよとアピールしているようなものだ。
つながれたまま玄関まで引っ張られた。雨水を通さないが汗は通すという触れ込みの茶色い米国製ブーツに足を突っ込んだ。
「なにをしている」
「だから、靴を履こうとしてるんじゃん」
「そんな長いシューレースが付いたのは駄目だ。こっちを履け」
土間の黒い革製短靴を松本が指さす。
「茶色いベルトを絞めてるんだぞ。茶色のブーツを履かせろよ。黒を履かせるのなら、黒いベルトに替えさせろ」
「おまえ、自分の立場、分かってんのか? 逮捕されてるんだぞ!」
やはり松本は楽しそう。
「玄関扉のかぎはどこだ?」
「そこ。下駄箱の上。さっき捜索に入る時あんたら、おれが置くのを見てたろ?」
キーホルダーでじゃらじゃらのかぎを、田中が手に取った。子どもたちに贈り物を届けるサンタクロースのようないでたちで田中は、おれの着替えとバスタオルが入った半透明のポリ袋を肩に担いでいる。
「もう思い残すことはないな?」
松本が言う。
「ちょっと待て。電気のブレーカーを落としてくれ」
いつどういう状態で帰還できるか分からない。捕り物劇を演じるのに夢中で、リモコン操作するエアコンの電源を切ったかどうかも覚えていない。両手をつながれそれをさらに腰縄につながれたおれの目配せに、三人そろって視線を上げる。
「ブレーカー? どれを落とす?」
玄関壁の天井付近に、石場が右手を伸ばす。
「全部だ、全部」
パチン、パチンと音を立て石場は、クリーム色の分電盤から生える灰色レバー三本を、左から順番に下ろしていった。
◇ ◇ ◇
(弐 店の品格、客の民度「1 売り場は砂場かサッカー場か」に続く)